15話 神殿の中庭で2
バラスター公爵家の後継者として誕生した私が、物心が付いた頃から。
母上は家族ぐるみで付き合いのある、フェアウェル子爵家の長女アンリエッタを、私の花嫁に欲しいと熱望していたようだが。
『当家は長い歴史がある名門という訳でもなく、至って平凡な子爵家です。遙かに格上のバラスター公爵家に嫁げば、アンリエッタは並々ならぬ苦労をするはずです。……どうかご容赦ください』
……と。アンリエッタの父上、フェアウェル子爵に縁談をキッパリと断わられてしまった。
この時のフェアウェル子爵の判断は、娘の幸せを思えばこそで。私が考えても妥当なものだと言える。
何せバラスター公爵家は王国で最も王家に近く。
過去に王妃を何人も輩出した貴族で、私の母上は元王女だ。そのうえ私は、順位は下の方だが王位継承権まで持っている。
フェアウェル子爵が尻込みするのも当然だった。
私自身はアンリエッタとの婚約を断わられたことに対して、何の痛みも動揺も感じることは無かった。
なぜなら当時、まだ幼かった私は何年も先の話になる、結婚という大イベント自体について、ほとんど考えたことが無く。……そのため、何のこだわりも持てなかったからだ。
──だが。
『ふふふっ……イザークお兄様! 私の婚約者のエミール様を紹介します』
『初、初めまして! イザーク卿。ア……アップトン男爵家のエミールです!』
エミール卿と仲良く手をつなぎ、アンリエッタが無邪気に笑う姿を見て、胸を抉られるような衝撃を受けた。
『……初めまして、エミール卿』
(婚約する前は、アンリエッタと手をつなぐのは私の役目だったのに)
アンリエッタは一瞬でも離れるのは嫌だと、エミール卿の手をギュッと握りしめている。
『イザークお兄様、エミール様と仲良くしてあげて下さいね!』
『……ああ。わかったよアンリエッタ』
『ふふふっ……ねぇエミール様、小鳥が巣を作った木があるの! 一緒に見に行きませんか?』
『はい』
母上と一緒にフェアウェル子爵邸を訪問した日は、いつもアンリエッタは私にベッタリとくっ付いて、腕を放してくれなかったのに。
『行きましょう、エミール様!』
『はい……アンリエッタ嬢』
アンリエッタはクルリと私に背を向けた。
私から興味が移ったエミールにベッタリとくっ付き、アンリエッタは私の前を歩いて行く。
半身をむしり取られたような空虚感に襲われた。
(せっかく私が会いに来たのに。なぜアンリエッタは、私よりもエミールを優先するんだ? 寂しいしイライラする!)
『アンリエッタ……』
名前を呼び手を伸ばしたが。エミールに夢中のアンリエッタの耳に、私の声は届かず。私の寂しさが伝わることもなかった。
それまで私に向けられていたアンリエッタの好意まで、婚約者のエミール卿に奪われたのだと知り、強い嫉妬心が生まれた。
幼馴染みのアンリエッタがエミール卿と婚約した時。……未熟だった私は自分の気持ちに、初めて気が付いたのだ。
私は自分の初めての恋を知り、恋を失った。そんな私の気持ちに気づいた父上に諭される。
『彼女はお前のモノにはならないのだから。お前の好意を知られないようにしなさい』
『なぜですか、父上?』
『お前を慕うアンリエッタ嬢から笑顔を奪い、苦しめることになるからだよ』
私は父上の教えを守った。
学園を卒業し成人の儀を終え、社交活動を始めた頃。私にも婚約者が出来た。
……それを幼馴染みへの長い片思いに終止符を打つ、きっかけにしようと思った。
(アンリエッタのことを考えると、まだ少しだけ……胸が痛むが。私にも婚約者が出来たから。レティシア嬢を愛すことで、アンリエッタへの未練を断てるだろう)
その頃になると片思いにも慣れて、アンリエッタへの気持ちも落ちつき。兄のように見守ることに、苦痛も感じなくなっていた。
『イザーク! 婚約者の私だけを見てくれなければ嫌よ!』
『レティシア嬢……』
『あなたは素敵だから、たくさんの女性が私からあなたを奪おうと近寄って来るわ。それが嫌なの』
『君の望みを叶えられるよう努力するよ』
口ではそう言ったが、レティシアの我儘に振り回され。
一緒に招待された夜会で、私が挨拶した相手を無礼な言葉で怒らせ、商談をぶち壊された時は……レティシアにひどく嫌気がさして、顔を見るのもうんざりした。
元婚約者のレティシアは、私の周囲にいる女性全員に激しい敵意を向けた。お茶を運んで来た若い使用人にまでだ。
(同じ女性なのに、なぜこうもアンリエッタと違うのか? それともアンリエッタが特別なのか?)
胸の奥に封印していた思いが……また、熱くなった。
婚約式を行った神殿の中庭にある小さな池の前で、アンリエッタと二人で石造りの長椅子に座り話しているうちに。
長年、胸の中に押し込めて来た切ない思いが、いっきに濁流となって溢れ出す。
「私が君の夫になるのは……そんなに嫌か?」
「え?」
……もう止められない。これ以上、止めるつもりもない。
アンリエッタの華奢な手を、自分の手のひらで包み込むように握りしめ、私は迫った。
「私は君にとって男としての魅力が、そんなに無いのか?」
「お……お兄様?」
「君はそんなにエミール卿が好きなのか?」
「……っ!」
私が追い詰めているせいで、アンリエッタが怯えているのがわかる。
「アンリエッタ、答えてくれ!」
(それでも、今こそ本音で話し合わなければ! 私の思いはアンリエッタに届かない)
いつまでたっても、優しい兄のままだ。
(私は兄などではなく、君の男になりたいのだ!)
エミール卿のような失敗は決してしない。私が溜めこんで来た思いを……今ここで、すべて吐き出す。
この世で最もアンリエッタを愛している男は私なのだと。




