第1話 ある日、近所にダンジョンができた
土曜日の朝九時。
椎葉冬馬、三十三歳は布団の中でスマホを握りしめていた。
画面に映っているのはニュース速報――ではない。メンテナンス明けのスマホゲームの告知だ。
『本日より新ガチャ開催! 期間限定キャラ、排出確率アップ!』
「……来たな」
寝癖もそのままに冬馬は真剣な顔でガチャ画面を開く。
このゲームを始めて八年。月々の課金額は平均して三万円。会社員としては堅実に暮らしているつもりだが課金に関してだけは自分でも首をかしげるほどの情熱があった。
「十連、いくぞ」
指先を滑らせる。画面が暗転し、光の演出が走る。
虹色だ。
「おっ、おっ、おおっ……!」
出てきたのはすでに持っているキャラの、かぶりだった。
「……爆死、と」
冬馬は静かにスマホを伏せた。三千円が跡形もなく消えた。
そのとき、枕元でスマホがぴこん、ぴこん、ぴこん、と立て続けに鳴った。ニュース速報の通知だ。ガチャ後の傷心に追い打ちとは空気の読めないやつである。
『速報 全国各地で洞窟状の入口が出現』
『警察・自衛隊が現場を封鎖』
「洞窟?」
テレビをつけると、アナウンサーが珍しく言葉に詰まっていた。
『繰り返しお伝えします。今朝未明、北海道から沖縄まで全国百か所以上で昨日まで存在しなかった地下への入口が確認されました。現在、内部の状況は不明です……』
画面が切り替わる。畑の真ん中。住宅街の公園。駅前のロータリー。そのどれもに石造りの階段がぽっかりと地下へ口を開けていた。
「へえ。すごいな」
冬馬はあくびをして、冷蔵庫から麦茶を出した。
「まあ、俺には関係ないだろ」
それが大きな間違いだと気づくのはもう少し先のことになる。
その後の二週間で世の中はひっくり返った。
調査に入った自衛隊が確認したのは入口の先が広大な地下空間になっていること。そこにスライムのような怪物が棲んでいること。そして、倒した怪物が不思議な素材を落とすこと。
その素材を調べた研究機関が目を剥いた。
製薬会社は「新薬の原料になる」と色めき立ち、半導体の関連メーカーは「今までにない特性を持つ材料だ」と騒ぎ出した。
政府は異例の速さで素材の買い取りと探索者の登録を行う制度を整えた。運営するのは「探索者ギルド」。ダンジョン前には臨時の窓口が次々と設けられた。
しかもダンジョンが現れたのは日本だけだった。
結果、世界中から志願者が殺到した。羽田も成田も剣や盾を背負った外国人でごった返し、ワイドショーでは毎日「本日の探索者入国数」が速報される始末である。
人々はこの洞窟をいつしか「ダンジョン」と呼ぶようになった。
冬馬の自宅から電車で二十分、江東区の湾岸にできた大型の一つは、「新東京ダンジョン」と呼ばれている。理由は近くの再開発地区が「新東京ベイタウン」という名前だったからという実に投げやりなものだった。
月曜日の昼休み。
「先輩! スライムの核、一個三千円ですよ! 三千円!」
後輩の乙部がスマホの買取表を突きつけてきた。
「……でお前は行くのか」
「辞表、書いてます」
「早まるな」
冬馬は弁当の唐揚げを口に運びながらため息をついた。
危ないに決まっている。ダンジョン内の死者は今のところゼロらしいが負傷者は毎日のように出ている。三十三歳の運動不足おじさんが行く場所ではない。階段を二階ぶん上がっただけで息が切れるのだ。
「死んだら元も子もないだろ」
「でも先輩、ガチャ代、毎月三万って言ってたじゃないですか。ダンジョンで稼げたらそれ全部まかなえますよ」
「……」
冬馬の箸が止まった。
ガチャ代を自力で稼ぐ。
それは課金勢にとって、ある意味、究極の夢ではないだろうか。
「ちなみに乙部、会社を辞めたらどうするんだ」
「だから稼ぎます!」
「計画性のかけらもないな」
言いながら冬馬の頭の中ではすでに電卓が叩かれていた。
その日の夜、冬馬は押し入れの奥から金属バットを引っ張り出した。
五年前まで所属していた、社会人草野球チームの備品だ。チームの解散と同時になぜか持って帰ってきてしまったのである。
「……まあ、見学だけだ。見学だけ」
そう言いながらバットを三回、素振りした。
三回目で腰が鳴った。
土曜日。新東京ダンジョン前。
湾岸の空き地にプレハブ造りの窓口と、それを取り囲む長蛇の列ができていた。
作業着の若者、剣道着の青年、ホームセンターの装備で固めた主婦。あちこちから外国語が飛び交っている。ジャージ姿で金属バットを担いだおじさんは冬馬ひとりだった。
視線を感じる。
気のせいだ、と冬馬は思うことにした。
一時間並んでようやく順番が回ってきた。
「探索者登録ですね。本人確認書類と、健康診断書をお願いします」
窓口の女性は名札に「保科」とあった。にこやかだが目の下に深いクマがある。この二週間、ずっと忙しかったのだろう。
「椎葉冬馬さん、三十三歳……装備はお持ちですか?」
「バットです」
「……草野球用の?」
「はい」
「…………ご武運を」
保科さんの優しさが胸にしみた。
講習は三十分で終わった。要点は三つ。
一、無理をしない。
二、最初のうちは一階層より下に行かない。
三、魔物の素材は必ずギルドで査定を受ける。
最後に手渡されたのはクレジットカードほどの大きさの探索者証だった。ランクの欄には「F」の一文字。登録料の五千円を払うと、財布には八千円と小銭が残った。
窓口の脇には素材の買取表が貼り出されている。
――スライムの核 一個 三千円
――角ウサギの角 一本 二千円
――ゴブリンの牙 一本 五千円
「……ゴブリン、高いな」
冬馬は買取表を睨みながらバットを担ぎ直した。
ダンジョンの入口は石造りの階段だった。
ひんやりした空気。壁にはぼんやりと光る苔が生えていて、懐中電灯がなくても歩ける程度に明るい。
「意外と、普通だな」
階段を降りきると、洞窟のような通路が広がった。冬馬はバットを握り直し、おそるおそる奥へ進む。
最初の遭遇は五分後だった。
膝丈ほどの、青く半透明な、ぷるぷるした塊。
「……スライム」
間違いなくスライムだった。講習の資料にも写真が載っていた。攻撃力は低く、初心者向け、とのことだった。
「よし」
冬馬は大きく振りかぶった。
カァン!
バットはスライムの体にぼよんと弾かれた。
「うおっ」
反動で尻餅をつく。その顔面めがけて、スライムが体当たりしてきた。
「ぐえっ」
痛くはない。ただ、びしゃっと冷たい。
「初心者向けって言っただろ……!」
そこから冬馬とスライムの戦いは十分にわたって続いた。
三十三歳が膝丈のゼリーと、真剣に殴り合う。他の探索者に見られていたらたぶん動画に撮られていた。
「はあ、はあ……こ、これでどうだ!」
七回目のフルスイングが核を捉えた。
ぱん、と軽い音を立ててスライムが弾け、後にはビー玉ほどの透明な球体が残る。
「やった……」
冬馬はその場に座り込み、肩で息をした。スライム一匹でこの有様だ。やはり向いていない。核を拾ったら今日は帰ろう――。
そのときだった。
《初討伐を確認しました》
「……え?」
目の前に半透明の画面が浮かんでいた。
《スキル「リアル課金」を獲得しました》
「リアル……課金?」
冬馬は目をこすった。画面は消えない。指で触れてみると、説明文が開いた。
【スキル:リアル課金】
所持金を消費して、ガチャを回すことができる。
1回 1,000円
排出対象:武器/防具/スキル/アイテム/ペットサモンカード
※ペットは一種のみ。同じカードの重複で強化可能(最大5段階)
※初回限定:Sレア以上確定
【提供割合】
レア ★☆☆☆ 65%
Sレア ★★☆☆ 25%
SSレア ★★★☆ 9%
SSSレア ★★★★ 1%
冬馬は画面を三回読み返した。
「……提供割合がちゃんと表示されてる」
最近のソシャゲよりよほど良心的だった。
「いやいや、そこじゃない」
自分にツッコミを入れて、深呼吸する。
スキル。ガチャ。所持金を消費。
この二週間、ネットで噂されていた。魔物を倒すと、ごく稀にスキルが目覚める人がいる、と。まさか自分がそうなるとは思っていなかったが。
「名前がストレートすぎるだろ、リアル課金って……」
財布を開く。八千円と小銭。
画面には、「課金しますか? はい/いいえ」の二択が浮かんでいる。
冬馬は三十秒ほど悩んだ。結果は最初から見えていた。この男にとって、「初回限定・Sレア以上確定」の文字は、「どうぞ飛び込んでください」と言っているのに等しい。
「はい」を押す。
財布から千円札が一枚、ふわりと浮かび上がり光の粒になって消えた。
「うわ、本当に消えた……!」
ゲームの課金には慣れている冬馬も財布の中身が本当に溶けるのは初めての経験だった。手のひらに汗がにじむ。
画面が暗転する。光の柱。重々しい効果音。
「……来い」
画面の中央で光が金色に弾けた。
《★★☆☆ Sレア 紫電の短剣 を獲得しました》
冬馬の右手に一本の短剣が現れた。
刃渡りは四十センチほど。深い紫色の刀身にときおり細い稲妻が走っている。
「Sレア、か」
つぶやく声はわずかに不満げだった。
「初回確定でSレア。まあ、妥当だな。SSSが出るのはたいてい二回目以降なんだ」
誰も聞いていないのに解説してしまった。ガチャ歴八年の悲しい習性である。
そのとき、通路の奥でぷるん、と音がした。
二匹目のスライムだ。
「…………」
冬馬は立ち上がり短剣を軽く握った。思ったよりずっと軽い。手に吸いつくようだ。
「試してみるか」
走り出す。体が妙に軽い。すれ違いざま短剣をふわりと振る。
ばちっ。
青白い火花が散って、スライムは悲鳴を上げる暇もなく、ぱんと弾けた。転がるのはビー玉サイズの核。
「……一撃?」
さっきの十分間は何だったのか。
三匹目。一撃。四匹目。一撃。
五匹目は冬馬が近づく前に刀身から飛んだ稲妻に撃ち抜かれた。
気づけば一時間が経ち、足元の布袋には十二個の核が揃っていた。
「十二個で一個三千円だから……」
頭の中の電卓が静かに答えを弾き出す。
三万六千円。
「一時間で三万六千円……」
さっき消えた千円は最初の一匹ぶんで余裕で回収できた。会社の時給に換算するといくらだろう。考えるだけで虚しくなってきた。
冬馬は短剣の刀身に走る紫の稲妻をしばし眺めていた。
世界中の人々が騒いでいる。ダンジョンとは何か。なぜ日本だけに現れたのか。魔物はどこから来たのか。
そういうことは偉い人たちが考えてくれるだろう。
三十三歳のおじさんが今考えるべきことはたったひとつだ。
「……これ、普通に働くより稼げるんじゃないか?」
財布にはまだ七千円ある。
そして視界の隅ではまだ回していないガチャが静かに彼を待っていた。
お読みいただき、ありがとうございました。
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