第14話 居酒屋と、一週間の特訓
平日の夜。ギルドの訓練場。
仕事を終えた冬馬は、スーツのまま駆け込んで、更衣室でジャージに着替えた。三十三歳の社会人が、残業をぶった切って来ているのだ。意地でも、収穫を持ち帰りたい。
「お疲れさまです、冬馬さん」
「お疲れさまです、レオニーさん。すみません、遅くなって」
「いえ。時間は、たっぷりありますから」
広い訓練場の隅で、レオニーさんが、木製の模擬剣を二本、構えて待っていた。足元には、ポムが、おとなしく座っている。
「では、基本から、始めましょうか」
「お、お手柔らかに」
レオニーさんが、木剣を、すっと冬馬に差し出す。
「冬馬さんは、剣術を、習ったことは?」
「ないです。あ、野球は、少しだけ」
「やきゅう」
「バットを、振る競技です」
「……なるほど。つまり、あの噂のバットは、そういう」
「噂は、全部、誤解なんです」
レオニーさんは、くすりと笑って、構えを取った。
「足の位置は、肩幅より、少し広く。重心は、やや前に。腰は、落としすぎないで」
指導は、驚くほど丁寧だった。冬馬の足を、そっと動かしてくれる。手の位置を、指先で、修正してくれる。
近い。距離が、近い。
(落ち着け。教わっているだけだ。相手は二十二歳だ。三十三歳が、動揺してどうする)
「冬馬さん、集中してください」
「は、はい!」
「ぷう」
足元のポムが、ため息のような声を漏らした。見透かされた気がした。
しばらく、素振りと、受け身の練習をした。
「冬馬さんは、足が速いので、実は、受けるより、避ける方が向いています」
「そうですか」
「はい。高速移動の使い方も、少し、工夫できると思います。相手の攻撃の、直前ではなく、直後に動くんです」
「直後」
「大きな攻撃ほど、直後に、隙が生まれます。そこを、狙うのです」
言われてみれば、岩亀も、結晶鹿も、そうだった。
「なるほど。勉強になります」
「冬馬さんは、素直ですね」
「それだけが、取り柄でして」
三日目、四日目と、冬馬は、仕事帰りに訓練場に通い続けた。最初は、全身が筋肉痛だったが、五日目には、身体強化Ⅰのおかげか、だいぶ慣れてきた。
金曜日の夜。
「よし、バット。景気づけだ」
鷲尾さんが、予約していた居酒屋の座敷で、ジョッキを掲げた。
「乾杯!」
「乾杯!」
「ぷうっ!」
レオニーさんは、烏龍茶。ポムは、ミルク。冬馬と鷲尾さんは、生ビールだ。
「しかし、お前は、変わった奴だな」
鷲尾さんは、串焼きをかじりながら、笑った。
「最初は、草野球のバットを担いだ、冴えないおじさんだと思ったんだが」
「冴えないおじさん、ですね」
「だが、二階層で、三体のゴブリンを、一瞬で。そして、岩亀を、毛玉が一撃。何者なんだ、本当に」
「ただの会社員です」
「会社員が、岩亀を倒すか」
「ポムが、倒しました」
「ぷう!」
ポムが、胸を張った。鷲尾さんが、また、豪快に笑った。
唐揚げの皿が、運ばれてくる。ポムが、一瞬で、十個を平らげた。店員さんが、目を丸くしている。
「獅子堂のことだがな」
鷲尾さんが、ジョッキを置いた。声が、少しだけ、低くなった。
「あいつは、もともと、実業団のラグビー選手だった。日本代表候補にも、名前が挙がっていたらしい」
「ラグビー……」
「だが、膝を、壊した。競技人生は、そこで、終わりだ」
冬馬は、箸を止めた。
「ダンジョンができたとき、真っ先に、飛び込んだのが、獅子堂だ。体を動かす場所を、失っていたんだろうな」
「…………」
「口は悪い。態度もでかい。弱い奴を見ると、すぐ、見下す。だがな、あれは、たぶん」
鷲尾さんは、遠くを見るような目をした。
「弱さを、人に、見せたくないだけなんだ」
レオニーさんが、静かに、烏龍茶を飲んでいる。
「……そうだったんですね」
冬馬は、ビールを、ひとくち飲んだ。
「でも、勝負は、勝負ですから」
「ほう」
「手加減は、しません。三十万円が、かかってますから」
「そこかよ」
鷲尾さんが、また、吹き出した。
「いい。実に、いい。それでこそ、バットだ」
座敷が、笑い声に包まれた。
ポムは、いつの間にか、冬馬の膝の上で、丸くなって、すうすうと寝息を立てていた。
唐揚げの皿は、きれいに、空っぽだった。




