第90話 摩擦係数ゼロのすり鉢地形と、Z軸の追加によるベクトル偏向
【担当:慎也】
僕の日常がこれ以上壊れませんように……。
本編スタートです。
凍りついた火山帯を抜け、勇者一行が次に足を踏み入れたのは、奇妙な空間だった。
見渡す限りの広大な「すり鉢状の地形」。
その表面はガラスのように滑らかで、不気味なほど磨き上げられていた。
「なんだここは? 妙にツルツルしてやがるな」
ガルドが不用意に一歩を踏み出した、その瞬間。
「うおわっ!?」
ツルンッ! と足元をすくわれ、ガルドの巨体が無様に転倒した。そのまま滑り落ちそうになるが、慎也がとっさに放った「魔力の糸」がガルドの腰に巻き付き、縁ギリギリで停止させた。
「……動くな。動摩擦係数が限りなくゼロに近い。アリジゴクの巣と同じだ」
慎也はガルドを引き上げながら、眼下に広がる広大なすり鉢を睨みつけた。
その時。
すり鉢の底から、鋭い刃を全身に纏った巨大なムカデのような魔物――「紫水晶の滑走獣」が飛び出してきた。
「シャァァァァッ!!」
奴はすり鉢の斜面を、まるで氷上のスケーターのように滑り始めた。
摩擦ゼロの地形を完全に掌握しており、ハーフパイプの壁面のカーブを利用して、遠心力で恐ろしい速度へと加速していく。
「は、速ぇっ!? なんだあのスピード!」
ナイルが短剣を構えるが、足場が滑るため踏ん張ることができない。
滑走獣は時速200キロを超える猛スピードに達し、一行を細切れにすべく、鋭い刃の軌道を縁へと向けてきた。
「リーダー、マズいっス! このままじゃすれ違いざまに真っ二つにされる!」
「回避も防御も無理です! キースライン様!」
エリスが悲鳴を上げる。
「……慌てるな。足場がない状態であの質量と速度を受け止めれば、我々が消し飛ぶだけだ。……それに、あの装甲の分厚さ。力任せに急停止させても、回転しながら我々を押し潰すだけだろうな」
慎也は冷静に敵のスペックを分析し、杖を構えた。
「奴は、この『摩擦ゼロの2D平面(すり鉢)』に過剰適応している。
……ならば、Z軸(高さ)の概念を追加してやればいい」
激突まで、残り1秒。
慎也は、猛スピードで迫る魔物の進行方向の「直前」の斜面に向け、氷魔法を放った。
ピキィィィンッ!
滑らかなガラスの斜面に、極めて滑らかな「氷のジャンプ台」が生成された。
「なっ……!?」
知能の低い魔物は、目の前に現れた「摩擦のない氷の斜面」を障害物とは認識しなかった。
そのまま時速200キロで氷のジャンプ台に乗り上げる。
すり鉢のカーブ(向心力)を失い、上向きのベクトルを与えられた3トンの巨体は、慣性の法則に従って、すり鉢から遥か上空へと勢いよく打ち上げられた。
「ギィッ!? シャァァァアアアッ!?」
魔物が空中で激しく身をよじる。
摩擦ゼロの地面を滑ることしか知らない魔物にとって、足がかりのない「空中」は、完全に計算外の未知の領域だった。分厚い紫水晶の装甲も、空ではただの重りでしかない。
「……放物線軌道の計算、完了。最高到達点(頂点)で速度がゼロになる」
慎也は、空高く舞い上がり、完全に無防備となった魔物の柔らかい腹部を冷徹に見上げた。
「……飛べない虫は、ただの的だ」
慎也は強化版の聖剣を抜き放ち、莫大な魔力を刀身に込めた。
蒼い光が剣を包み込み、長大な「魔力の刃」を形成する。
「対空断空剣」
シュラァァァァァァンッ!!!!
地上から放たれた極太の蒼い斬撃が、空中で静止した魔物の柔らかい腹部を、正確無比に捉えた。
一切の抵抗を許さず、3トンの巨体が空中で綺麗な縦半分に両断される。
ザシュゥゥゥン……!!
真っ二つになった紫水晶の残骸が、すり鉢の底へと無残に落下し、ガシャァァンと音を立てて砕け散った。
「……」
慎也は剣を軽く振り、静かに鞘に納めた。
「……自らの速度を利用されて打ち上げられる気分はどうだ? 地の利を失えば、ただの的だな」
「……」
ガルドたちは、ぽかんと口を開けたまま、空から降ってきた紫色の水晶の雨を見つめていた。
力で止めるのではなく、敵の勢いそのままに「場外」へ放り出し、一番無防備なところを狙い撃つ。あまりにも一方的で、完璧な詰将棋だった。
「す、すげぇ……リーダー、あんた本当に頭の中どうなってんだ……」
「……当たり前の物理法則を利用しただけだ。さあ、次へ行くぞ。このすり鉢を凍らせて、安全な足場(階段)を作る」
最強の環境依存モンスターを、知略一つで「ただの的」に変えてしまった勇者一行。
彼らは慎也の作った氷の階段を悠々と下り、次なるエリアへと歩みを進めるのだった。
【事後分析報告】
読んでくれてありがとうございます。慎也です。
また僕の体が物理法則を無視した動きをしていたようですが……楽しんでいただけたでしょうか?
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