河川敷
悟の脳は、収縮していた。
そして悟自身も、衰弱して行く。
病院では、もはや手の打ち所は無く、ルーナとズルワーンは、悟を自宅で看る事にした。
「…悟…私…私のせいだわ…あんな…」
「いや、僕が悪かったよ。ルーナ…こんな…」
ルーナとズルワーンは、互いが自分を責め、互いで慰め合う。
そして2人は決断する。
悟を、保管する事を。
ルーナとズルワーンに、この縮小を止める事は出来なかった。
現代の医療では、解決出来ない事も分かっていた。
しかしミアの時の様な、過ちを犯す訳には行かない。
そして2人が下した決断が、電子脳内に悟の完全な移植、魂を作る事だった。
2人の作業は、徹夜が続く。
タイムリミットは近かった。
この作業を初めてから、悟の脳の縮小スピードが早くなって行ったのだ。
それは作業を進めれば進める程、早くなる。
「…ごめんなさい…ごめんなさい…悟…」
ルーナは、ほとんどの時間、涙を流しながら作業をしていた。
ズルワーンは、それを何とか助けようと、全力で協力する。
その間、フォルは1人で居る時間が増え、そしてフォルの脳は、飛躍的に発達して行く。それに比例し肉体的な成長も、早くなっている事に2人は気づかなかった。
「…悟…悟…悟…」
「ル、ルーナ。少し、休んだ方が…」
「…」
その優しい言葉すら、もうルーナの心には届かない。
「ねぇ、パパ…私…何だか、身体が…痛い…」
フォルが、2人の作業部屋へ突然やって来る。
「ん?大丈夫かフォル?どう痛いんだ?パパと一緒に病院…へ…」
その時ズルワーンは、フォルを見て、時間が止まる。
それはフォルの時間が急速に進んでいたからだ。
フォルの服は、窮屈そうになり、見た目は7歳くらいにまで成長していたのだ。
この作業を進めだして、まだ3日しか過ぎて居ないのに。
「…ズルワーン、フォル…が…」
ルーナも大切なフォルを心配し、画面から2日ぶりに目を離す。
そしてルーナの時間も止まる。
2人は、作業に集中したかった。
しかし、この様な状態のフォルを放っておけるはずも無く。
ルーナは、ズルワーンにフォルの事を任せ、1人で作業する事になる。
しかしズルワーンは、困惑する。
この様な状態のフォルを、普通の病院へ連れて行ける訳も無く。
自身で原因を調べるほか、無かった。
原因不明。
悟もフォルも、ルーナとズルワーンの愛によって、この世界の中で歪められてしまった存在になってしまった。
フォルの成長。
悟の脳縮小。
天秤が傾くように…2人は反比例する。
そして、その日は来てしまった。
悟に心拍数は無く、ルーナの涙は枯れ、ズルワーンは、ルーナをベットに運び、フォルはただそれを見ていた。
そしてフォルは、悟へと近づき、頬を撫で。
「ごめんなさいね…」
と、呟いた。
悟の葬儀が終わる。
祖母は、
「あんな男と居るから!悟はっ!悟…っ」
と、ルーナを責める。
しかし、ルーナの目にはもう、光も、涙も無かった。表情も変わらず、ルーナの父は、それを見て何も言えなかった。
祖母と父は、実家へ帰って来ることを、ルーナに強く勧めたが、ルーナは、
「私には、まだ悟が必要なの…」
と言い残し、2人から去って行った。
ズルワーン、フォル、ルーナ。
3人は朝食を食べていた。
そして机には、1台のノートパソコンが置かれている。
「おはよう、ママ」
「おはよう、悟。少し待っててね。これ食べたらお散歩行きましょう」
「はぁい!今日は、僕、川が見たいな」
「分かったわ、一緒に川へ行きましょう」
「やったぁ!」
この異様な光景を、ズルワーンは笑顔で眺め、フォルは無関心だった。
2日前、眠りから起きたルーナは、10台に増えたPC群の中央へと進む。
(もう…悟の身体は、脳は、この世界には存在しない。なら、悟の魂…心を…私は…)
ルーナは、PCから電子脳内に保存されていた、電子脳から脳へ電気信号を送る移行システムデータを削除した。
そして、必死の想いで、集めた悟の電気信号、魂を、PC1台へと収縮して行く。
それを電子脳を使い、PCの中で再構築し、具現化する。
「…出来たわ…戻っ…て…来て…悟…」
ルーナは、震える指で、マウスを操作し、
【Re.Soul】
という、ボタンを押した。
すると突然、全てのPCの電源が切れ、部屋が闇に包まれる。
ルーナは、愕然とした。
失敗してしまったのだと。
そしてルーナの目には、もう枯れ果てたと思われていた、涙が湧き出す。
その時だった。
正面のPCのみ、画面が点灯する。
そして中では、悟が笑っている写真が表示される。
「ママ…おはよう…」
悟の声だった。
「ここ…何処?ちょっとせまい…」
ルーナの涙は、歓喜の涙へと変わり、ズルワーンの部屋へ、そのノートPCを抱え、走り出す。
「悟よ!悟がっ!」
「どうしたの?ママ?」
「ん…ルーナ…どうし…」
次の日ルーナは、ノートPCを持ち、散歩へ出かける。
そしてノートPCを抱え、悟とよく行った、公園や、スーパー、電車の見える河川敷などへ、足を運んだ。
ノートPCのカメラ、マイク機能を使い、PC内で補強され、外の世界が認識出来る様になっているからである。
その間ノートPCの画面を、外に向け、悟に外の世界が見えるようにしていたルーナは、ずっと悟と話をしていた。
周囲からの目など、気にもせずに。
そして、その日ルーナは確信した。
間違いなく、悟なのだと。
そして、これは悲しみを抱く、全ての人に、有効である事を。
ズルワーンとルーナは、それぞれ、別の形で愛する者を、この世界に引き止めておく事に、成功したのだった。
逃れられぬ運命の深い悲しみの末、最高の結末が、待っていたのである。
そして今日は、ズルワーンと、行きたがらないフォルも連れて川へ行く事となる。
「あ、でんしゃだ!」
「ふふ…悟は電車が好きね…」
「…凄い…ホントに、悟なのね…」
それまで無関心だったフォルも、これに驚く。
「フォル…これからは、お前がお姉ちゃんになるかもしれない。悟を、頼んだぞ…」
そう言われたフォルの顔は、不服そうな顔をしながら、少し照れくさそうだった。
4人は、河川敷をのどかに散歩する。
人は居ない。
好奇の目で見られる事も無い。
平和で、天気は良く、4人は笑顔だった。
この時までは。
「…な、なんなの…」
「…フォル、ルーナ…悟と下がって…」
ズルワーンは、3人を守ろうと前方へと出る。
4人の目の前の、何もない空間が、ヒビ割れていたのだった。
それは大きなガラスが割れるような音を立て、割れていく。
縦2メートル、横1メートル程に、空間が割れ、その中は、真っ暗な闇が広がっていた。
「…な、何なんだ…」
ズルワーンは、驚きながらも、観察を続けてしまう。ルーナも同じだった。
しかし、フォルが叫ぶ。
「逃げましょう!パパ!ママ!悟も!!」
フォルは、2人の腕を持ち引っ張る。
そのチカラに、ルーナとズルワーンは、正気に戻り、その場から逃げようとした時だった。
「待てよ、テメェら…!」
その黒い空間から、手が現れる。そして足、そして白い髪に、つり上がった目、青年だった。
「何処へ行くんだよ…逃げれると思ってんのか?このヒック様から」
3人は恐怖以外、何も感じなかった。
悟は、状況把握が出来ていなかった。
「ママ…どうしたの?ママ!」
「悟、少し!眠ってて!」
ルーナは、悟が帰って来てから初めて、ノートPCを閉じた。
逃げる事に、集中する為である。
(も、もう、誰も…誰も欠けてはダメよ…私も、悟も、ズルワーンも、フォルも!)
3人は、手を引き合い、全速力で振り返らずに走った。
しかし、目の前がヒビ割れて行く。
そして、またガラスの様に割れ、先程の青年が、目の前に現れる。
「テメェら!逃げてんじゃねーぞ!!」
全速力で走っていた3人は、その青年の近くまで、近づいてしまう。
そしてまた、反対側へ逃げようとした時だった。
フォルの腕が、その青年に掴まれる。
「へへ…捕まえたぜ…ん?お前と思ったが、少し…違うな…。お前も、対象だが…じゃ、どこに、んなもん…」
そして青年ヒックは、ルーナが持っているノートPCを見る。
「ま、まさか…そんな所に、隠してんじゃねぇだろうな…」
フォルを手放し、一瞬でルーナの目の前に移動する青年。
「おい、お前。それ、開けて見ろよ…」
青年は、ノートPCを指さし、ルーナに指示する。
「な、何なのよ!これはPCよ!普通の!!」
ルーナは、そう言うと、また逃げようと走り出す。
「待てよ!」
そう言って追いかけようとする青年の腕を、ズルワーンが掴む。
「ルーナ!逃げて!!」
そして、フォルがその青年目掛けて走って来たと思ったら、背後から飛び蹴りをする。
「フォルも!逃げなさい!!」
ズルワーンは叫ぶ。
フォルの飛び蹴りを喰らっても、青年はピクリともしない。
そして、また瞬間移動の様に、ルーナの前へと移動する。
「待てって言ってんだろーが!ったく、テメェらなんなんだよ!!」
「あなたこそ何なの?!」
離れた場所で、ルーナと青年が話している。
ズルワーンとフォルは、ルーナの元へと走る。
「俺はなぁ、この世界、全てのバランスを直す者だ!!テメェらが何かしたおかげで、この世界全てが変わっちまった!!何してくれてんだよ!!!」
「…なっ…私たちは…何…も…」
「嘘つくんじゃねぇ!!魂だ!!お前らは運命にヒビを入れて割り、その中から取り出しただろ!!!亡くなった何かを!!!」
「…ッ」
ズルワーンとフォルは、ルーナの前へと出る。
「いいか?このままだとな、お前らだけのせいで、この世界、全ての法則が変わっちまうんだよ!!何様だ!テメェら!!!」
「…わ、私は…ただ…」
「ただ?なんだよ」
「悟が…悟に…私は…」
その時だった。青年は瞬間移動し、ルーナのノートPCを奪う。
先程まで居た位置と変わらないのに、ノートPCを手に持っている青年を見て、ルーナは驚く。
「じゃ、コイツを破壊して、調整し直したら終わりだ。良かったぜ、こんな低レベル文化の世界で起こって。いや、逆にすげぇな…」
ルーナの眉間にどんどんとシワが寄って行く。そして、その目は鋭く釣り上がり、目は血走る。
そして、ルーナは青年へと走り出す。
続けてズルワーン、フォルも走り出す。
「悟をっ…悟を”っ…がえじなざいよっ!!!!!!!」
青年は、瞬間的に移動する。
ルーナは、飛びついたが居なくなった青年の場所へ、転ぶ。
しかし、すぐに立ち上がり、また青年を追う。
「む、無駄に決まってんだろ?!バカか!?」
しかし、ルーナは諦め無かった。
その時だ。
青年が、移動した先に、フォルが居た。
フォルは、青年からノートPCを取り上げる。
そして走る。ルーナに向かって。
突然の事に、動揺した青年は、移動し、ノートPCではなく、フォルの腕を掴む。
「ママっ!これ!!」
そしてフォルは、青年の腕を逆に掴み、離さないようにし、ノートPCを投げる。
しかし、ルーナへは届かず、地面に落ちてしまいそうな時だった。
ズルワーンは、それを拾い、ルーナの傍へと近寄り手渡す。
すぐに、フォルの方へと走る。
「フォルを離せ!!」
ルーナは、叫んだ。
「もう!!!!なんなのよ!!!!私が何をしたというの!!!!ただ!!!ただ悟をっ!!!!悟を愛しただけじゃないっ!!!!!!」
そしてルーナは、その場に、しゃがみ込み、誰からもノートPCが見えないように、顔を地面に着け、手と足で、ノートPCを抱え込む。
その叫びは、その場、全員に聞こえた。
そして、青年の腕を振り切り、フォルはルーナの元へと、ズルワーンの元へと走る。
「絶対に、絶対に渡さないわ…私の悟っ…私が…守るの…絶対、絶対…に…」
ルーナの涙は、大地へと、すぐに染み込んで行った。





