5話 歴史は生まれ、語られる 上
Ⅰ
馬で乗り付けてみると、ユーノスの家は並のナイトらしく、小奇麗だが手狭な邸で、庭で刀の稽古などすれば隣人に見られるようなところである。
もちろん、その庭に池や花木などなく、生垣としての椿がある程度整えられているばかりである。
男の使用人がいなければ、ユーノスが一人で手入れしているのであろう。
「フィガロさまのお宅とは勝手が違いすぎるでしょうが」
ユーノスは恥ずかしそうに案内する。
「いや、そんなには違わないよ。大学の先生もナイト・デピュティもそんなに儲からないからね」
「そう、……ですか?」
話しながら、初めてユーノスから名前で呼ばれたことに気が付く。
「アイラ、フィガロさまがお越しだよ」
ユーノスは障子の前で声をかける。
ちゃんと簾の中に隠れろ、という合図だ。
今のナイトの家ではあまり見られない礼儀である。
小さな声がしてから、ユーノスは戸を開ける。
簾の向こうで、体を小さくしてお辞儀をしているような影が見えた。
顔も着物も、髪の長さも見えない。
気持ちばかり、花の香りがする。
何となく、フィガロは懐かしさと畏敬を覚えた。
「顔を上げて。俺はフィガロ。君のお兄さんと同じナイトだ。汗臭かったらごめん」
影はゆっくりと体を起こす。
髪がはらはらと揺れるのが見えた。
「いいえ、そのようなこと。お初にお目にかかり嬉しゅう存じます」
客に会うと思えば、昨日ユーノスにねだったような態度は取らない。
妹の新しい一面を見たようで、ユーノスにも驚かれた。
「今日は仕事を急いで終わらせて来てくださったんだよ。お礼を」
「ありがとう存じます」
「いいよ。別に俺も仕事好きじゃないから。ユーノスもそうだろう?」
ユーノスは愛想笑いする。
「……と、聞かれても『はい』とは答えづらいのですが」
「はは。仕事好きなんて馬鹿なやつしかいないよ。大体みんな、家族や友だちと遊んでいたいもの。仕事なんてそのための小遣い稼ぎにすぎない」
「私もそう存じます。兄さまも、もっとお休みなさればよいのに」
「いや、あの……」
ユーノスは照れている。
「うん。分かるよ。でもね、そうすると俺の仕事が増えて困るんだ」
「あらまあ」
「お兄さんみたいな人がうちにいてくれるのは本当に助かるよ。ニッチな需要というやつだ」
「にっち……?」
「ちゃんとした家の子だなって思うよ。腕っぷしの実力派ばかりじゃどうにも」
簾の向こうでアイラは首をかしげている。
ユーノスは膝を進めて、フィガロを牽制した。
「はい。父から受け継いだ家を守ろうと思っております」
「うん。良い心構えだ。俺が引っ張り上げて、もっと良い暮らしをさせてあげよう」
簾越しでは、アイラの表情は見えない。
「まあ、俺が出世できたらだけどね。さっき言った通り、仕事人間ではないから。飢え死するほど貧乏ってわけでもないなら、下手な武功を立てるより、かわいい部下と遊んで余暇を有意義に過ごしたい」
「下手な武功?」
ユーノスが聞き返す。
「ホライズ家――レディ・フレアのお家みたいな」
「ああ」
ユーノスは分かったような返事をする。
アイラは全く、政治やその歴史を教わってこなかった。
「フレアさまのお家がどうなさいました? 兄さま、お傍でお守りしていたのでは」
フィガロはちらとユーノスの表情を窺った。
純粋な姫君に難しく汚い話は教えたくないのだろうと思ったからだ。
ユーノスは同じ顔をしていた。
「男の話さ。男はみんな馬鹿だから、ひどいことをしないでは何も生めない。個人単位なら目立たないかもしれないけれど、国家単位では言葉にもできないような」
「こっか?」
アイラには国家という概念もないらしい。
フィガロは申し訳なさに頭を抱えつつ垂れた。
「そう、全部、悪い夢だったんだ……。
あれは俺のお祖父さんが大海原に出て神さまの国を探しているとき……、えー、大きなサメに出会って危機一髪……。……?」
フィガロが続きに困っていると、ユーノスが咳払いする。
「どんな話のそらし方ですか」
「ごめん。ありがとう」
「フィガロさまのお祖父さまは蓬莱を探しておいでだったのですか」
思わぬ食いつきに、フィガロとユーノスは腰を抜かす。
そのついでに、二人で固まって、小声で会議を開いた。
「君の妹、興味がどこに向いてるの? なんであんな小話に心躍っちゃってるの」
「すみません。漢文を避けて本を読み聞かせようと思ったらおとぎ話ばかりになってしまって」
漢文で表されるのは政治や歴史の話で、男が読み書きするものある。
一方、和文で表されるのは日記や物語など、女も読み書きできるものである。
「それにしてもどうかしてる」
「フィガロさまにしても、ご自分で収拾できる話を始めればよかったんです。例えば、」
「例えば?」
フィガロは耳を疑う。
まさか、ここから入れる保険があるとは思っていなかった。
「大きなサメに襲われるかと思ったら、燕が空からやってきて、襟をつかんで島まで運んでくれたんです。そこが蓬莱山だったと」
「君、優しいね」
フィガロとユーノスはくるりと、アイラの方へ戻った。
「危機一髪、燕が飛んで来た。燕一羽じゃどうにもならないかと思ったけれど、実はその燕が神の遣いの龍が化けていてね。お爺さんも学生たちもみんな背に乗せて蓬莱の島まで運んでくれたんだ」
フィガロの得意げな虚構に小さな歓声が聞こえる。
フィガロの中では、この瞬間こそ危機一髪であった。
Ⅱ
フィガロから押し付けられた仕事をどうにか終わらせると、午後二時を過ぎていた。
テリオスは急ぎ、パレスの外に出て、ある邸に入った。
そこはキャピタル(帝都)配属のソルジャー(軍兵士)の隊舎で、武道場では剣や体術の訓練がされている。
ナイトの有志もそこを借りて鍛錬に励んでいるのだ。
「ナイト・ヘッド!」
声をかけてきたのは、若いというより、幼さが残るソルジャーのルーキーである。
「今日は遅かったな」
「ああ。仕事が終わらなくて」
このルーキーはナイトたちと打ち解けている。
テリオスにも友人のような言葉遣いをするが、テリオスは礼儀に関して寛容である。
「ふん。ナイトは面倒そうだな。俺にはやっていられない」
「まあな。毎日同じような日誌ばかり書かされるが、誇り高い仕事ではある」
「書き物以外は、平和ぼけしたパレスの中で遊んでるだけだろ」
「おいおい、そりゃ、お前らみたいに異人の群れと戦うようなことはないがな」
「パレスの中で弓の『お稽古』だけして満足してるなら、俺たちみたいには戦えない。あんたはどうだ」
ルーキーはテリオスを誘った。
今、彼の手には木刀がある。
「俺が腕でナイト・ヘッドになったのは知っているんだろう」
「知ってる。騎馬戦では分からないが、白兵戦なら俺が勝つ。自信がある」
テリオスは木刀を手にする。
周囲のソルジャーたちは各々の鍛錬に集中している。
ナイトの隊舎とは違う雰囲気を、テリオスは気に入っていた。
二人の木刀が交わる。
Ⅲ
夕食後、テリオスはこっそりとパレスに戻る。
ナイト・ヘッドとしていつでも有事に備えたいという責務と、朝寝坊してもすぐに出勤できるようにという怠慢で、ナイトの隊舎に寝床を備えている。
一般隊士ならともかく、ヘッドには個人の部屋が設けられているので、そこに布団と着替え、他色々の荷物を置いておけば何の不便もない。
むしろ、ナイト・ヘッドが常駐している、と広まるだけでナイトに限らず宿直の者たちは安心して働ける。
昼に戦った若いソルジャーのことが気になって、パレスの庭をあちこち歩き回っているときであった。
廊下を歩く女たちの姿が遠方に見えた。
家族と夕食を共にした帰りであろう。
確信がないまま、テリオスは衝動に駆られてそちらへ忍ぶ。
プリンセスがレディが一人と、メイドが二人。
テリオスは更に近づく。
部屋から漏れる明かりに、レディの髪が輝く巻き毛であるのが見えて、テリオスは先回りした。
そして偶然居合わせたようにふるまう。
「こんばんは、レディ・フレア」
フレアは扇で顔を隠したまま、驚かず一礼する。
「ごきげんよう。ナイト・ヘッドはまだお勤め?」
「いいえ。ですが夜間も何があるか分かりませぬゆえ、こうして残っております」
「それはご苦労。良い心がけだわ。歴史は夜に動くもの、と祖父も言っていたから」
テリオスは目を覚まされた。
「あなたのお祖父さま、……ジェネラル(大将)・シャルマン・ホライズ」
「そうですわ。聞いてくださる? 先ほど、お父さまにお会いしましたの。お祖父さまは毎朝素振りをして元気ですって」
テリオスは驚いた。
フレアの祖父・元ジェネラルのシャルマンは現在六十歳代のはずである。
「お元気で何より。ですが、恐ろしくもありますな」
「ええ、ほんと。『そろそろお経を習うお年頃よ。私もお歌を頑張っているんだから』って伝えましたのに」
フレアは高笑いする。
後ろでシフォンも笑っている。
テリオスはつられて愛想笑いする。
スピアが咳払いした。
「お休みの方もいらっしゃいますので、お静かに。それでは、フレアさまも」
「あら、そうね。それでは」
レディ・フレアは一礼して去っていった。
テリオスもあきれて、今日はもう部屋に戻ることにした。




