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第七話 意志を揺らす天使と悪魔は通りすがり

帰りの馬車は、来た時より静かだった。


戦闘が一つ。商談が一つ。


濃い一日だったのだ。誰だって疲れる。


――と、思っていた時期が俺にもあった。


「ノア様。本日の依頼料に、色を付けたいのですけれど」


「気持ちだけで十分だぞ。契約は金貨二枚だろ」


「働きが契約を超えましたもの。ご希望をどうぞ」


「じゃあ金貨千枚!」


混じりっけ無しの冗談だった。


イリスはメモ帳を取り出して、さらさらと書いた。


「金貨、千枚。と」


「書くな書くな書くな! 冗談だから!」


「あら残念。ノア様ったら、こんな時でも笑いを取ろうとなさるのね。素敵ですわ」


「過剰評価が過ぎる!」


すると向かいの席から、冷えた視線が飛んできた。


セシルだ。笑顔だった。笑顔のまま、目が笑っていなかった。


「ノア。イリス様と、ずいぶん楽しそうですね」


「これは仕事の話であってだな」


「じゃあ、こうしたら許してあげます」


「お、何でも来い」


「私と結婚してください」


「予想の斜め上なんだよなぁ!?」


「その申し出は、聞き捨てなりませんわ」


イリスが参戦した。あとはもう、いつもの流れだ。


「ノアはこのセシルのものです」


「ノア様は我が家に婿入り確定ですわ」


「俺の意思は?」


「「静かにしていてください(まし)」」


「息ぴったりなんだよなぁ……」


ひとしきり言い合った後、二人は不思議と同時に黙った。


見れば、セシルがイリスの肩に毛布を掛けている。


「……貸しですよ、イリス様」


「借りておきますわ」


仲が悪いのか良いのか、いまだに判定できない。


ただ、この距離感が嫌いじゃない事だけは、認めざるを得なかった。


窓の外を眺めながら、俺はぼんやり考えた。


――プロポーズって、本来は男からするもんじゃないのか。


やるなら、かっこよくやりたい。相手は、その、まだ決められないけど。


そんな事を考えていたら、急に眠気が来た。


戦闘の疲れか。まぶたが落ちる。


落ちて――。


気づくと、白い場所に立っていた。


上下も、遠近も、あやふやな空間。


音が無い。匂いも無い。


そして何より――マナが、無い。


生まれてからずっと、空気みたいにそこにあったものが、綺麗さっぱり消えている。


《転移》は使えるか、試しに術式を編んでみた。


編めない。


静寂どころか、術式の糸口すら掴めない。


つまりここは、魔法の外側だ。


夢にしては、理屈が通りすぎている。


誰かが「そういう場所」として作った空間――そう考える方が、まだ納得がいく。


だとしたら、作った奴がいる。


俺をここへ呼んだ、誰かが。


「……ここ、どこだ」


「へへ。いい所に気づくね、君」


声がした。


振り返ると、紫色の髪の、やけに綺麗な顔の誰かが立っていた。


「僕は通りすがりの悪魔だよ。人生は強欲に生きなくちゃ! 二人とも貰っちゃえばいいじゃないか。ほら、これからは多様性の時代って言うし」


「入れ知恵が軽率すぎる」


「そこまでよ」


今度は反対側から、黄色の髪の少女が現れた。


「私は通りすがりの天使。悪魔の言葉に耳を貸してはだめ」


「通りすがり多くない? ここ、天使と悪魔の散歩道か何かなの?」


俺のツッコミを無視して、二人は睨み合った。


「この子に必要なのは、正しい道しるべよ。お姉ちゃんとしてね」


「はぁ? 僕の方が姉に相応しいね」


「私の名前はミネル……じゃなかった、ミナーヴァ。覚えてね、ノアくん」


「今、別の名前を言いかけたよな?」


「僕はルサルカ。よろしく、ノアくん」


ミナーヴァと、ルサルカ。


名前はまともなのに、言っている事はまともじゃなかった。


「ちなみに勝負の中身は?」


「これから十年、どちらが良い姉だったかを、ノアくんに選んでもらうの」


「十年!? 長いよ! あと俺が審査員なの!?」


「重要な役目よ。誇っていいわ」


「誇れないんだよなぁ」


「決めたわ。どちらがノアのお姉ちゃんにふさわしいか――勝負しましょう!」


「面白い。受けて立つよ」


「受けたら、僕たちは君のそばにいる事になる。いいの?」


ルサルカだけが、一度だけ真面目な声で聞いた。


「……そばにいる理由が、勝負の他にもありそうな言い方だな」


「さあ、どうだろうね」


「俺の意思は!?」


叫んだところで、視界が白く染まった。


――最後に一つだけ、確かな事があった。


あの空間で、二人は俺の名前を、教える前から呼んでいた。

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