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4話 夏を知りたり。風くゆり立つ。下

   Ⅲ


「フレアさまの句はダイナミックだったり、繊細だったり、色々な表情がございますね」


 連歌会が終わって、デイジィが言った。


「そうかしら。自分ではよく分からないわ」


「では、それがフレアさまのお心そのままなのかもしれませんね」


 フレアには、デイジィの言っていることの意味が分からなかった。



   Ⅳ


 連歌会が終わっても、アリアによる歌の訓練は続く。


「次は歌会ですから、予め決められた題に沿って、歌を準備してから行かれることになります。まずは一首、お詠みになってください」


 題は夏の朝である。


 フレアは頭をひねった。


「朝顔の……」


「打ち水を……」


「クワガタが……」


 どの歌いだしも続きが出てこない。

 アリアの表情が厳しくなる。


「そのようなご調子でデイジィさまと会われたのですか」


「だって、連歌だったらできるのよ。だいたい、歌のうまい人から始めてくれるものだもの」


「ええ。フレアさまを気遣ってそうもてなしてくださったのでしょう」


「そうかしら」


「連歌は武士が好む優しい歌会のようなもの、と知られておりますゆえ」


「ま」


 フレアは扇で口元を隠した。


「じゃ、レディ・デイジィは私のこと、歌も詠めない武士の娘ってからかってたのね」


「そうとは限りませんが」


「そうだわ! 見返してやらないと」


「どうなさってですか」


「次の歌会で私、完璧な貴族の歌を詠んでみせるわ。ねえ、どうやったら詠めるの」


 フレアは感情の起伏が激しい。

 その上、武家に生まれたことを誇ることも、一流の貴族であろうとすることもある。


「やはり、形ばかりでなく、心を知ることが必要でしょう。殿上人は心を以て帝を助け、民を守るもの。それに男女文武の差はございません」


「歌とその政の話と、なぜ一緒にするの?」


「言えらく、『歌は人の心を種として、萬の言の葉とぞなれりける』



    Ⅴ


『力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり』」


 休日のユーノスは自宅で、妹に読み聞かせていた。

 十四歳の、アイラといい、兄に似て繊細な顔立ちをしている。

 伸ばしかけの前髪が柔らかげで、香はあまり好まない。

 乳母からは大人らしくならない、と言われるが、ユーノスにはそれで構わなかった。

 父が死に、妾だった母が田舎に逃げてからは兄妹二人で暮らしてきたのだ。

 他人が何を言おうと、どんな形であろうと、妹だけは守って幸せにしてやりたい。


「言葉の遣いようでとりまく世界は変えられる。アイラは普段からきれいな言葉遣いをしているから、大丈夫だね」


「そう?」


「そうだよ」


「私、知っている言葉しか使わないわ」


「それで十分だ。汚い言葉はずっと聞かないで、知らない方がいい」


「兄さまは汚い言葉もご存じ?」


「耳にすることはあるけれどね。でも使わない。それは僕の矜持だよ。

だから今度の歌会に誘っていただけたんだ」


「すてき。どんな方がいらっしゃるの?」


「アイラも、レディたちに会いたい?」


「ええ。それから、兄さまのお友だちにもお会いしてみたい」


「友だち……」


 ユーノスは濃い色の狩衣を着ていた貴人――キャロル・セツ・ウェアクラスの姿を想起した。

 身分が違う彼を友人と呼んでよいのだろうか。

 しかし、ナイトの仲間たちを友人と呼ぶ気にはならない。

 近所に住んでいる内侍や雑記の者たちなどもそうである。


「そうだね、いつか」


 キャロルは弱冠ながら直接エンペラーに謁見したり、行幸に同行したりするような立場にある。

 父どうしの仲がよく、エンペラーとキャロルの歳も近いこと、他にも様々理由があるのだろうが、そのどれをもユーノスは持っていない。

 正確には、アクアンプ家が数代のうちに手放してしまった。

 広いとも言えない邸で、使用人も少なく、真面目に働いて暮らしていることが、たまに恥ずかしくなる。

 どうしても、キャロルを友人としてこの家に招くことはできない。


「明日にでも来てくださるお友だちはいらっしゃらないの」


「え?」


 ユーノスは寝耳に水というように、自分を信じてやまない妹の純粋な言葉に撃たれた。


「えー……」


 妹のとろけるような黒い目が兄を捉えて離さない。

 最低限、言葉が通じる人物で、妹に会わせても恥ずかしくないような、和歌も漢詩も分かる……

 ユーノスはたった一人、思い出した。



   Ⅵ


「今日の俺の仕事終わり? 明日の未明だけど」


 フィガロは文机に向かったままあっさりと答える。


「ご冗談を……」


「うん。冗談。今日の昼の二時くらいかな」


 というのも、パレスの文官の仕事はおおよそ昼までに終えられる。

 武官や下仕えなど交代制で午後に働く場合もあるが、その中でも上官はやはり文官たちと就業時間を揃えている。

 昼からは遊びという名の社交が始まるからだ。


「何かご予定などありますか」


「ないけど、どうかした? 君になら付き合うよ」


 ユーノスは本能で一歩退く。

 が、妹の頼みだと思って交渉を続ける。

 

「妹が歌会の雰囲気を味わってみたい、と」


「へえ。妹……」


 フィガロは会議資料をめくっている。


「君、妹がいたの」


 フィガロは会議資料を机に置いた。

 ユーノスの方をぐるりと向く。


「顔は似てる?」


「まあ、兄妹なので、それなりに」


「歳はいくつ」


「十四です」


「若っ! 俺なんてもう三十五……。いや、」


「何ですか」


「何でもない、何でもない。いいよ、行く。急すぎて全然何の準備もしてないけど、飛んで行くよ。一時にはここから脱出する」


 フィガロはユーノスに迫る。


「そんなに急がなくても……」


「やる気があれば早く終わる仕事もあるのさ」


「普段からやる気を出していれば発出されないお言葉ではありませんか」


「そうそう出ないものだよ、やる気なんて。というか、本当にいいの? 大事な妹に会っちゃって」


 フィガロはユーノスの二の腕をさする。


「御簾越しに決まってるでしょうが」


 ユーノスは反対側の手でフィガロの手首をつかんでねじ伏せる。

 フィガロは床に倒れこんだ。


「なかなか、やるじゃないか」


「入隊試験をクリアしているので」


「そうだった」


 フィガロは手首を痛がりながら起き上がる。

 顔を上げると、虫けらを見るような目をしたユーノスがいる。


「そういう感じだね。分かった。俺はただ大学講師格としての頭だけを買われたというわけだ」


「そうです」


「いいよ、全然いい。むしろ嬉しい。君にはそういうのを期待してるから」


「そういう……?」


「もちろん顔も好みだけど」


 ユーノスはフィガロを頼ったことをこの上なく後悔した。

 というより、フィガロの下についたことも後悔しだしている。

 他のナイトたちのようにむさくるしくないというだけで取り立てられたのなら、自分の能力を評価されていないようで腹が立ってくる。

 が、こんなことを気に病んでこの仕事を辞めてしまえば、妹との生活が成り立たなくなる。

 お家復興どころではない。

 ユーノスはぐっと飲み込んだ。


 フィガロは積み重ねていた書類の一部を隊長室へ運び、机に下ろした。


「え?」


 隊長のテリオスはのんびりハンコばかり押していたところで、まさに寝耳に水である。


「いいでしょう? 本来なら隊長の仕事で、俺が善意で代わって差し上げてるだけなんですから」


「それはそうだが、どうした? 何で急に」


「部下と遊びたい気分なので」


「はあ?」


 テリオスは椅子から立つ。


「お前、最近おかしいんじゃないか。部屋にいないことが多いし、勝手に異動をかけるし。何か隠してるだろ」


 フィガロは内心焦った。

 隊長の無謀な陰謀を打ち消そうとしているのがばれたのではないかと。

 しかし同時に、今ならまだごまかせる、とも信じている。


「いいえ何も」


「何で目を逸らす」


「隊長の目力が強すぎて」


「強くなる。いいか、よく聞け。若者はお前の玩具じゃないんだ。遊んでる暇があるなら働くか、身体を鍛えろ」


「はいはい、それじゃ」


「おい」


 フィガロは強引に退室した。

 普通はテリオスの言う通り、働いているふりをして不貞を働くものである。

 パレスの中でも何度も目撃して、目撃しなかったことにしてきた。

 フィガロはその悪しき風習を利用し、不貞を働くふりをして不正を働いているのだ。

 無論、隊長の無謀な陰謀を止めるためなので正義ではあるが。


「二重スパイか、俺は」


 今回は、ユーノスから信頼を得るために願いを聞く。そういう仕事である。

 一周回って、テリオスが想像する通りのことをしているのだ。

 それが正義の礎とは、考えてみると滑稽かもしれない。

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