第57話 モテるわけだ
将来の夢は、幼い頃から決まっている。心臓病治療に特化した医師になることだ。
私が小学五年生の時、父が心臓突然死で亡くなった。いわゆる突発性の心臓麻痺というやつだ。
忘れもしない。その日の朝、私は寝坊して学校に遅れそうになった。優しい父は自分の出勤時間を早め、「先生には内緒だぞ」と言って、車で学校の近くまで送ってくれたのだ。
「パパ、ありがとう」
手を振る私に、父は少しだけ照れたように笑って頷いた。その笑顔が永遠の別れになるとは知らずに。
父は私を送った後の会社への道中、突如、心臓麻痺を発症し、亡くなったのだ。
現場検証での結果、どうも信号待ちをしている間に発作に襲われ意識をなくしたらしい。それによって車は制御を失い、同じく信号待ちをしている前車に接触して停止した。
意識がなくなり、ブレーキペダルを踏んでいた足に力が入らなくなった結果、車は低速で動き出し相手の車に接触したのだろうというのが警察の見解だ。軽い接触のため、相手の運転手と同乗者に怪我がなかったのは不幸中の幸いだった。
私はしばらくの間、大好きだった父の死を受け止められずにいた。父の何気ない仕草などを思い出すたびに、涙腺が崩壊した。そんな毎日を繰り返すなかで、徐々にだが、心境に変化が現れ始めた。
......医者になりたい......そう思うようになったのだ。
「ママ。私ね、パパみたいに心臓病の人たちを助けるお医者さんになりたいの」そう言う私に、母は「伽耶ちゃんは優しいね。パパも天国で喜んでるよ」と言ってくれた。
随分、あとになって分かったことだが、医師になるには莫大な教育費がかかるため、母と娘二人の母子家庭の我が家では、到底そんなお金は用意できない。
今となって思い出してみると、母はその負担を減らすためにも再婚を決意したのかもしれない。私のために......。母も父同様、優しい人なのだ。私はそんな両親の愛情を一身に受け、育てられた。
そして母は、私が中学一年になった年に再婚した。
再婚相手の生村さんは、早くに奥さんを病で亡くされていた。そして、聖也くんという私より四つ下の男の子の父親でもある。つまり、私は母の再婚で弟ができたのだ。
一人っ子だった私がお姉さんになった瞬間でもある。そのことが純粋に嬉しかった。
母と生村さんの最初の出会いは、父が起こした交通事故である。実はその事故相手の車を運転していたのが生村さんだったのだ。そのことで交流が深まったのがきっかけらしい。当時6歳の聖也くんも一緒に乗っていたとのこと。
母は再婚後、生村の姓を名乗った。私も生村さんの養子になり、生村伽耶となる。
それからの私は、幼いなりにも頑張って新しい家族に溶け込もうと努力していたと思う。ただこの努力はネガティブな感情からしていたのではなく、心の底から本当にそうでありたいと願うポジティブな感情からのものだった。そう…亡き父のためにも。
聖也は最初から私に懐いてくれた。幼い頃の聖也は、私の行くところ行くところ常に後を追っかけてきて離れなかったし、私の一挙一動を注目しておどけて真似してみせたりもした。
まぁ、たまには鬱陶しい時もあったが、それでも私はそんな聖也の姿が可愛くて仕方なかった。
それから数年が経ち、中学生になった聖也は、姉の私から見てもかなりのイケメンに成長していた。
私の友達の間でもその噂が広まり、聖也目当てでわざわざ家まで遊びに押しかける位のフィーバーぶりだ。しかも、どうやら友達の間で聖也のファンクラブらしきものまでも存在していたみたいで、恋バナ好きの私としてはなんとも自慢の弟だった。
本当に幸せだった。義父である生村さんも私にとても優しく接してくれていた。進路についても理解してくれていて、もちろん医師になりたいという私の夢も応援してくれている。
そんなある日の事。夕食のため家族で食卓を囲んでいる時に、その話題になった。切り出したのは聖也である。
「ねぇ、姉さん。姉さんは優しい人だから医師になれると思うけど、先立つもののこと、考えた事ある?」
「えっ?」
もちろんなくはないが、答えが出ずに先送りしていたところはある。ただ『姉さんは優しい人だから』という表現、こんなセリフを姉に対して恥ずかしがらずに、簡単に言ってのける聖也に感心をした。
「モテるわけだ」
質問に全く関係ない言葉が、先に私の口を突いた。
「なんのこと?」
「いや、なんでも…。そう、お金のことでしょ?もちろん考えているわよ」
「お金もそうだけど、勉強の方は大丈夫?大学の医学部に合格するのは並大抵のことじゃないよ。姉さん、その準備はしてるの?」
(ギク!痛い所をついてくるなぁ)
「もっ、もちろんしてるわよ」
「本当にぃ?でも無理せず、まずは看護師になって、医療現場で経験を積んでみてもいいんじゃない?…ねえ父さん」
「そうだね。看護師も人の命を救う素晴らしい仕事だよ。それに、奨学金とか制度も充実してるし、伽耶ちゃんも気兼ねなく目指せるんじゃないかな?
それに看護師から医師になる人もいるって聞くし、その時、看護師としての経験が武器になると思うんだ。まぁ働きながら勉強するわけだから、それなりに大変だとは思うがね」
お義父さんはそう言いながらお母さんの顔をみた。
「伽耶ちゃん、あなたならできるわ。お母さん信じてる」
お母さんはそう言って、皆の会話を本当に楽しそうに聞いていた。
私は頑張って高校卒業後、市立の看護専門学校に奨学金制度を利用して進学した。
''お金の事は心配しなくていいから、伽耶ちゃんの好きな大学に行きなさい''
お義父さんは、前にそう言ってくれたが、やはり家族には必要以上に負担をかけたくなかった。
私が最終的に進路を決めた理由は、あの夕食の後の聖也の助言が決め手となった。
「姉さん、この近くにある大きな病院あるでしょ?ほら丘の上にある病院だよ」
「丘の上?あぁ、あの総合病院の事?」
「そうそう。そこの病院の奨学金制度を使って、看護師の専門学校に入れば、授業料とか全額免除してくれるらしいよ」
「えーっ、全額⁈凄っ‼︎」
聖也の話を聞いて、私は思わず前のめりになった。詳細はこうだ。市立の看護専門学校に入学し、卒業後に、同じ地区にある市立の総合病院に規定期間以上勤めれば、授業料を含む経費のほとんどが免除されるというものだった。
そして看護専門学校に通い始めた私は、一年次の後半(秋頃)から、丘の上にある総合病院の実習研修に入った。
当時19歳になっていた私は、そこで、すごく印象に残るひとりの女性に会った。
榊友美さん。私たち看護実習生の指導を担当してくれる女性だ。
彼女の、患者さんへの細やかな気遣い、テキパキとした仕事ぶり、そして私たち実習生に対しても驕ることなく常に謙虚に接してくれる姿は、すぐに他の実習生の間でも評判になった。……そしていつしか、私は彼女に憧れるようになっていた。




