第15話 バットは、ようやく仕事をした
土曜日、午後一時。
ギルドの模擬戦闘施設、Aホール。
円形の闘技場をすり鉢状の観客席が囲んでいる。観客席はほぼ満席だった。
「バットのおじさんが獅子堂さんと戦うらしいぞ」
「どっちに賭ける?」
「そりゃ、獅子堂さんだろ」
「でも噂じゃ、岩亀を倒したとか」
「あれは毛玉の仕業だって」
観客席は予想以上の人入りで冬馬は控え室の窓からそっと外を覗いて、頭を抱えた。
「…………帰りたい」
「冬馬さん、落ち着いてください」
レオニーさんがお茶を差し出してくれた。
「ポムちゃんは観客席で私と一緒に見ていますね」
「はい。従魔は模擬戦に参加できませんから」
「ぷう……」
ポムが冬馬の足にしがみついて、離れない。
「大丈夫だ。すぐ、終わらせて、帰ってくる。ご飯は焼肉にしよう」
「ぷうっ!」
一瞬で元気になった。
係員がドアをノックした。
「椎葉さん、時間です」
「はい」
冬馬は立ち上がった。
コートの襟を直す。短剣の鞘を確かめる。そして、背中のバットを握り直した。
「……行ってきます」
闘技場の中央に獅子堂が立っていた。
背中の大剣を右手に携えている。刀身の幅だけで冬馬の胴体ほどもありそうだ。
「来たか。逃げなかったな」
「約束ですから」
「そのバットは飾りか」
「さあ、どうでしょう」
冬馬はとぼけて見せた。
ルールの説明が始まる。
闘技場の四隅には淡く光る石柱が立っている。結界石だ。致命傷になる攻撃を受けた者の体に保護の力が働く。その時点で戦闘不能と判定され、勝敗が決まる。
「それでは始め!」
審判の声と同時に獅子堂が地面を蹴った。
速い。
巨体が一瞬で距離を詰めてくる。大剣が頭上に振り上げられる。
「ふんっ!」
振り下ろされた刃が空気を裂いた。
冬馬は動かなかった。
(直後に動く。直後に動く)
レオニーさんの教えを頭の中で繰り返す。
どおん!
衝撃波が冬馬の全身を打った。
観客席がどよめく。
「直撃だ!」
「終わったか!?」
砂埃が舞い上がる。
その向こうで冬馬は立っていた。
コートの裾がゆらりと揺れている。足元の地面が少しだけ、凹んでいた。
「…………痛いな、これ」
実際、痛くはあった。魔力障壁と、月影のコートの衝撃軽減を全部足してもじんじんと響く。
だが立っていた。
「なに……!?」
獅子堂の目が見開かれた。
「今ので倒れないだと」
「頑丈なコートなので」
「ふざけるな!」
怒号と共に二撃目。三撃目。四撃目。
大剣が唸りを上げて、冬馬を襲う。衝撃波が闘技場の床をえぐっていく。
冬馬は動かない。
いや、動いている。
(直後。……今だ)
大剣が大きく空振った、その瞬間。
「高速移動」
冬馬の姿が掻き消えた。
次の瞬間、獅子堂の背後に立っていた。
「……!」
獅子堂が振り向く。
その視線の先で冬馬は短剣を鞘から抜いていなかった。
代わりに背中のバットを構えていた。
「あ」
誰かの、間の抜けた声が観客席から聞こえた。
「バット、使うんだ」
冬馬は足を肩幅より少し広く開いた。重心をやや前に。腰は落としすぎない。
社会人野球の、バッティングフォーム。
身体強化Ⅰと、剛腕と、疾風の籠手。
フルスイング。
カァン!!
闘技場に澄んだ金属音が響き渡った。
獅子堂の握る大剣が真っ二つにへし折れて、宙を舞った。
刃の半分が観客席の上を飛び越えて、天井の梁に突き刺さった。
静寂。
ぶらん、と、獅子堂の手に柄だけがぶら下がっていた。
「…………は?」
獅子堂は柄をじっと見つめた。
冬馬はバットを肩にひょいと担いだ。
「すみません。一応、鑑定で刃の弱いところを探したので。あそこがいちばん、脆かったみたいです」
「……鑑定、だと」
「ええ」
獅子堂は折れた柄を握りしめたまま立ち尽くしていた。
結界石がぱあっと、光を放った。
「それまで! 勝者、椎葉冬馬!」
審判の声がホールに響いた。
一拍、遅れて。
観客席が爆発した。
「うおおおおおお!!」
「バットで斬った!」
「違う、折ったんだ!」
「バットのおじさん、本物だった!!」
歓声が天井を揺らす。
「ぷううううっ!!」
ひときわ大きな声が観客席の最前列から聞こえた。ポムがレオニーさんの腕の中でぶんぶんと、手足を振っている。
冬馬はバットを担いだまま苦笑して、観客席に手を振った。
(……俺が使ったの、バットだけだな)
短剣も鞘に収まったままだった。
「…………待て」
低い声が背後から聞こえた。
振り向くと、獅子堂がうつむいたまま立っていた。肩が小刻みに震えている。
「……お前、何者だ」
「ただの、会社員です」
「ふざけるな」
「いえ、本当に。平日は会社で経理をやってます」
「…………」
獅子堂が顔を上げた。その表情は怒りと、困惑と、そして、わずかな、笑みが入り混じっていた。
「……面白い」
獅子堂は折れた柄をそっと地面に置いた。
「負けた。完敗だ」
「…………」
「俺の大剣はギルドが認定した、特注品だ。それを草野球のバットで折られるとはな」
「す、すみません。弁償は」
「いらん。負けは負けだ」
獅子堂は一歩、近づいてきた。
「椎葉冬馬。名前を覚えておこう」
「ははい」
「次はもっと、本気でやる」
「えっ、今のは本気では」
「あれは準備運動だ」
獅子堂はにやりと、笑った。
闘技場を去っていく背中は不思議と、清々しかった。




