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1話 入内 上

   Ⅰ


 昨日までの幼名と引き換えに、レディ・フレアは三百年続く王家のパレス(宮)に部屋を得た。


 今日からはベッドチェンバー(女御)としてエンペラー(帝)に仕えることになる彼女の、腰まで垂らした漆色の巻毛と、パープルを塗ると赤く映える唇は、まさにフレア(炎)の名にふさわしい。

 庶流から二代の武勲で大臣家にまで上り詰めた家に生まれたために、女ながらに乗馬を教わり引き締まった身体が、絹のドレス(十二単)の襟元から少し覗くだけでも輝いて見える。

 パレスでは普段からローブ(上衣)を重ねるしきたりであるし、入内などという正式な行事のときには、更に鳥の尾のようなスカート(裳)も付けることになっている。


 レディ・フレアはそんな衣装の重みをものともせず、落ち着いた顔を扇で上品に隠しながら、エンペラーに謁見した。

 エンペラーはその真紅色のローブを見下ろしている。


 エンペラーもまた、即位と引き換えに幼名を失っていた。エンペラーという名のもとに、すべての言葉は国の意思になり、すべての行動は国の将来になる。

 自分の后になるかもしれない姫君を迎えるときでさえ、喜びも、落胆も、驚きも表さない。そういう佇まいを、臣下の人々は崇高なものだと信じている。


 普通の女であれば、夫を父に代わる頼れる人として思うから、自分に何も話さないでいることを不安に思うであろう。

 しかしフレアは自分自身を一番の頼りとし、むしろ、エンペラーの方がフレアを心の頼りとするくらいになることを望んでいる。

 そうしてフレアがエンプレス(国母)になれば、一族から皇子、皇女が生まれ、その養育に携わる。

 文官貴族ばかりの腐敗した政治を変えられる。

 武官の地位が上がり、家臣たちに良い暮らしをさせられる。

 それがフレアの望みである。

 フレアは扇の隙間からちらりとエンペラーを見上げた。



   Ⅱ


 パレスの中でもレディたちに与えられるのは奥の方にあるパレス・ブレッシュと呼ばれる棟である。

 エンペラーやプリンス、プリンセスたちの生活の場であり、レディたちはその世話をするということになっている。

 今となっては、そういう働きをするのは主にメイド(女房や采女)たちに限られ、ワードロープ(更衣)でさえ与えられた部屋の中にじっとしていて、ベットチェンバーに至ってはメイドたちに言いつけて歌会を開いたり、遠方の菓子を取り寄せたりして暮らしを楽しんでいる。

 そうして、レディたちそれぞれの至福の部屋に、エンペラーは夜にだけ訪れる。


 フレアにはベットチェンバー用の坪庭付きの広い部屋を与えられた。

 すでに彼女が好むように、庭には薔薇の木や桜草、菫などが植えてあり、ソファやカーペットは赤色に揃えてある。

 庭木の一部がベッド脇の花瓶に飾られているのだが、その陶器の花瓶にまで赤薔薇の絵が描かれている。

 

 家から連れてきたたった一人のメイドのシフォンがついてきて、儀式用の重苦しいローブとスカートを脱がせる。身軽になると、フレアはソファに背を預けた。

 そんな隙にも、シフォンは元からパレスにいたメイドたちに連れられて行く。パレスでの仕事を教わるのだという。

 入れ替わりで栗毛のメイド、スピアがやってくる。

 夕飯の時間まではごゆるりと、という旨のことを平坦に言って、ドアの近くに置かれたそっけない椅子に腰かける。

 フレアは返事もしないで彼女をしばらく見ているが、スピアはフレアと目を合わせようとしない。


 ソファに座って、体の疲れは取れたような気はするが、何となく落ち着かない。

 見知らぬメイドが控えているせいなのか、部屋に慣れていないからなのかは分からない。


 フレアは、簾が少しだけ空いているところへ行き、その前に腰を下ろした。

 美しい薔薇が壁の前に咲いている。

 スピアが小走りでやってくる。

 座るものを用意しようというのだが、フレアは断る。


「いつも同じように椅子に座っているのでは、健康によろしくないわ」


 スピアが頭を下げているのを、フレアは目に入れない。


「ねえ、もっと広いお庭はなくて」


「お散歩でございますか」


「ええ。歩いてもいいけれど、馬がいればもっといいわ」


「お馬」


 スピアは目を丸くして繰り返す。


「ええ、馬。栗毛の馬がいいわ。ないなら手配してちょうだい」


 スピアは分かったふりをして一礼すると、退室する。

 廊下に出て人を呼んだ。



 ベッドチェンバーの散歩用の馬など当然用意されていなかったが、ナイト(侍)が使う騎馬のうち背が低いものを一頭なら貸しても良いことになり、今日はそれでごまかすことにした。

 それがむしろ、武家育ちのフレアには馴染んだ。


「お前、良い馬になるわね」


 フレアはローブを脱いだまま、ドレスを汚さないためのスカートを着け、横座りで乗馬する。

 初めはナイトが傍について助けようとしていたが、フレアは巧みな乗馬でナイトを撒いた。

 お使い役のナイトはスピアの元に行って、あれはどういうことだと問うた。

 スピアはフレアの家柄を伝える。


「へえ。夷人の討伐を進めた……」


 ナイトの瞼には東国の荒んだ、白、黒、茶色ばかりの冬景色が広がる。

 その中央に、西国などから集められたごろつきのソルジャー(武士)たちを率いる、立派な騎馬に跨るフレアの祖父がいた。


 一方、このパレス・ブレッシュの南にある広い庭には、河原を模して柳が植えてあったり、小川の脇に砂利が敷かれていたりする。

 馬で駆け抜けることを意識した作りではないが、それがかえってフレアには面白い。 

 庭師としては整え直すことに苦労するであろうが、メイドやナイトの知るところではない。


 馬の足跡が土の上に残されている。

 庭石を飛び越え、池に掛けられた橋を渡る。

 フレアは馬を止めて、馬上から塀を見上げた。パレス全体を囲う塀で、高く厚く、とても馬で飛び越えられそうにはない。

 視線をずらすと、姫りんごの木がある。

 白い花がちょうど馬に乗った視線の高さにある。

 フレアは馬を進め、その花に触れる。


――家の庭にも姫りんごの木はあったけれど、家を出たときにはまだ咲いていなかったわ。


 フレアは馬を走らせ、スピアとナイトの元へ戻る。


「あの花を一輪、いただいてもよろしいかしら」


「一輪くらいなら構いません」


「ありがとう」


 フレアはまた馬を走らせる。


 姫りんごの花を一輪摘み、また戻ってくる。


「これを母上に贈ってちょうだい。馬はお返しします」


 栗毛の若馬はナイトに返される。ナイトはその馬の首をさすった。


「良い子にしていて偉かったなあ。もう一度レディにご挨拶なさい」


 馬は鳴く。


「本当にお利口。また遊んでくださる?」


「ははは」


 ナイトは機嫌よく去っていく。



   Ⅲ


 ナイトは詰所に戻ると、栗毛の若馬を連れたまま興奮ぎみに語る。


「レディ・フレアにお会いした」


 暇をしていたナイトたちや、下級役人たちもそちらへ駆け寄る。

 広いパレスの中、ブレッシュを出れば女は珍しく、更にヴァイオレットの外側ではむさくるしい男ばかりが働いているのだ。


「驚いた。あれはドレスの中に短刀でも仕込んでいるんじゃないか」


「そんなにたくましいのか」


「体も目も違う。ただのお姫さまじゃないな」


「それは、気になるな」


 出てきたのはナイト・ヘッド(侍頭)である。

 ナイト・ヘッドは貴族に生まれなかった者が就ける最も高い位である。

 当代のこの男、テリオスは商家の生まれでありながら、弱冠二十歳にしてこの地位を得た。

 そして三年間、この地位を守ってきた。


「おれも一目見てみたい」


 年下の上官に、ナイトは助言する。


「栗毛で、背の低い馬がお好きだそうです。それから、木に咲いてる白い花を取っていました」


「かわいいところもあるんだな。じゃあ、そういうものを差し入れしよう」


「ちょっと」


 ヘッド・デピュティ(副頭)のフィガロが渋い顔をしている。


「いくら武家のお嬢でも、ベッドチェンバー、ゆくゆくのエンプレス(正妃)としていらっしゃるのだよ。俺たちなんぞがそう興味本位でお会いしていいものでは」


「そんなことでは、いつまで経ってもおれたちはここにいなきゃいけない。なぜ、エンペラーを一番お傍で守っているのはお公家の真っ白いお坊ちゃんなんだ」


「俺たちがここで防ぎきれば奴らの出番はないからさ」


「この都でパレスの外から攻めてくるバカがどこにいる」


 テリオスはフィガロがただ法解釈を述べていることを承知の上で顔をしかめる。


「本当の敵はパレスの内側にいるかもしれない。そういうときには、おれたちがエンペラーのお傍にいるのが理想だ。そのために、俺たちは権威と信頼を得なければならない」


 ナイトたちは頷き始める。


「が、殿上人になってしまった男たちは自分の得しか考えない。物事を平等に見られる人は、このパレスの中にはもう女くらいしかいないだろう。レディ・フレアはその中でも、きっとおれたちをちゃんと見てくださるはずだ」


 ナイトたちは歓声を上げ始める。


「おれたちがレディ・フレアをお支えし、認めていただく。おれたちの時代はすぐそこだ!」


 フィガロだけがその歓喜に取り残されている。

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