第11話 結晶の谷と、三人の初陣
翌週の土曜日。ギルドのロビー。
約束の時間の十分前に、レオニーさんは現れた。背中には、新しい鋼鉄の長剣。腰には、小さなバスケットを提げている。
「おはようございます、冬馬さん、ポムちゃん」
「おはようございます。……そのバスケットは?」
「サンドイッチを作ってきました。ポムちゃんの分も、たくさん」
「ぷうっ!」
冬馬の肩の上で、ポムが、全身をぶるぶる震わせた。
「待て、ポム。ダンジョンに入ってからだ」
「ぷう……」
悲しそうな顔をされると、胸が痛い。レオニーさんが、くすくすと笑った。
「ちゃんと、ポムちゃんの分は、確保してありますから」
「ありがとうございます。助かります」
食費が月九万円の生き物を相手にしていると、人の優しさが、しみる。
買取窓口の千景さんが、手招きしていた。
「椎葉さん、ちょうどいいところに。ご相談があります」
「相談、ですか」
「はい。三階層の奥に、『結晶の谷』と呼ばれるエリアがあります。そこに、結晶鹿という魔物が、稀に現れるんです」
千景さんは、声を落とした。
「その角が、ある半導体メーカーの、特別な依頼品になっていまして。ギルドを通して、募集がかかっています」
「依頼品、ですか」
「ただし、角に傷がつくと、価値が大きく下がります。倒し方に、細かい工夫が必要です。難しいと言われて、誰も、まだ持ち帰れていません」
「なるほど」
冬馬は、レオニーさんを見た。
「やってみませんか」
「はい。ぜひ」
レオニーさんは、力強く頷いた。
三階層の森を抜けて、さらに奥へ。
谷は、息を呑むほど、美しかった。
切り立った岩壁のあちこちから、透明な結晶が、にょきにょきと生えている。結晶は、淡い青や、紫や、緑に光っていた。足元の水たまりには、その光が映り込んで、まるで、星空の上を歩いているようだ。
「綺麗ですね……」
「はい。写真を撮りたいです」
レオニーさんは、ついスマホを取り出してしまってから、慌てて、しまった。
「失礼しました。集中します」
歩きながら、冬馬は、尋ねた。
「レオニーさんは、ドイツで、どんな訓練を?」
「中世ヨーロッパの剣術を、競技として、八年ほど続けていました。主に、長剣です」
「剣術の、競技」
「はい。大会では、ヨーロッパで、三位になったこともあります」
「ヨーロッパで三位」
さらっと言うが、とんでもない経歴だ。
「そんな人が、折れた剣でホブゴブリンを倒してたのか」
「あ、あれは、必死だっただけで……」
頬を赤くするレオニーさんを見て、肩の上のポムが、ぷう、と同意するように鳴いた。
そのとき。
谷の奥で、ガラスを叩くような、澄んだ音が響いた。
きぃん。きぃん。
三人は、足を止めた。
岩の陰から、ゆっくりと、巨大な影が現れた。
体高は、二メートルを超えるだろう。優美な体つき。そして、頭の上には、水晶のように透き通った、見事な二本の角。
角の先端が、青白く、きらきらと光っている。
《結晶鹿 体高二・五メートル 弱点:角の付け根 素材:結晶の角(損傷に注意)》
鑑定Ⅱが、淡々と告げる。
「角の付け根が、弱点です。でも、角に傷をつけてはいけません」
「難しい条件ですね」
「ポム。今回は、光球は、禁止だ」
「ぷっ!?」
ポムが、がびーんと、固まった。
「お前の魔法は、強すぎて、角まで浄化しちゃうかもしれないからな。我慢してくれ。後で、サンドイッチ、いっぱい食べていいから」
ポムは、しばらく、しょんぼりした顔をしていたが、やがて、こくりと頷いた。
「ありがとう。いい子だ」
結晶鹿が、頭を下げた。角の先端が、冬馬たちを向く。
「来ます!」
角の先から、無数の氷の結晶が、散弾のように放たれた。
「高速移動!」
冬馬は、左へ。レオニーさんは、右へ。それぞれ、岩陰に飛び込む。
結晶は、岩壁に突き刺さり、きらきらと砕け散った。
「レオニーさん、囮をお願いできますか! 俺が、背後から、付け根を狙います!」
「了解しました!」
レオニーさんが、長剣を構えて、飛び出した。
鹿の前に、真っ向から立つ。
「こちらです!」
鹿が、角を振り下ろす。レオニーさんは、紙一重で、横に流す。
刃と、角が、ぶつかる直前。長剣が、角の側面を、そっと撫でるように滑った。傷は、つけない。それでいて、攻撃の軌道を完全にそらす。
「うわ、すごい」
冬馬は、思わず、声を漏らした。
競技で鍛えた、緻密な剣さばき。すれすれの距離を保ちながら、レオニーさんは、鹿を、完全に引きつけていた。
今だ。
「高速移動!」
紫の稲妻が、鹿の背後に回り込む。
冬馬は、短剣を、鹿の角の付け根に、そっと突き立てた。
ばちん。
電撃が、神経を走り抜ける。
結晶鹿は、びくんと体を震わせて、膝から崩れた。
光の粒が、舞い上がる。
鹿の体が、ゆっくりと消えていく。
後には、二本の角が、静かに、地面に残された。
透き通った、傷ひとつない、水晶の角。
「…………やった」
冬馬は、膝に手をついた。
「やりましたね、冬馬さん!」
レオニーさんが、駆け寄ってきた。顔が、嬉しそうに輝いている。
「レオニーさんの囮が、完璧でした」
「いえ、冬馬さんの一撃が、すごかったです」
「ぷうううっ!」
ポムが、冬馬の肩の上で、ぴょんぴょん跳ねている。
「ああ、わかってる。約束だ。サンドイッチな」
レオニーさんが、バスケットを開けた。
谷の中の、ささやかな昼食。ポムは、サンドイッチを、五個、あっという間にたいらげた。
素材目利きが、鹿の角に、今までで一番まぶしい光を映していた。




