第56話 生前最後の記憶
「急ごう。この先に『休憩所』がある。まず、その部屋でほとぼりが冷めるのを待つ」
湿った空間に私達の靴音だけが響く。
私はハルに繋がれた手を強く握り返した。
「行きましょう。お嬢様。もう少しの辛抱です」
ハルの言葉に頷くと、ハウスキーパーも優しい笑みを浮かべてくれた。
「ご主人様。裏口はどのあたりに続いているのでしょうか?」
キヨシの言葉に、先導するアランは振り返える。
「屋敷の外に繋がる農道だ。だが今、外に出ても村人に包囲されるだけだ。実はバトラーに、夜が更けたら馬車を裏口に回すように手配してある」
アランの言葉に一同の表情が明るくなるのが分かった。希望の兆しが見えた感じがした。
「馬車では、どちらまで行かれますか?」
「まずは町へ出る。実はリチャードの代から親交がある、旧会津藩の重臣の血筋の者が、新政府の役人をしているんだ。その人の力を借りようと思う」
静まり返った薄暗い地下施設に、私達の靴音だけがコツコツと響く。
何やら怪しいその空間の、正面とその左側の壁には、それぞれ大きな鉄製の引戸が確認できる。
近づくと空間の右隅に、今度はうっすらと、磨りガラスがはめ込まれた扉が現れた。
「ここだ」
鍵穴は見当たらない。アランがその取手に指をかけ、横にスライドさせた。彼を先頭に、一同は順に中へ入っていく。
「さぁ、お嬢様…」
さりげなく、私の背中に手を添えて促すハルの背後から、一瞬、風の流れを感じた。
何気にそちらの方へ目を向けると、先ほどの大きな引戸の辺りから、微かに風が吹き込む音が聞こえてくる。
高さ的には三メートル近くあるだろうか。音が聞こえたのは、そのうちのひとつ、向かって右側の引戸からだ。
「お父様?」
アランを呼んだ。 部屋の中にいる彼が振り返る。私は、風の音が聞こえる方の引戸を指差してた。
「あの扉は、外に通じているのですか?」
アランは私の促す方へ視線を向ける。
「…そうだよ。そして、その先は、屋敷裏の農道に
続いているんだ」
それを聞いて、息を吹き返す一同。
「やった!ここまで来れば、もう大丈夫ですね」
キヨシが目を輝かす。
「はぁぁ…ようやく、一息つけますね」
ハウスキーパーも安堵の声を漏らした。
「お嬢様。良かったですね。これで助かりますよ」
緊張の糸が解れたのか、ハルが満面の笑みを浮かべながら、しゃがみ込んで私の目線に合わせて話しかけてくれた。
アランは、そんなみんなの表情を見て、もの凄く大きな溜息をひとつ吐いた。そして、部屋に備え付けられている横長のソファーに腰を沈める。
その姿は、目に見えない大きな荷物を、傍らに下ろしたかのように、そして、まるで『責任』という重圧から解放されたようにも見えた。
その時、外と繋がっているその引戸が、大きな音を立てて開いていく…。
「えっ!」
心臓が、ひとつ、ドクンと大きく脈を打り、呼吸が止まる感覚に陥入る。
私たちは、一斉に振り向いた。
その光景は、今、思い出しても、吐き気を催すくらい、ショッキングな光景だった。
そう…。私は、息をすることを忘れてしまうくらい、胸が張り裂けそうになったのだ。
逆光でも、そこに現れた人数の多さは、一目瞭然で分かる。
だが、その群れの先頭に、バトラーとヴァレットがいた。
もしや?…私の心は歓喜に包まれた。恐怖から一転、二人の姿を見て、心の底から安堵した。
助けに来てくれたのかと思った。これで助かると…。
でも、そうではなかった。そう…私たちの中に裏切り者がいたのだ。
それは、なんと、唯一信じていたバトラーとヴァレットだったのである。彼らは、リチャードの財産を出し抜いて手中に収める為、村人たちと結託していたのだ。
…結論から先に言おう。彼らこそ、悪の根源そのものだったのだ…
結局…私たちは、生きてその部屋から出ることはなかった。そして…全員、その場で惨殺されたのだ。
…これが、私の生前最後の記憶である…




