1話 入内 下
Ⅳ
パレス・ブレッシュでは夕餉は早めに軽く済ませることになっている。
まだ日があるうちに菜や魚を食べてしまい、入浴する。
そしてエンペラーを待つ。
ただこの日に限っては、エンペラーはレディ・フレアを訪ねることが分かっていた。
他のレディたちは心からくつろいで、ナイトティーを楽しんだり、メイドを引き連れて月見をしたりしている。
レディ・フレアだけはきっちりと化粧をして、香を焚き、メイドたちを下がらせ、足を揃えてベッドに腰掛けていた。
ようやく、扇を外したレディ・フレアと顔を合わせる。
エンペラーはその健康そうな引き締まった四肢、ばら色の頬に見惚れる。
日が昇る前にエンペラーを見送り、フレアは二度寝をしていた。
日が高くなった頃に目が覚めると、大変腹が減っていた。
スピアに朝餉を言いつけると、膳が運ばれてくる。
粥、菜、魚、汁、果物、蘇、加えて餅まである。
「全部いただいていいの」
「全て食べきる必要はありませんが、一口ずつはお召し上がりください」
フレアは薄衣姿のままぼうっと膳を眺めている。
疲れていてあまり食べる気がしないのだろう、とスピアは不憫に思う。
フレアは白湯を口に含む。
「いただきます」
箸を持った。
食べきった。
フレアは口元を拭きながら、またスピアに言いつける。
「私、朝にはミルクが欲しいの。温めてくださる?」
傍から見ればおめでたい人である。
このくらいの生気がなければ、武家の長女として育つことができなかったのだ。
Ⅴ
遅い朝餉を取り終えると、スピアは今日の予定を伝えた。
「他のレディ方がご挨拶に参られます」
「そう」
「お召し物を替えられたら、今日はお散歩などには出られず、このお部屋に留まっておいてくださいませ」
フレアはやっと、昼も近いのに寝間着のような姿であることに気づいて、顔を洗い、ドレスに着替え、髪を梳き、薄化粧をした。
最初に訪れたのはワードロープのレディ・ミラであった。薄化粧の映える、色白で儚げな女である。
首筋や頬、手指、腰までも細いが、瞳はしっかりとフレアを捉えている。
きちんとテーブルを挟んで椅子に座る。決まったような挨拶を済ませると、ミラは自分のメイドに持たせていた小袋をスピアに渡させる。
「私の父が西国に勤めていたとき、そこの職人に作らせたものです。今でも作られているということで」
袋を開けると、淡い色のオレンジの皮が細かく切られて、砂糖漬けにしてある。
「帰ることができなくても、故郷を感じられるのは良いことです」
フレアはミラに興味を持った。
というより、生まれ育ちや今の容貌、部屋の様子などから警戒を解いた。
きっと彼女は、このパレスのあらゆる女たちから慕われている。
「ダザイでお生まれになったの」
「ええ。すぐに任期が終わって都で育ちましたが、何となく懐かしいものです。目を閉じれば、オレンジの畑が思い浮かびます」
「すてきね」
「フレアさまには、小さい頃のお家の思い出はありますか」
「ええ。でも、それはまたいつか」
フレアは完全に打ち解けようとはしなかった。
ミラにも、そういうフレアの方針は伝わっていた。ただ表面上で微笑んでいることが、この二人にとって最善の交流であるように思われる。
次に訪れたのは、やはりワードロープのレディ・デイジィであった。
異国人を先祖にもつ家の生まれで、代々この国に忠義を誓うため、女子が生まれればワードロープとして入内させているらしい。
顔を見てみるとやはり変わった顔立ちのように思われるが、まつ毛が長いことや、黒目がしっかりと見えるところなど、可憐である。
「私が入内したのも、つい先日でした。身分は違いますけれど、仲良くさせていただけたらと思いまして」
言われてみれば、ミラよりも年が近いように見える。
「私はこの夏で十八になりますの。あなたは」
「私も、ちょうど入内した一週間前、十八歳になりました」
デイジィは、まるで何も打算がないかのように、のほほんと笑っている。
こういう態度で、誰にでも好かれるのであろう。
もしかしたら、親たちもそう願って、難しいことを教えていないのかもしれない。
フレアとは正反対である。
「気が向かれたときにでも、私のところへ遊びにいらしてください。お待ちしております」
「ええ、そのときはまた」
レディ・シルビアはベッドチェンバーで、フレアと同格ではあるものの先に入内しているので、フレアの方から訪ねていく必要があった。
シルビアはシルバーの輝くような髪を結い上げて、目の覚めるような青のローブを纏い、一人掛けのソファにもたれていた。
入室してきたフレアを睨むようであった。目のすぐ上にある細い眉は吊り上がっているが、これは化粧のせいであろう。
フレアは丁寧にお辞儀をして、シルビア付きのメイドに誘導された椅子に座る。
ビロウドが張られているが、背もたれのない簡素なスツールである。目下の者と話すとき、相手を委縮させないためのものであろう。フレアは心の中で舌打ちする。
シルビアの背後には、大きな本棚と、びっしり詰まった本がある。
挨拶をしながら、あれは知っている、これは見たことがない、と考えていた。
「お読みになりたい本があればお貸しします。ご感想もお聞かせくだされば」
シルビアからは、武家のフレアには古典や外国語など読めまい、という圧力が感じられる。
「そうですわね。お勧めはございますか」
シルビアは不敵な笑みを浮かべる。
「この物語などお読みになったことはございますか」
シルビアが緑色の本をメイドに持たせると、フレアは微笑んだ。
「ええ」
シルビアはわざとらしく驚いた顔を見せる。
「言葉遣いのご参考になるかと思ったのですが」
フレアの顔が濁る。
暗に、フレアの言葉遣いが汚いと言われているのだ。
ぐっとこらえて笑顔を作る。
「ごめんなさいね、私、お勉強は得意でないみたいで。それより、面白くて楽しい物語がいいですわ」
「そうでいらっしゃいますか。それでしたら草子で十分でしょう」
「あらまあ、それなら私の部屋にもありましてよ。今度お見せしますわ」
フレアは一礼してスツールから立つ。
社交は失敗した。
Ⅵ
「偉そうにしやがって!」
フレアは自室に戻ると、何の変哲もないクッションをベッドに叩きつけた。
跳ね返って床に転がる。
スピアは安全な距離を保って傍観しようとしているが、どうしようもなく、シフォンを呼び戻す。
親しいシフォンが慌てた様子で戻ってくると、フレアは少し安心して、椅子に座った。
「お茶を淹れてくださる? それから殻付きのナッツも。割ってあげるから、一緒に食べましょう」
シフォンが軽く返事をして廊下へ出ていくのを、スピアが追いかける。
「殻付き、でよいのですか」
「ご自分で剥いてお怒りをぶつけたいのですわ」
「そのようなこと」
「フレアさまはお勉強も武芸も手仕事もなんでもなさるお方ですから」
スピアはだんだん訳が分からなくなってくる。
これまで見ていたレディやプリンセスたちの、誰ともフレアは似ていないのだ。
シフォンは誇らしげにする。
「私どもなどお仕えしなくてもフレアさまは生きていけます。それでも、お支えすることで、フレアさまのお力を更に引き出すことができればと思うのです」




