第2話 初めての査定は、思ったより緊張する
階段を上りきると、午後の日差しが目にしみた。
ダンジョンの中が薄暗かったせいか地上がやけにまぶしい。時刻はまだ三時前。入ってから三時間も経っていなかったらしい。
「……夢じゃ、ないよな」
右手には布袋。中でビー玉サイズの核がかちゃかちゃと鳴っている。腰にはいつの間にか鞘が付いていて、紫電の短剣が収まっていた。ありがたい仕様だが見られると面倒そうなのでジャージの上着の裾で隠しておく。
買取窓口は登録窓口の隣にあった。こちらの列は短い。みんなまだ、素材を持ち帰るところまで行けていないのだろう。
「次の方、どうぞ」
呼ばれたカウンターの向こうにいたのは白衣を着た小柄な女性だった。丸い眼鏡に後ろでひとつにまとめた髪。名札には「千景」とある。
「鑑定士の千景です。素材の査定ですね」
「はい。スライムの核が十二個です」
冬馬は布袋をそっとカウンターに置いた。
千景さんは白い手袋をはめ、核をひとつ取り出してルーペで覗き込む。
そして、手が止まった。
「……へえ」
「あの、何か。もしかして、全部割れてましたか」
「逆です。全部、無傷なんです」
千景さんは顔を上げた。眼鏡の奥の目がほんの少し輝いている。
「初心者の方は核ごと叩き潰してしまうことが多いんです。ひびが入ると、買取額が下がります。でもこれは……」
もうひとつ、核を光にかざす。
「粘液だけがきれいに弾けています。核には傷ひとつありません。どうやって倒したんですか?」
「えっと……たまたまです」
短剣の電撃のおかげだとは言えなかった。ガチャで出たとはなおさら。
「たまたま十二回も」
「……運がよくて」
「そうですか」
千景さんはそれ以上は追及しなかった。かわりに電卓を叩く。
「品質加算をつけます。一個三千五百円で十二個ですので……」
顔を上げて、にっこり笑った。
「四万二千円です」
四万二千円。
声に出さず、冬馬は口の中で繰り返した。
「お支払いは口座振込が原則ですが」
「現金でお願いします」
「現金、ですか」
「はい。現金で。どうしても現金で」
千景さんはわずかに首をかしげた。
「……お急ぎのご事情でも?」
「ええ、まあ。買い物、というかその……ガ……いえ、買い物です」
危うく、正体を明かすところだった。
幸い、少額なら現金でも対応できるらしい。千景さんは封筒に一万円札を四枚、千円札を二枚、きっちり入れて差し出した。
「また、お持ちください。椎葉さん、でしたね。次回もお待ちしています」
封筒はずしりと重かった。紙の重さ以上の、何かがあった。
帰りの電車で冬馬は封筒をカバンの奥にしまい込み、何度も中身を確認した。
四万二千円。財布に残っていた七千円と合わせて、四万九千円。
ゲームの課金なら五万円は「ちょっと出費がかさんだ月」の金額だ。けれど今日は自分の手で稼いだ五万円だ。しかも三時間で。
「……いや、待て」
駅の改札を出たところで冬馬は足を止めた。
「落ち着け。落ち着くんだ、俺」
この男には八年間守り続けてきたルールがある。
――課金は予算の範囲内で。生活費には絶対に手をつけない。
月三万円の課金を八年続けても貯金は着実に貯まっている。課金勢の鑑である。(自称)
冬馬はコンビニのATMに寄り三万円を口座に入れた。手元に残ったのは一万九千円。
「今日の課金は三回まで。三回だ」
誰に宣言しているのか自分でもよくわからなかった。
帰宅して、シャワーを浴びて、冷凍餃子を焼いて、缶ビールを開ける。
そしてテーブルの上に財布を置いた。
「……よし」
意識を集中すると、目の前に画面が浮かんだ。ダンジョンの外でも使えるらしい。
《リアル課金 1回 1,000円》
《課金しますか? はい/いいえ》
「はい」
千円札が光になって消える。光の柱。効果音。
《★☆☆☆ レア 身体強化Ⅰ を獲得しました》
体の奥がじんわりと温かくなった。
「おお……」
試しに空の缶を片手で握ってみる。ぐしゃっ、とはならなかったがいつもより明らかに軽く感じる。階段を駆け上がっても息が切れなさそうな感覚だ。
「地味だけど、ありがたいな」
二回目。
《★☆☆☆ レア 素材目利き を獲得しました》
「……素材、目利き」
戦闘には関係なさそうだ。冬馬はほんの少し肩を落とした。
ところが冷蔵庫を開けた瞬間。
「……あ」
卵のパックの上に淡い光が浮かんで見えた。ひとつだけ、光の弱い卵がある。割ってみると、たしかに古くなっていた。
「素材じゃなくて、食材も目利きできるのか」
意外な使い道を見つけて、冬馬は静かに感動した。
そして三回目。
光の柱が今度は金色に染まる。
《★★☆☆ Sレア 高速移動 を獲得しました》
「Sレア!」
思わず声が出た。隣の部屋に聞こえたかもしれない。
高速移動。短時間だけ、移動速度が大幅に上がる。説明文を読んだ冬馬は少年のように目を輝かせた。
「試すしかないよな」
一Kの部屋で何を試すつもりなのか。
「高速移動!」
次の瞬間、冬馬は洗面所の扉に激突していた。
ごん、という鈍い音。
「……い、痛い。でも速かった……」
額をさすりながら冬馬は笑った。
三十三歳の土曜の夜。賃貸一Kの部屋でおじさんがひとり扉にぶつかって笑っている。絵面としてはあまり褒められたものではない。
けれど彼の頭の中ではすでに明日以降の計画が組み上がっていた。
身体強化と、高速移動と、素材目利き。そして、短剣。
月曜に有給の申請を出そう。
そう決めたところで冷めかけの餃子に箸をつけた。




