第12話 提示額に、桁がひとつ多い
夕方のギルド。
買取窓口の千景さんは、結晶鹿の角を、手袋をはめた両手で、そっと持ち上げた。
「…………」
長い、長い沈黙。
「あの、千景さん?」
「椎葉さん。少し、お待ちください」
千景さんは、角を、そっと台に置いた。そして、奥に引っ込んで、電話をかけ始めた。
数分後、戻ってきた千景さんの顔は、少しだけ青ざめていた。
「先方の担当者が、今から、こちらに来られます」
「今から、ですか」
「はい。その、ええと、すごく、慌てていました」
三十分後。
スーツ姿の青年が、息を切らして、ギルドに駆け込んできた。年は、三十前後だろうか。髪をきっちり整え、清潔感のある好青年だ。
「ハルカゼ・マテリアルズの、日向と申します」
名刺を、両手で差し出される。冬馬は、ぎこちなく受け取った。
「椎葉です。あ、こっちが、ポムで、こちらが、レオニーさん」
「ぷう」
「…………」
日向さんは、ポムに会釈したあと、台の上の角に目を移した。
息を、呑んだ。
「これは……」
日向さんは、持参した検査機を、角に当てた。数値を見て、また、息を呑んだ。
「間違いありません。完璧な状態の、結晶鹿の角です。傷ひとつ、ない」
「そうですか。よかったです」
「…………」
日向さんは、深呼吸をして、冬馬を、まっすぐ見た。
「椎葉さん。弊社から、正式に、買取のご提案をさせていただきます」
電卓の画面を、冬馬に見せる。
冬馬は、画面を見た。
もう一度、見た。
三度、見た。
「…………桁、間違ってませんか」
「間違っていません」
画面に表示された数字は、二百八十万円だった。
「にひゃく、はちじゅう、まん」
冬馬の頭が、真っ白になった。
「角の一対で、です。弊社の次世代の製造ラインにおいて、極めて重要な素材なのです。市場では、まず、手に入らないものでして」
「…………レオニーさん」
「はい」
「聞こえました?」
「聞こえました。……夢では、ないですよね」
レオニーさんは、自分の頬を、そっとつねっていた。
冬馬は、深く息を吐いた。
「お願いします」
「ありがとうございます!」
日向さんが、深く頭を下げた。
「今後も、結晶鹿に限らず、深い階層で得られる素材については、ぜひ、ご相談ください。優先的に、お取引できればと」
「あ、はい。こちらこそ」
名刺を、もう一度、握りしめる。
人生で、一度に動く金額としては、過去最高だ。
窓口を離れて、ロビーのベンチに座る。
レオニーさんは、まだ、ぼうっとしていた。
「……あの、冬馬さん」
「はい」
「分配は、どのように?」
「半分ずつです」
「えっ」
レオニーさんが、目を丸くした。
「待ってください。それは、いけません。あの角を倒せたのは、ほとんど、冬馬さんの」
「いや、囮を、レオニーさんがやってくれたからです。あの引きつけがなかったら、近づけませんでした」
「でも」
「パーティですから。等分です」
「…………」
レオニーさんは、唇を引き結んで、しばらく、黙っていた。
「冬馬さん。私、この国に来たとき、持ち金が、ほとんど、ありませんでした」
「……え」
「ホテルの宿泊費が、思ったよりも高くて。折れた剣を、修理に出せなくて。実は、昨夜も、カップ麺でした」
「カップ麺」
「はい。日本のカップ麺は、とても、おいしいです」
レオニーさんは、泣き笑いのような顔で、笑った。
冬馬は、胸が、きゅっと痛んだ。
「……それなら、なおさら、受け取ってください。ちゃんと、あなたが、稼いだお金です」
「…………」
レオニーさんは、目に溜まった涙を、指で拭った。
「……ありがとうございます。大切に、使います」
「ぷう」
ポムが、二人の間に、ちょこんと座って、レオニーさんの膝に頭を乗せた。
夜。冬馬の自宅の近くのファミレス。
「報酬の、使い道を、決めましょう」
レオニーさんが、ノートを広げていた。几帳面に、罫線が引かれている。
「冬馬さん。ここで、ひとつ、真剣に、お話ししたいことがあります」
「なんでしょう」
「冬馬さんは、稼いだお金のほとんどを、ガチャという、スキルに使われていますよね」
「……はい」
「それは、私は、少し、心配なのです」
レオニーさんは、真剣な表情で、冬馬を見つめた。
「もちろん、ガチャで、冬馬さんが強くなっていることは、わかります。ですが、手元のお金が、すべて消えてしまっては、もしもの時に」
「あ、それなら」
冬馬は、スマホを取り出した。
「これ、見てもらっていいですか」
画面に表示したのは、家計簿アプリだった。
レオニーさんは、画面を見て、目を丸くした。
「こ、これは」
月ごとの収入。貯金額。生活費。固定費。ポムの食費。そして、「ガチャ予算」という項目。
「ガチャ予算が、月、三万円……?」
「はい。八年前から、ずっと、月三万円と決めているんです。これだけは、八年間、一回も破ってません」
「八年間」
「今回は、収入が増えたので、予算を、五万円に増やそうと思っているんですけど」
「五万円」
レオニーさんは、しばらく、画面を見つめて、それから、ゆっくりと、顔を上げた。
「……冬馬さんの、今日の収入は、百四十万円ですよね」
「はい」
「それでも、予算は、五万円なのですか」
「はい。月の予算を超えるのは、気持ち悪いので」
「…………」
レオニーさんの目が、やさしく、細まった。
「冬馬さんは、無計画に見えて、とても、計画的な方なのですね」
「えっ、そう見えてました?」
「はい。最初、『ただの課金好きなおじさん』とおっしゃったので、もっと、豪快な方かと」
「豪快では、ないですね。小心者です」
レオニーさんが、くすくすと笑った。
「それなら、安心しました」
その夜、冬馬は、レオニーさんの目の前で、ガチャを回した。
二十連。
レアの山の中に、確定枠が、きらりと光る。
《★★☆☆ Sレア 白銀の胸当て》
《★★☆☆ Sレア 剛腕》
《★★☆☆ Sレア 自動照準》
《★★☆☆ Sレア 魔力障壁》
「あ、胸当て。レオニーさん、使います?」
「えっ」
「軽くて、丈夫そうです。たぶん、サイズも、合うと思います。俺には、ちょっと、小さいので」
白銀の胸当ては、レオニーさんの体に、不思議なほど、ぴったりと馴染んだ。
「これは、とても、素敵です……」
鏡の前に立って、レオニーさんは、うっとりと見とれていた。ポムが、足元で、ぷうぷう言いながら、くるくる回っている。
「冬馬さん」
「はい」
「いつか、必ず、お返しします」
「いえ、パーティですから」
「それでも、です」
レオニーさんの笑顔は、とても、まぶしかった。
冬馬は、少しだけ、照れて、頬をかいた。




