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Take On Me   作者: マン太


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31/42

31.空は高く

大和(やまと)、身体はもう大丈夫なのかい?」


 アパートの部屋を出た所で、呼び止められ振り返る。季節は秋の気配が漂う頃。空が随分高く見える。

 声の主はアパートの家主、隣の部屋のおばあちゃんだ。

 丁度、朝の散歩と植木の水やりを終えた所らしい。ジョウロ片手に心配げな様子。今年、八十歳となるが腰も曲がらず、ぴんしゃんとしている。

 俺のいない間に、おばあちゃんの孫が大学へ進学し、アパートの空いた部屋へ入っていた。もう昔程、側で見守る必要はない。


「大丈夫! もう完璧!」


 ぐっと腕を曲げて力こぶなんかを作って見せる。Tシャツの上にブルーグレーのトレーナーを重ね着し、ジーンズを履いたカジュアルな出で立ち。

 これから真琴(まこと)と会う予定だった。

 仕事はまだ始めていないが、そろそろ無理のない範囲でやろうかと考えている。

 俺は倫也(ともや)に襲われたその後ひと月、意識が戻らなかった。

 傷はなんとか塞がったものの、依然重傷であり、なにより大量の出血により、ショック状態になっていたのだという。

 ほんの僅か、あと少し遅ければ俺はあちらの世界へ旅立っていたらしい。

 その後、更に二ヶ月入院して。

 俺の入院費及び治療費は弁護士の洲崎(すざき)真琴名義で支払いがあった。俺が退院した時はすべて支払いが終わっていて。

 俺は慌てて連絡をした。

 すると、真琴は笑んだ声で当たり前だと言い。その金は全て鴎澤(おうさわ)から出たものだと言った。


『あいつに頼まれてな。しかし、俺が出したっていいくらいだ』


 バカなことをと突っ込んだが。


 『あいつ』こと、(たける)はその後、姿を見せなかった。たったの一度も。

 一度だけ、病室の入口に贈り主の分からない花が置かれていた事があったが、それが岳からだったのかは分からない。

 岳は忙しくそれ所ではないだろう。わざわざ合間を縫って来る必要もない。

 それは俺の望んだことでもあり、分かっていたのだが、やはり寂しいものがある。

 最後に話した時の、岳の声を俺は何度も思い出すことでそれに耐えた。

 もう最後だろうと、俺は照れずに言ってのけたのだ。


 『愛してる』


 素面の俺だったらまず、言えなかっただろう。

 もう、これで最後になるかも知れない。正直、覚悟したから言えた言葉で。

 助けを呼ばなかったのは、岳が襲われる危険も去ることながら、泣き叫んで助けを呼ぶより、岳の声を聞いていたかったからだ。

 『俺もだ』そういった岳の声を俺はしっかりと覚えている。


 だから大丈夫。


 岳は今はきっと大事な時だ。それに忙しいはず。俺に関わってる時間はないだろう。


 それに、迎えに来るって、言った。


 俺は心の中で呪文のようにその言葉を繰り返す。一年でも二年でも俺は待つつもりだ。

 真琴に岳の話を聞くと、少し言葉を濁したが、とりあえず元気ではやっている様子。


「ならいいや。ありがとう」


 それで通話を切って数週間。夏の盛りは過ぎたが、まだ日差しはきつい。

 俺は溜まらず、せめて遠くからでも姿を見たいと、岳の様子を聞くため真琴に電話をかけていた。結局、俺は我慢できなかったのだ。

 アパートから離れた駅近くの喫茶店で、真琴と待ち合わせる。

 真琴は相変わらずスーツ姿かと思ったが、今日は薄手の白のコットンセーターとパンツスタイルと言う、ラフな私服姿だった。

 聞けば、今は鴎澤組の弁護士はしていないのだと言う。


「どうして? 岳の秘書も兼ねてただろ?」


 アイスカフェオレにストローをつけながら、驚きを隠せず真琴を見る。真琴はいい薫りのするコーヒーを手の中で揺らしながら。


「岳は…今、そこにはいない。辞めたんだ。鴎澤組もたたまれた」


「へ? 何いって…。だって岳はそこで頑張ってるって…」


「そこにはいない」


 いや。確かに真琴は頑張ってはいると言ったが、鴎澤組で、とは言わなかった。


 しかし、じゃあどこで何をしているんだ?


 俺が驚きの余り言葉を継げずにいると、真琴は小さくため息をついた後。


「あいつは今、プロの写真家の弟子になって、そこで働いている…」


「写真…。じゃあ、本当に組はなくなって、岳も自由になったんだな?」


「そうだ。(きよし)さんは残りの時間を、岳の母親、波瑠子(はるこ)さんと過ごすと決めた。それで組に関わるものを全て(くす)に託し、畳んだんだ」


「でも、じゃあ、どうして…」


 会いにこないのだろう?


 俺の疑問を見透かした真琴は表情を曇らせると。


「あいつは、大和を救えなかったことを悔やんでな。あわせる顔がないと、そう言ってた…」


「そんな…。でも、もう俺は回復したし、怪我だって治った。岳がそんな風に思うことはないだろ?」


「だが、奴は頑なでな。大切なものを守れなかった自分を責めている。自分に大和を迎えに行く資格はないと」


「んだよ。それ…」


 痛くないはずの腹の傷跡が痛んだ気がした。


「俺、生きてんだぜ? こうして、真琴さんとも話が出来てる。なのに、なんで岳は会おうとしない? 俺を見ないんだ…。もう、そんな気がないってことか…?」


「すまない。大和…」


 真琴に問いかけた所で答えられるはずもない。


「ごめん…。真琴さんに言うことじゃないな」


 俺はずっと信じて待ってたのに。

 とっくに岳はそこから降りていたのか。

 俺一人、舞台にあがったまま、岳の来るのを待っていたなんて。


「…バカみたいだな。俺。ホント」


 膝の上で手を握りしめる。


「大和がそんな風に思うことは何もない。悪いのはあいつだ。何時まで経っても話に行こうとしない。自分で話にいけと行ったんだ。せめて、無事な顔くらい見てこいと」


「でも、岳は…」


 会う気がないのだ。


 俺はクッと唇を噛み締めたあと。


「じゃあ、俺が行く。はっきり、岳の言葉で聞きたい。俺をどう思ってるのか…。俺はずっと好きだって、言ったんだ。それは今も変わらない。例え岳が俺の事を忘れても、俺はずっと好きなんだ…」


 そう。俺はずっと岳が好きだ。一番なんだ。


 真琴相手に詰め寄っても意味がない。当の本人に会って話さなければ、終わりも何もないのだ。


「…分かった」


 真琴は仕方ないと、今の岳の居場所を教えてくれた。岳には知らせるなと口留めされていたらしい。

 本来なら、岳が会いに行くべきなのにと言いながら。

 岳は今、師事している写真家の持つ仕事場兼自宅を借りているらしい。

 写真家は各地や世界を巡っているため、そこを岳に任せたのだという。岳はそこで助手や自分でも仕事をこなしていると教えてくれた。


「岳は心を閉ざしてる。前より悪いな…。まるで大和を失ったと思ってる。手を伸ばせばすぐ届くのにな…。大和、結果がどうなろうと、俺は君の友人のつもりでいる。今まで通り気楽に連絡してくれ」


 真琴は別れ際、そう言って俺の肩を軽く抱き寄せる。少しだけ辛そうな顔を見せたが、直ぐに身体を離すと、


「じゃあ、また」


 そう言って手を振り、その場を後にした。


+++


 そして、俺は今、その家の前にいた。

 和洋館とでも言うのか。モルタルの壁に緑色の屋根。今は余り見ない建物だ。

 確か亜貴もそんな家に住んでいるはずだった。

 亜貴といえば、無事新しい高校にも馴染み、祖母や時折訪れる真琴、そして(ふじ)(まき)(!)とも会っているらしい。

 亜貴は亜貴でマイペースに楽しんでいるのだろう。亜貴はああ見えて強い。

 問題は岳だ。

 大きな(なり)をしているくせに、どこか臆病なところがあるとは、真琴の談だったが。

 ずっと自分を押さえて生きてきた結果だろうか。石橋を叩いても叩いても渡らない所があると、真琴がぼやいていた。

 真琴には自分の来訪は告げないでくれと頼んである。言えばどこかへ逃げてしまうかも知れないからだ。

 呼び鈴を押そうか躊躇っていると、聞き覚えのある声が庭先から聞こえてきた。

 見れば玄関脇から、芝生の中にそこへと続く道が出来ている。


 岳の声だ。


 聞き間違うはずがない。


 驚くだろうか? 迷惑な顔をするだろうか? 


 それでも怯むつもりはない。

 俺は浮き脚だつ心を押さえて、踏みしめる様にして一歩一歩進んだ。



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