第一話 最初の出会い
「まぁ、見事に追放されたわけだが」
王都の大通りを、俺は欠伸まじりに歩いていた。
荷物は、着替えと帳面が一冊。
十年勤めた結果としては、ずいぶん軽い。
――なのに不思議と、足取りも軽かった。
人は物を失うと世界の見え方が変わるというが、本当らしい。
屋台の焼き串の匂い。呼び込みの声。石畳の照り返し。
倉庫と執務室の往復では、見えなかったものばかりだ。
「さて、これからどう生きるかな」
適当な職を探すのも良し。店を開くのも良し。田舎でのんびりも良し。
縛りが消えた人生は、思ったより悪くない。
「……ま、彼女の一人でも出来れば、もっと良いんだけど」
生まれてこの方、色恋とは無縁だった。
このままだと死ぬ時は独りか、と考えて、少しだけ胸が苦しくなった、その時。
路地の奥から、鈍い音がした。
「――っ、ぅ」
見れば、身なりのいい男が、小柄な少女を蹴りつけている。
黒髪に、猫の耳と尻尾。亜人族の子だ。
通行人はチラリと見て、目を逸らして、通り過ぎていく。
「世の中って、非情だな」
呟いてから、俺は路地に足を向けた。
「おい、おっさん。こんなとこで何してんの」
「貴様、平民か! 貴族様に向かって、なんて口の利き方だ!」
「口の利き方も何も、ねぇよ」
男が殴りかかってくる。
大ぶりで、遅い。
俺はするりとかわしながら、右手に意識を落とす。
《転移》。
視認せしもの、触れしもののみ。
家の台所に置いてきたナイフ――十年、毎朝俺が触れてきた道具が、音もなく右手に現れた。
「て、転移魔法だと……」
男は怯み、それでも少女に手を伸ばそうと踏み込んで――その手首を、俺はひねり上げて地面に組み伏せた。
「せっかく貴族の家に生まれたのに、その器じゃ形無しだな」
「あの〜」
肩を、ツンツンとつつかれた。
振り返ると、さっきの少女が立っていた。
頬は腫れて、服は土だらけで、それでも背筋だけは伸ばして。
「助けていただき、ありがとうございます」
「ん。気にすんな」
「お礼を、させてもらえませんか。私に出来ることなら、なんでも」
なんでも、という言葉に、俺は少し考えた。
金は要らない。物も要らない。
なら――。
「じゃあ、人生の手伝いをしてもらおうかな」
「人生の、手伝い……? 専属メイド、ということでしょうか」
「そういうのじゃなくて。俺はこれから店を開くつもりなんだ。それと――君と、普通に仲良くなりたい」
「……えっ」
少女は目を丸くして、それから、困ったように笑った。
「変な人ですね。良い人、なんですね」
「ざっくりした評価だな」
「いいえ」
少女は首を振った。その目が、すっと暗くなる。
「あのままなら、私は売られていました。亜人の子供は、高く売れるので。……そうなれば、私は死んだも同然でした」
人身売買。
言葉としては知っていた。だが、その影を目の前で見るのは初めてだった。
「けれど、あなたが変えてくれました。一度は終わった命です。全部、あなたのために使います」
「重い重い重い」
「軽くしてほしければ、そばに置いてください」
「交渉が上手いなお前」
俺は苦笑いして、それから名乗った。
「ノア・カインズだ。よろしく」
「セシルと申します。……いい名前だと、言ってくれますか?」
「いい名前だね」
「――ッ」
セシルは一瞬固まって、俯いて、小さく「初めて言われました」と言った。
その先は、聞かないことにした。
いつか本人が話したくなったら、聞けばいい。
「ところでノアさん。これから、どちらへ?」
「俺の家。……あ、いや、変な意味じゃなくてだな。行く所、無いんだろ?」
「はい。今日から路上生活の予定でした」
「軽く言う事じゃないんだよなぁ」
うちは古いが、部屋だけは余っている。
両親が遺した二階建てに、俺一人。部屋割りで困る事はない。
夕食は、ありあわせのスープと固いパンだった。
セシルは両手でスプーンを握って、一口すすって、動きを止めた。
「どうした。口に合わないか」
「いえ。……温かいごはんが、久しぶりで」
それきり、セシルは黙々と食べた。
俺も黙って、パンを齧った。
聞かない代わりに、明日から飯だけは毎日温かくしよう、と決めた。
帰り道、俺は歩きながら帳面を開き、真新しいページにこう書いた。
『依頼第一号。報酬、人生の手伝い一名。前払いで受領済み』
「なんて書いたんですか?」
「企業秘密」
こうして俺の新しい人生に、最初の住人が増えた。
独りで死ぬ心配は、どうやら当分しなくて良さそうだった。
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