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Take On Me   作者: マン太


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27/42

27.雨のち

 岳のマンションから、前住んでいたアパートまでは歩いて四十分ほど。

 距離はあるが徒歩で行きたい気分だった。

 途中、河原に出てその遊歩道を歩く。

 今にも雨が降り出しそうな気配に、歩く人はまばらだった。

 途中、傘を差した子供たちが声を上げながら傍らを通り過ぎる。その後を母親たちが会話しながらのんびりと歩いて行った。

 誰もが日常を過ごしている。

 俺も傍から見れば、日常の景色の一部だ。

 どんな哀しいことがあっても、辛いことがあっても、その人から見ればたった一コマの景色の一部に過ぎない。

 俺は世界の中心のはずなのに、他人から見ればその一コマ。

 当たり前のことなのに、不思議だなと思う。

 誰もが誰かのモブで、でも主人公でもあり。

 それが日常だ。

 俺が(たける)と別れて、死ぬほど悲しくても、それも他人にとってはただの一コマ。悲劇の主人公気取りでいても、実際はそうなのだ。

 そう考えると、哀しみに沈んでいるのもどうかと思う。


 今は無理でも、いつかきっと、俺は前へ進んでいく。


 いつまでも立ち止まって泣いているわけにはいかない。一人そこで悲劇の主人公を演じていても、誰も助けてはくれない。

 自分の力で立ち上がらなければ。


 岳。俺はお前に会えて本当に良かったって思ってる。


 別れても、岳はずっとどこかで生きている。傍には真琴(まこと)もいる。

 それに、あんなにカッコいい岳がずっと一人でいられるはずもなく。

 きっと側にいても許される、いいパートナーを見つけて、生涯を共にするだろう。

 それでも、あの過ごした時だけは俺だけのもの。誰のものでもない。誰かに奪われるものでもない。


 岳が忘れても俺はずっと忘れない。


 立ち止まって川の流れを見つめる。川面に雨が落ち、まるで霧が立ち昇るよう。


 ここには俺以外、誰もいない。


 そう思った途端、自然と涙が零れ落ちた。泣きたくて、河原を選んだのかもしれない。

 ここで全部洗い流して、皆の待つアパートに戻って、なにもなかった顔をして生きていく。

 誰かのモブになって、時には主人公を演じて。


 でも、出来ることなら、俺は──岳と生きたかったんだ…。


 気がつけば、涙が止まらなくなっていた。

 溜め込んだ思いがどっと溢れる。せきを切って流れ出す。

 そこへしゃがみ込み、泣いた。年甲斐なんて、あったもんじゃない。


 本当は、岳の前で泣きじゃくって、別れないで欲しい。側にずっと置いてくれと、叫びたかった。


 でも。しなかった。


 そうしたくても出来ない、そう考える岳の気持ちが分かるから。


 今は誰の目も気にならなかった。


+++

 

 それより、少し前。マンションの一室。

 足音と共に大和が部屋の前から去っていく。


『──だから、岳も忘れてくれ』


 絞り出すようにそう口にして。


「くっそ…っ」


 ドアを背に、そこへしゃがみ込み、髪をかき上げる。


 忘れられる訳がない。


 大和の何もかもが、自分の中に刻み込まれ、忘れようもなかった。

 暫くのち、部屋のドアをノックするものがいた。真琴だ。暫く待ってもドアは開かれない。部屋に入ってくるつもりはないらしい。


「岳。大和は行ったぞ」


 ドア越しに伝えて来る。


 分かってる。そんなの──。


「ここに、大和の端末を置いておく。後で写真、見てみろ。それと…お前は少し臆病になり過ぎてはいないか? 大事なものを守る方法は一つだけじゃないと思うがな…」

 

 コトリ、と床に端末を置いた音がした。

 真琴が去った後、ドアを開くと大和の使っていた端末が壁際にポツリと置かれている。

 少し逡巡したのち、手に取った。

 中を見ればせっかくの決心が揺らぎそうな気がしたからだ。けれど、それは見たいと言う欲求に負け。

 意を決して電源をオンにすると、画像ファイルを開く。

 そこには、大和の切り取った景色が写っていた。


「あいつ…」


 そこにあったのは、ありふれたひとコマだ。

 部屋から見た青空。夜空に浮かぶ三日月。

 朝日に焼ける雲。夕焼けにピンクに染まったウロコ雲。

 風に揺れる洗濯物。食べ終わった後の食器の山。亜貴と岳を乗せ去っていく黒塗りの車。

 キッチンから撮った、リビングで寛ぐ岳と真琴。寝起きの亜貴。ソファでうたた寝する岳。その上へ亜貴の持つクマのぬいぐるみが添えられていた。

 最後に雨上がりに昇った虹。

 どれも、ごく当たり前の日常。

 けれど、それが大和の大切に残して置きたい風景のはずで。

 

 それを俺は──。


 捨てさせようとしているのだ。

 俺だって手放したくなど無い。この日常もそれを生み出していた大和自身も。


 守る方法は一つじゃない、か。


 他に方法があるというのか。大和を手放さず生きていく方法が。

 真琴に臆病になり過ぎてはいないかと言われ、確かに必要以上に怖くなっていたと気づく。

 一緒にいることで、大切なものを危険に巻き込み、闇に染める事になる。それは避けたいと思うだろう。だから離れる選択をした。

 けれど、大和に限って言えば、その選択が正しかったのか。


『だから、俺も連れてけよ。岳の傍に置いとけよ!』


 大和が初めて声を荒げた。


 置いておけるものなら──。


 臆病者。


 いるはずのない大和がそうなじっている気がした。勿論、それは岳の妄想に過ぎないが。


 だって、仕方ないだろう? お前を手元に置いて何かあれば、俺は後悔してもしきれない。


 けれど。


 傍らにいなくとも、大和に何かが起こる事はある。何処にいても危険は潜んでいて。

 確かに岳の側にいれば、いらぬ危険も引き寄せるだろう。だが、何かが起こっても側にいれば対応出来る。

 このままなら、出来る事はなにもない。


 俺は、大和を守りたいから別れる決断をした。それも、一つの選択だ。


 けれど、守りたいのなら、もっと別の方法があるんじゃないのか?


 亜貴が狙われた時も潔が襲われた時も、全て岳は側にいなかった。

 

 俺が側についていれば、完璧ではないまでも、守る事ができたはず。


 たった一人で立ち向かわせる事はない。

 今別れれば、何が起こっても、それを支える事も一緒に戦う事も出来ない。

 別れる、イコール、大和を守る事に繋がるのか。


 大和。俺は──。


+++


 雨脚は強くなって来た。

 ひとしきりそこで泣いた後、俺はしゃくり上げながら川面を見つめ。


 もう行こう──。


 だいぶ落ちついた気がする。

 この先も、当分一人になれば泣くだろう事は予測がついた。


 それは初めての失恋だ。仕方ない事だろう。


 今、すっげー、酷い顔になってんだろうな…。


 向かいから見れば、そのむくみ具合にギョッとするだろう。

 歩いて行くうちに涙も乾くといいが。

 ようやく重い腰を上げた所で、ざりっと砂を踏むような音が間近で聞こえた。

 なんだろうと顔を上げれば。


「…大和?」


 まるで少女漫画にありそうな登場の仕方だ。


 岳。


 幻かと思った。あまりに焦がれるからその幻影でも見ているのかと。

 岳は息を切らして、膝に手を付き腰を曲げた。


「っとに…。どこ歩いてんだ。探すのに苦労したっての…!」


「…なんでだ? なんで──」


 ここにいるんだ? 追ってきたのか? さよならを言うため? 


 だったらもう。


「帰れよ…。明日は大事な式だろ? ひとりで来たのか? 何かあったらどうすんだよ?」


 いくら岳が継ぐとなったからといって、最後まであがく阿呆がいないとも限らない。

 我知らず口調が厳しくなるが。


「言い忘れたことが、あった…」


 岳は俺の言葉など聞いていないのか、まるっきり無視して先を続ける。


「俺は大和が好きだ。これらも、この先もずっとお前だけだ」


 そう言って、真っ直ぐ見つめて来る。


「は? 何言ってんだよ? そんな事言って、どうすんだよ? 先なんて、ねぇのに…。俺の事なんて忘れて、さっさと別の奴見つけて幸せになれよ! …お前と一緒に行ける奴、きっと何処かにいる。俺だって岳に及ばないまでも、誰か見つけて幸せになって──」


「忘れない。俺には大和だけだ。それに、大和は誰にも渡さない」


 俺は狼狽え出す。


「そんなこと言って、どうすんだよっ? 俺は…傍にいられないのに…。なのになんでそんなこと言うんだ? せっかく、川にどっさり流した所なのに…。辛くなるだけだろ?」


 お互いに。


 しかし、岳は首を振ると。


「俺は大事な奴を守れないほど、甲斐性がない訳じゃない。真琴に言われた。臆病になり過ぎだってな。確かに俺は無くすことが怖くて、守りたくて、遠ざける選択をした…。けれど、どこか遠くで何をしているのか案じるより、側に置いていた方がましだと思い直した」


「岳…」


「お前、忘れるって。本気じゃないだろ?」


「……っ」


 見透かされている。


「いつになるか分からない。けど、俺の身辺が落ち着いて、目途がついたら、お前を迎えに行ってもいいか? 側にいて欲しいんだ…。それで、お前を守る」


「は、はは…。んだよ、それ…」


 何をバカ言ってんだ。

 あれだけ、俺をそっちに置きたくないって言ってたくせに。

 やっぱりいて欲しいなんて。なんて都合のいい──。


「大和…。お前、結構泣き虫だよな?」


「…っさい! お前が、泣かすようなことばっか、するからだろ?」


 いくら止めようとごしごしこすっても、いつの間にか流れ出した涙は止まらない。


 俺はいつからこんなに泣く奴になったんだ? 


「ごめん…」


 岳が躊躇いつつも俺の側に寄り、肩に手を置くと抱きよせてきた。ぽすりと頭がその胸に包まれる。


 あったかい…。


 途端に身体に入っていた力が抜けた。岳の香りと温もりに、ほっと息をつく。


「勝手ばかり言って、お前を振り回した…。待っていて欲しい」


「ばっかじゃねぇの? はじめっからそう言えよ…」


「そうだな」


 腕に力が入り、今度はぎゅっと抱きしめられる。その強さが、岳の思いをこちらに伝えてきていた。

 このまま、ずっと抱き合っていたい所だが、このままではいい加減ずぶ濡れになってしまう。


「岳…、このままだと風邪ひく。明日があるんだし。もう、行けよ」


 俺は顔を起こしてその胸元を軽く押すが、岳は動こうとしない。


「…そうだな。けど、まだ返事を聞いてない」


 岳は困ったように眉根を寄せる。俺は笑うと。


「分かったって。待つよ。お前がやっぱり忘れちまったとしても、俺はきっと待ってる…」


 ずっと。


 だって、俺は岳しかいらないのだ。他の誰かではここは埋まらない。


「忘れるわけない。ありがとう…。大和」


 それでもひと目がある。

 唇ではなく、岳は額の髪をかき分けそこへキスを落とすと、漸く俺から離れた。

 俺はそこに立って、早く行けと手を振る。


「早く帰れよ。真琴さんが心配してるぞ!」


「大丈夫だって。お前も気をつけて帰れよ。…また連絡する」


「期待しねぇで待ってる!」


 それでも岳は振り返り振り返り、最後に漸く前を向いて歩き出した。

 その背にほっと息をつく。

 岳が待てと言うなら、幾らでも待つつもりでいた。

 実際、組長になればそれどころではなくなるだろう。今まで以上に汚い仕事も増えるはず。

 それでも、そんな岳の傍にいたかった。

 俺で支えになるなら、時には甘えさせて、叱咤激励して、その傍らに立ちたいと思う。


 モブだって、やればできるんだ。


 晴れ晴れとした気持ちで、土手の階段を降りようとする岳を、最後まで見届ける。


 もう、岳と離れる必要は無いのだ。


 それが嬉しくて、背後に立った気配に気づくのが遅れた。


「よう。お熱いな…」


 聞き覚えのある声。

 ハッとして振り返ろうとすれば、背後から羽交い絞めにされる。


「お前、楠の?!」


 長い腕ががっちりと首と腹を押さえ込む。動く隙がなかった。

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