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苔むす月の岩戸  作者: 小埜えりこ


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7/18

島の刻

徹也くんの車は港から海沿いの道をゆっくりと走った。


 窓を少し開けると潮の匂いが車内に入ってきた。本土のそれとは少し違う、もっと近い剥き出しの匂い。


「宿舎まで、十五分くらいやけんね」


「うん」


「腹減っとらん? 着いたら何か食おうか」


「大丈夫、フェリーでパン食うたけん」


 徹也くんは、そう、と短く頷いて、それきり黙って運転した。


沈黙が気まずくないのが身内の良いところだと思う。


 道の右手には海が続いていた。


左手には低い山と、ぽつぽつと点在する家。


信号は少なく対向車もほとんど来ない。


 永和は膝の上のリュックを軽く抱え直した。


胸元のポケットの石が、しっとりと温かかった。


 ―― 


姫様の気配は静かだった。


フェリーで「外の水」を見た時のような震えはもう無くて、車の揺れに身を任せているような、そんな穏やかさ。


 永和は、少しだけ安心した。


 教員宿舎は、海からは少し離れた、集落の外れにあった。


二階建ての少し古い建物。玄関に「虹ヶ原特別支援学校壱岐分校 教員住宅」と書かれた小さなプレートが掛かっている。


「ここね」


「うわ、思ったより普通のアパートやね」


「普通のアパートたい。学校からは車で五分」


 徹也くんは慣れた手つきで玄関を開けて、永和のリュックを持とうとした。


永和は「自分で持てる」と首を振って、階段を上がった。


 二階の一番奥が徹也くんの部屋だった。

玄関を開けると、すぐに台所と、その奥に六畳と八畳の和室。単身赴任の男性の部屋にしては思ったより片付いていた。


「思っとったより綺麗にしとるね」


「そら、可愛か姪っ子来るなら掃除位するたい」


「うそやん、いつも綺麗にしとるくせに」


「バレたか」


 徹也くんは、にこっと笑った。


台所でお湯を沸かし始めながら片手で冷蔵庫を開けて何か確認している。


「和紗も、気晴らしに来れば良かとにな」


「お母さん忙しかけんね。土日も何かしら仕事持って帰ってきよる」


「無理させんごとな」


「うん」 


永和は八畳の方に荷物を置いて窓を開けた。


島の風が部屋の中を通り抜けていく。


 胸元のポケットに、そっと手を当てた。


 「姫様、出してもいい?」


小さく心の中で問いかけると返事があった。


 ――少しだけ 


永和は石を取り出して窓辺の桟にそっと置いた。


外からの光が石の表面を柔らかく照らす。


 ―― 


姫様は、何も言わなかった。


ただ、その光を浴びていた。


「永和ー、お茶入ったよ」


 台所から徹也くんの声がした。


「はーい」


 永和は姫様に軽く目線を送って和室の座卓に着いた。


徹也くんが湯呑みを二つ座卓に置く。


「あんまり良かお茶やなかばってん」


「じゅうぶんじゅうぶん」


 湯呑みを両手で包むと、じんわりと温かい。フェリーの疲れが少しずつ抜けていくのが分かった。


「明日、どっか行きたかとこある?」


「うーん、自転車借りて島の中ぐるっと回ろうかなって」


「レンタサイクルな。港のとこにあるけん、朝連れて行っちゃる」


「ありがと」


「岳の辻は行っときな。天気良かったら、対馬まで見えるけん」


「うん、そこは行くつもり」


 徹也くんは湯呑みを一口すすった。


「……無理はせんごとな」


 その一言に少しだけ空気が変わった。


 永和は湯呑みを見つめたまま、小さく頷いた。


「うん、大丈夫。ちゃんと戻ってきたけん」


「そうやな」


 それ以上、二人とも何も言わなかった。


島の風が、また部屋を通り抜けていった。


 夕方、徹也くんが「ちょっと買い出し行ってくる」と出て行った。


永和は一人、和室に残された。


 窓辺の石を手に取って、掌に乗せる。


「姫様、疲れた?」 


――少し 


姫様の声は、いつもより微かだった。


「ずっと外に居るの、大変?」


 ――本来なら見る事もない筈の景色……知らぬ事が多い


「そっか」


 永和は石を軽く握って、そのまま畳の上に横になった。


天井の木目を見上げる。


「……明日は、自転車で島を回るよ。海沿いの道、通るけん」


 ――そうか


「疲れたら、言うてね」


 ――うむ 


少しの沈黙の後、姫様が続けた。


 ――永和


「うん?」


 ――我は、そなたが思うておるより丈夫じゃ


 永和は少し笑った。


「知っとるよ」


 ――そうか


 窓の外で、鳥が鳴いた。


島の夕方の音が部屋の中に、そっと入ってきていた。


2026.7.24


第二話にあたる「壱岐二泊三日編」です。

気になるのは壱岐のレンタサイクルが

自力なのか電動なのかです。

自力だと永和ひーひーふーだし

電動だと姫様びっくりだし

エピソードの内容が変わってくるのです。

ちゃんと調べてきますね!



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