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3話 歌会の知らせは蹄の音に紛れて 上

   Ⅰ


 アリアに詠ませた歌に返事が来なかったことで、フレアは開放感に浸っていた。

 パレスで初めて一人でゆっくり眠り、早いうちに朝食を済ませ、散歩にでも出ようとしていた。

 ふと、部屋の戸の影に潜む男に気づいた。


「お前たち」


 フレアは自ら戸を開ける。

 そこにはいつも二人か三人のナイトがいる。

 一人は、初日に馬を貸したソルテラという男、もう一人はいつ引退するかという翁である。


「いつもの殿方、今日はお休みかしら」


 それはユーノスである。

 フレアはユーノスの立ち居振る舞いを見て「こちら側」の人間であると感じていた。

 と同時に、そういう身分の者がナイトとして働いていることに親近感を覚えていた。


「いや、異動がかかりまして」


 ソルテラが答える。


「どちらへ」


「多分、デピュティの手伝いかと。俺は知らないところですが」


「そう。馬を貸してもらおうと思ったのだけれど」


「それならまた俺が連れて参りましょう。ええ、ヘッドがレディにお似合いのかわいらしい馬を用意なすったんですよ」


 フレアが喜んでいる様子に、翁が目を細めている。

 ソルテラは息巻いて隊舎に戻る。


「レディ用の馬を借りていくぞ」


 待ちわびていた台詞に、馬小屋当番の若者たちが集まって来る。 


「ブラシをかけてからにしよう」


「おれも行きたい」


「蹄も拭いとけ」


 男ばかりで騒いでいると、人払いをする女の声が聞こえてくる。

 内侍の事務所にでも行くのかと思われたが、女の声は隊舎の中にまで入ってきた。

 女の童に先頭を任せた、困った顔のメイドたちが、レディ・フレアを連れてきたのだ。

 さすがに部屋の外に出るために面紗をつけてはいるものの、レディを御簾の外で見られるのはとても珍しく、ナイトたちは一呼吸の間にひれ伏した。


「あら、いいのよ。せっかくだから馬と一緒に広場も貸していただこうと思って。

うちの庭は狭くてしょうがないから」


 若いナイトたちは黙ってしまって、ソルテラが口から出まかせに答えた。


「どうぞ、ご自由に。お好きなだけお使いください。あまり掃除ができておりませんで申し訳のうございますが」


 フレアは機嫌をよくする。


「大丈夫よ。きれいすぎるのはパレス・ブレッシュだけで十分だわ。私のお馬はどちら?」


 ソルテラは磨きに磨きをかけられた白い若馬を差し出す。

 フレアは準備よく、袴を履いていたので、そのまま馬にまたがっていくのを追いかけながら、


『ヘッドを呼べ』


 と合図する。

 馬小屋当番の若者たちは走っていく。



   Ⅱ


 緊急連絡という名目で馬小屋当番から直接に報告を受けたナイト・ヘッド・テリオスは、帽子を被りながら慌てて走り出す。

 運動場に出ると、一人、白馬に乗った女がいた。

 面紗を被り、広い袖のドレスを着たまま、見事に馬を操っている。

 風が吹けば髪や腕が見えそうで恥ずかしさもあるが、あまりに姿勢が凛としていて、全体は清らかである。


「レディ・フレア」


 テリオスは馬上で感嘆した。

 フレアは初対面の彼をナイト・ヘッドだと見抜き、馬をして歩かせる。

 

 テリオスは馬を降りて頭を垂れる。


「お初にお目にかかります、レディ・フレア」


「いい馬をありがとう、ナイト・ヘッド・テリオス……」


「テリオス・レイショー。覚えずとも構いません。ただ人の生まれゆえ」


「覚えておくわ。武人は腕が全てよ」


 テリオスは再び頭を下げる。

 テリオスの腰には、他のナイトより大きな刀がある。

 フレアにはその、ヘッドにしか持ちえない太刀の意味が分かるのだ。


「今日は、本当に、ごゆるりと、お遊びになってください」


「ええ、そうさせていただくわ。ずっと部屋の中にいては体がなまるもの」


「エンペラーのレディになられても、そのようなことを?」


「だって、私がエンペラーの一番お傍にいるのよ。あなたたちと同じ。強くなくっちゃ」


「同じ……」


 風が吹く。


 テリオスの帽子が飛び、フレアの面紗が棚引く。

 視界が開け、テリオスの赤い目にフレアの黒く長いまつ毛が見えた。


 テリオスは慌てて帽子を取りに行き、面差を押さえるフレアから目をそらしていた。


「失敬」


「こちらこそ」


 フレアはまた馬を歩かせる。



   Ⅲ


 楽しい乗馬を終えたフレアは、メイドのスピアから手紙を受け取る。

 女の字で、


「歌会のお誘いに参りましたが、ご不在でしたので。

 来週、夏の朝を題に開かれます。よろしければ、それまでにどんな歌を披露するか、一緒に考えましょう」


 とある。


「どなたから?」


 フレアが尋ねると、


「デイジィさまでございます。歌会はミラさまがご主催ですが」


「シルビアさまはいらっしゃるの」


 レディ・シルビアは、今のところのフレアの敵である。


「いいえ。シルビアさまはレディの歌会には参加されません」


「お歌が苦手なのかしら」


「いいえ。エンペラーの御歌会にはご参加なさいます」


「嫌な奴!」


 フレアはクッションを部屋の隅に投げる。

 クッションは気持ち、湯気を発している。


「ですので、今回の歌会はフレアさまにはちょうどよいかと。デイジィさまが教えてくださるそうですし」


「ミラさまがいらっしゃればそう厳しくもありませんでしょう」


 スピアもシフォンも笑顔で勧める。

 しかしフレアには不安で仕方ない。


「……アリアは?」


 スピアとシフォンは聞き返す。


「アリアは連れていっていいの?」


「よろしいですが、丸投げではいけませんよ」


「ミラさまの歌会までにデイジィさまとご練習なさって、デイジィさまとのご練習の前に、アリア殿に教わるのがよろしいかと」


 スピアはそう説明する。

 フレアはソファにうなだれた。


「あー。歌会でなくて馬会だったら良いのに。そうしたら私、皆さんにお馬を教えてさしあげるのよ」


「フレアさまが苦手なことでも、デイジィさまやミラさまにとっては楽しいのですよ。まずはそちらにお付き合いなさらないと」


 スピアは反論する。


「私の方がベッドチェンバーなんだから、ワードロープのお二人が合わせればいいのよ」


「そうかもしれませんが、一般には、レディは乗馬などたしなまれません。今はたまたまお優しいナイトの方々がご協力してくださっているのですよ」


「そうだわ。ナイトは皆さん私に親切ね。……同じパレスにいてもメイドとは違うわ」


 スピアはシフォンをぎろっと見て、腹が立っていることを伝えた。

 実家にいたころからフレアに仕えてきたシフォンは「まあまあ」と仲裁する。


「表立った親切ばかりがフレアさまのためになるとは限りません。フレアさまはこれからベッドチェンバーに留まるのではなく、エンプレスを目指しておいでなのですから」


 フレアは姿勢を正した。


「エンプレスになるため、必要なことをなさってください。エンペラーの御歌会は毎年開かれます。お父上が毎年なさっていた討伐のようなものです。お父上は毎日鍛錬なさって、やっと成功なさっているのですよ。フレアさまも」


 フレアは、手綱を握って硬くなった自分の手のひらを仰ぐ。

 他の女とは比べ物にならない、強い手である。

 しかし今度からは、馬を操るだけでなく、弓を引くのでもなく、歌を書いてエンペラーの心に訴えなければならない。


「……分かったわ」


「さすがです、フレアさま」


「シフォン、スピア、ついて来なさい」


 シフォンとスピアに緊張が走る。

 自分たちの主君が今、目覚めたのである。


「まずは外を歩いて風景を詠んでみるわ。狩りができるような山がいいわ。外出の用意を」


「レディがエンペラーの許可なくパレスの外に出てはなりません」


 スピアが冷淡に言う。


「え?」


「なりません。エンペラーの許可があれば出られますが、そもそもエンペラーに許可なんて早々取れません」


 スピアは早口で重ねる。


「は?」


「お宮参りやご病気の療養でしたら数日かけてお願いできますが、今日の今日でただの散策、ましてや狩りなど……」


 シフォンの穏やかな拒絶に、フレアは絶叫した。


 その騒ぎを、やはりナイトのソルテラと翁が聞いていた。


「フレアさまは元気がよろしいなあ」


「ええ。わしにも分けていただきたいくらい」


「それは不敬じゃありませんか」


 ソルテラと翁はのんきに笑っている。

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