10話 パレスの外に知る人ありて 下
Ⅳ
盗まれた手紙の内容をフレアには知らされなかったが、シルビアの警備が内密に強化されたことはプレオから報告を受け、ウィステリア家に何かあったのだろう、とは考えた。
シルビアにも、手紙が盗まれたこと、手紙に書かれていた内容は聞かされず、また、目に見えてナイトの数が増えたわけでなくても(普通のプリンセスとして育てられたシルビアには、天井裏や床下などに潜んでいるソルジャーの気配は分からない)メイドたちからの接し方から、自分の体に起こった変化の原因だけは察した。
気を張ってフレアに依頼したことが実行されるまでもなく勝利を掴めたことに、感慨に浸る。
一方で、めでたいこととはいえ、妊娠にはケガレが伴う。悪阻による吐き気や、万が一のこと……、合わせて、身重のままパレスの中で、他人に囲まれて生活することは耐えがたい。
慣例に沿って、シルビアは実家・ウィステリア家へ下がることになった。
フレアにしてみれば、実行する時期を慎重に選んでいた、デイジィへの加害をせずに済み、シルビアの機嫌も気にしなくてよくなったので、これ以上さっぱりしたことはない。
先を越されたことは確かに、エンプレスになるという目標から遠ざかることであるが、遠ざかっただけで、阻まれたわけではない。
「今ウィステリア家が何をしようと、最終的にホライズ家が選ばれればいいだけの話なのだわ。おほほほほほほ」
フレアはむしろシルビアがいなくなった開放感から調子に乗って、勝手に部屋の中で小さな茶会を開いた。
参加者はそのときたまたまその場にいた者たちである。
メイドのシフォンとフレア、ナイトのソルテラ、アルザ、ユーノス、そしてソルジャーのプレオ。
気前よく分け与えられたチェリーのケーキを、プレオは物珍しそうにしながら、手で掴んでかじった。
「うまい。貴族はいつもこんなものを食ってるのか」
「いつもではないよ。特別なときに、特別な気持ちで」
ユーノスは教えながら、ちゃんとフォークを使って、小さくきれいに切って口に入れる。
その所作を見様見真似で、プレオもしようとするが、フォークの持ち方もどこかおかしい。
チェリーが一つ、皿に落ちてしまった。
プレオはそれを、フォークで突き刺して食べる。
「そのまま食っても美味いのに」
「ケーキにしたから分けられるんじゃないか」
「分けるほど手下がいることを自慢したいのか」
「そんな言い方は……」
非・貴族出身のアルザも苦笑いする。
「あら、それでよろしくてよ」
フレアはにこりと微笑んだ。
「ユーノスさまには妹君がいらしてでしょう。一切れ持ち帰ってさしあげなさい」
「なんと」
「私のためにお兄さまの時間をいただいたのだから、女どうし、そのくらいのお礼はしなくちゃ」
「あくまでヘッドの判断です。フレアさまのせいではないのに」
「では、お返しはテリオスさまからいただくことにするわ。おほほほほほほほ」
ナイト三人は、フレアやシャルマンから強請られるテリオスを想像して、不憫にも、おかしくも思った。
アルザが、
「じゃあ、俺の妻にも……」
というと、
「あら。ケーキはもうないから、代わりにアーモンドのプリンをさしあげるわ」
ソルテラがアルザの背中を叩く。
「こら、レディになんて冗談を」
「あなたに奥方は何人いらして?」
真面目に問うフレアに、アルザは恐れおののく。
「2.5人です」
「てん、ご?」
シフォンが聞き返すと、アルザは更に叩かれて、話は終わった。
Ⅴ
シルビアが里に下がれば、自然と、エンペラーがフレアの部屋を訪れる頻度が増える。
フレアはそれを面倒と思いながらも、少しは期待していた。
夜にエンペラーの愛に応えておけば、昼は自由に外出させてもらえるのではないか、と。
「今日は何をかせり」
聞かれると、フレアは素直に答えた。
「お茶会をしておりましたわ。みんなでチェリーのケーキをいただきましたの」
「皆とは誰そ」
「メイドとナイトとソルジャーです」
「ナイトと、ソルジャー……?」
エンペラーの頭に疑問が浮かぶ。
エンペラーが想像するソルジャーは、屈強な男で、汗や泥にまみれながら、剣や斧を握る者たちである。
そういう男が自分のレディとケーキを分け合って食べる、はずがないのだ。
許す、許さないの問題にするわけではないのだが。
「とても楽しゅうございましたわ。季節だからチェリーを頼んだのですが、皆それぞれ、好きな果物は違いますでしょう? 私はマンダリンも好きですが、それがケーキになるとどうかしら、なんて」
うまく話をそらされた、とエンペラーは思った。
しかしこれがフレアには死活問題である。
何としてでも会話の主導権を握ることで、エンペラーになるべく簡単な文を喋らせなければ、何と言っているのか分からなくなるのだ。
「エンペラーは、何のケーキがお好きですか」
「何の……」
エンペラーは考える。
「……林檎?」
「あらまあ、りんご」
りんごといえば、フレアが入内した初日、花を摘んで母へ贈ったことがある。
パレスの中に育つ木なので、エンペラーにも馴染み深いのだろう。
「すてきですわね。もうじきですから、そのときはぜひご一緒に」
私と、エンペラーと、私の父と。
フレアはその先のことを願った。
「善哉。紅葉賀にては林檎のケーキを」
「紅葉賀。もうじきそんな季節でございますわね」
パレスでの年中行事は、広く貴族やキャピタルの人々に知られている。
フレアも参加したことはなくても、その名前と、時期と、することは分かっている。
紅葉賀では、キャピタルから少し離れた山へエンペラーが行幸し、紅葉を楽しむ。
そこには一日だけの舞台も作られ、その上で若者が舞を披露する。
他の者たちも漢詩や和歌を詠み合い、酒を共に飲む。
貴族どうしの親睦会、あるいは社交パーティーのようなものだ。
その宴にフレアとフレアの父・シャレードがそろって呼ばれることは、ホライズ家にとって誇り高いことである。
「……今年は、病によりてシルビアを呼ぶあたわざる、寂しきや」
「は?」
思わずフレアは聞き返す。
今、確かに、フレアを呼ぶという話の流れではなかったか!
「ムラーノも思い困ずるらむ」
ムラーノというのは、シルビアの父で現太政大臣――皇室にあらざる者で最も位の高い人である。
位が高ければ高いほど、当然、エンペラーと接する機会は増える。
エンペラーは太政大臣を友人か師のように思うだろう。
「フレアとデイジィは、初めて呼ぶ」
「はい」
どうやら、エンペラーはレディたちが皆仲良く、姉妹のようであるとさえ思って、並べているようだ。
「シャレードにもキャロルに会わせむ。フレアには胡桃もマンダリンもやる。家族と、好むものを楽しむべし」
エンペラーは多くの人が集まる紅葉賀を、めったに外出のできないレディたちが、家族と会う機会だと捉えているらしい。
「ありがたき、御計らいでございます」
「善哉」
そのとき、フレアはふと、エンペラーの父母、兄弟のことを想像してみたが、恐れ多くて質問できなかった。
Ⅵ
早朝、エンペラーは仕事のために歌一首を残して去った。
フレアの部屋には、自分より一歳年下のメイド・シフォンと、先輩役ながらもパレスの外を知らないスピア、おおらかでもだらしないところもあるソルテラ――、彼らに先んじてプレオが床下から頭を出す。
ちょうど、フレアが単衣の帯を結んで、袿に袖を通すところであった。
「よう。生きてるか」
これがプレオのいつもの挨拶である。
「おかげさまで。でもね、もう少し待っていた方がよかったわよ。普通のプリンセスはこういうところを見られたら悲鳴をあげるわ」
「別に肌なんか見てないからいいだろ」
「私もそう思うけれど、人前に出る格好じゃないのよ」
「そうか。……なあ、昨日来たナイトの坊ちゃんは」
プレオはケーキの食べ方を教わったユーノスを気にしていた。
早朝のうちは女性の部屋に入ってこないと踏んで、フレア一人に尋ねているようだ。
「今日も来るわよ。どうかしたの」
フレアも秘密の話なのだと理解して、しゃがんで小さな声を出す。
「……見覚えがあると思って。あいつの家、どこにある」
「知らないわよ。貴族でも落ちこぼれなんだから、そんな大きな家じゃないはずよ」
「そうか。いつまでいる?」
「聞いた話ではあと四日。それか、リタイヤード・エンペラーのお邸を襲った盗賊が捕まるまで」
「ふん。じゃあ、早いうちに聞いてみるか。ありがとう」
プレオは再び床下に隠れた。
そういえば、この子はいつ、どうやって食事や入浴をしているのかしら。
フレアはそう疑問を持ちながらも、シフォンとスピアが入ってくると、両手を広げて、適当に羽織った着物を直してもらうのだった。
スピアが、一通の手紙を拾う。
「フレアさま、エンペラーからのお文を床に落とされてはいけませんよ」
「あら、いつの間に」
受け答えしながら、違和感を持つ。
「いえ、私、エンペラーからのお歌はちゃんと机に置いたわ。お返事しなきゃと思って」
確かに、文机に一枚の懐紙がある。
「では、これは……?」
「開けてちょうだい」
スピアが開くと、そこには女字が書かれている。
フレアが見れば、送り主はすぐに分かった。
「レディ・シルビア・シキ・ウィステリア」




