第六話 王国一の交渉は規格外
「ふぅー。上手くいったわ」
「さすがです、ノア!」
「セシル、治癒魔法いけるか? あそこの執事さんを頼む」
「はい!」
セシルが駆けていく。入れ替わりに、騎士隊長が寄ってきた。
「見事な転移魔法だった。イリス様が婚約を申し込むのも納得がいく」
「その情報、もう共有されてるんですか」
「近衛は全員知っている」
「王家の情報網こわい」
再出発した馬車の中で、イリスは商談の資料をめくっていた。
「そういえば、対価にする結晶って、どこから出すんだ?」
「王家の宝物庫ですわ。三百年、使い道のなかった代物ですの」
「それを、装備に換えると」
「えぇ。物は、使われて初めて価値になりますもの」
「……その装備、誰が使うんだ?」
「あら。決まっていますでしょう?」
イリスはにっこり笑って、答えなかった。
嫌な予感だけが、確定した。
オーウェンは縛り上げて、後続の騎士に引き渡した。ギルドとの話は、王家の仕事になるだろう。
「このまま商談へ向かう。本来なら引き返す所だが、今日は君がいるからな」
「俺への信頼が重いんですけど」
ベルネル商会の本館は、王都の西にあった。
石造り三階建て。装飾は最小限。けれど窓枠一つ、扉の蝶番一つまで、いい物を使っているのが分かる。
――見栄に金を使わず、実に使う。そういう主の建物だ。
「お待ちしておりました、イリス様」
会長室で待っていたのは、茶色の髪の女性だった。
アリス・ベルネル。
クルスさんの妹にして、王国一の大商会の主。
「早速、本題に入りますわ」
イリスが指を立てた。
「私が欲しいのは、ソルセルリーファイバー製の戦闘服。そして魔金属の武器。エンチャント付きで」
「……最高級品ばかりですね」
アリスの目が細くなる。
「戦闘服が金貨八百枚。魔金属の武器が千二百枚。エンチャントを乗せれば、締めて金貨二千五百枚は下りません。イリス様、装備にそこまで積むなんて、万年に一度の勇者でも生まれましたか」
「えぇ。私の勇者が、出てきましたの」
――俺のことじゃないよな?
嫌な汗をかく俺の隣で、イリスは涼しい顔のまま続けた。
「対価は、陰陽属性の魔刻結晶ですわ」
「――ッ」
アリスの表情が、初めて崩れた。
魔刻結晶。マナを刻んで貯める希少鉱石。その中でも陰陽属性は、市場にほぼ出ない。
「相場が付けられない品です。値付けを間違えたら、うちが傾く」
「あら。傾くほど誠実に値付けする気がある、という事ですわね。ならば話は早くてよ」
「……一本、取られましたね」
二人の間で、見えない何かが行き交っている。
金額じゃない。信用の探り合いだ。
――美しい交渉だな。
帳面に書き留めたいのを、必死にこらえた。
「よろしいでしょう。ですが、結晶の受け渡しは後日。それまでの担保を頂けますか」
イリスが従者に目配せした。
大きめのケースが運ばれてきて、テーブルの上で開かれる。
中には、金貨が所狭しと詰まっていた。
ざっと見て、五百枚。
「今すぐ用意できるのは、これだけですけれど。足りないかしら」
「十分すぎます」
アリスが苦笑して、手を差し出した。
「商談成立です、イリス様。……ところで、そちらの彼が『勇者』ですか」
「えぇ。私のノア様ですわ」
「私の、は余計なんだよなぁ」
「ふふ。お噂は姉から聞いています。ギルドの帳面の君、ですよね」
「……姉妹の情報網もこわい」
「ノアさん。単刀直入に聞きますが、うちに来ません? 支配人待遇、年俸金貨三百枚でどうです」
「えっ」
「あら」
イリスの目が据わった。室温が二度下がった気がする。
「冗談です。……半分は」
アリスは肩をすくめて、俺の帳面を指さした。
「その帳面ごと欲しい、というのが商人の本音ですけどね。大事になさい。それは、あなたの十年が入った金庫だ」
「……はい」
金庫、か。
いい言い方をするな、と思った。
帰り際、アリスは俺にだけ聞こえる声で言った。
「ギルドは、あなたを失って初めて、あなたの値段を知る事になる。――商人として断言します。あれは、王国で一番高くつく解雇ですよ」
馬車に戻って、俺は帳面の隅にこう書いた。
『ベルネル商会、信用できる。ただし油断はできない』
商人と王族に挟まれる庶民の、ささやかな自衛だった。
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