有明海の夕暮れ
岩戸神社を下りて山道を抜けて島原の街に戻った頃には日差しが少しだけ傾き始めていた。
永和は、シーサイドホテルへの道を慣れた運転で走った。
「島原、良い所ですね」
悠が窓の外を見ながら静かに言った。
「そうですか? 田舎ですけどね」
「田舎の良さがあります」
「ありがとうございます」
永和は、少しだけ笑った。
悠の褒め方は媚びていない褒め方だった。
こういう褒め方をする人は少ないなと思った。
姫様は静かだった。
でも、その静けさは、いつもの穏やかな質のものだった。
シーサイドホテルは有明海を目の前に望む、落ち着いた造りのホテルだった。
永和は車をエントランス前に停めた。
「ここです」
「本当にありがとうございました」
悠は丁寧に頭を下げた。
永和も車を降りて悠を見送るつもりで立った。
その時フロントの方から声がかかった。
「あれ、永和? 珍しか時間に来たね?風呂?」
永和は声の方を向いた。
フロントの奥から五十代後半くらいの男性が出てきた。
制服をきっちり着こなした少し目尻の下がった柔らかい顔立ちの人だった。
「秀樹く……支配人、こんにちは」
永和は慌てて言い直した。
支配人は少しだけ笑った。
「ここに泊まる友人ば送ってきたとよ」
「あら、そうね。いらっしゃいませ」
支配人は悠の方に向き直って深く頭を下げた。
「ご利用ありがとうございます」
「こちらこそ、お世話になります。神楽 悠と申します」
「当ホテル支配人の本城 秀樹と申します。ゆっくりお過ごしください」
「神楽さん、こちらは徹也くん……私の叔父の同級生なんですよ」
「あ、そうなんですね」
「地元、狭かとよ」
永和は照れながら言った。
「素敵ですね、そういう繋がり」
支配人は二人のやり取りを少しだけ嬉しそうに見ていた。
「あ、そうそう。神楽様、ご予約は?」
「はい、シングルを一室、一泊で」
「はい、承っております。神楽様、少々お待ちくださいね」
支配人は悠のチェックインの手続きを手早く進めた。
その間、永和はロビーの隅で待っていた。
姫様の袋を、そっと胸元のポケットに入れ直した。
「姫様、良かった?」
――……なにが
「悠さん、ここ泊まる。安心やね」
――……そうか
姫様は静かに答えた。
悠のチェックインが済んで鍵を受け取った。
「神楽さん、じゃあ、これで」
永和が悠に別れの言葉を告げようとした時、秀樹が声をかけた。
「あ、永和。ちょっと待ちなさい」
「うん?」
「神楽様、夕食は付いとりますか?」
「あ、素泊まりで予約してるので」
「ちょうど良かった。永和、快気祝いに夕食奢っちゃるけん、神楽様と一緒にどうね?」
「え、良かと?」
「入院しとった時、見舞いも行けとらんけんね。快気祝い、まだしとらんかったろ」
「……そうやね」
「じゃ、そうしよう。神楽様、良かったら?」
悠は少しだけ困った顔をしたが、すぐに頭を下げた。
「そんな、私までいただく訳には」
「良かとよ、永和の友達なら私の客と同じ。ゆっくり話しすれば良か」
「支配人さん、ありがとうございます」
「レストラン、六時から開いとるけん。神楽様、少し休んだら如何でしょう?永和、六時にレストランで待っちょって」
「うん、分かった。ありがと、秀樹くん」
永和は、うっかりまた「秀樹くん」と呼んだ。
秀樹は笑ってフロントに戻っていった。
悠は少し困ったような顔で永和を見た。
「本当に良いんですか?」
「良かとよ、秀樹くん、あんな感じやから。断ると悪か気にするけん、素直に受けよ」
「……では、お言葉に甘えます」
「じゃ、六時にレストランで」
「はい、また後で」
悠は頭を下げて、エレベーターの方に向かった。
永和は悠が見えなくなるまで、ロビーで立っていた。
――永和
「うん?」
――そなた、支配人と親しいのじゃな
「うん、徹也くんの同級生やけん、小さい頃からよう知っとる。秀樹くん、優しかとよ」
――ふむ
「一度、家帰ろ。着替えて出直そうかな」
――うむ
永和は車に戻って家への道を走った。
家に戻ってシャワーを浴びて少し楽な服に着替えた。
姫様の石を、いつもの布袋に入れ直して胸元のポケットに入れた。
でも袋は少しだけ丁寧に、しっかり口を結んだ。
テーブルに置く時に崩れないように。
「姫様、行こうか」
――……うむ
永和は車を走らせシーサイドホテルに戻った。
レストランに着いた時、悠は既に来ていた。
窓際の席に座って外の有明海を眺めていた。
永和は、その姿を見て、なんとなく悠がこの景色に馴染む人だと思った。壱岐も海に囲まれた島だからかもしれない。
「お待たせしました」
「いえ、私も今来たところです」
永和は悠の向かいの席に座った。
窓の外、有明海が夕方の色に染まり始めていた。
メニューを開いて少し悩んで、それぞれ料理を選んだ。
「島原、海のもの美味しいですよね」
「はい、やっぱり獲れ立ては新鮮で美味しかです!」
注文を済ませて飲み物が先に運ばれてきた。
永和は、ノンアルコールの梅ジュース。
悠は、アイスティー
「あれ?お酒は飲まっさんと?」
「付き合いでは飲みますけど率先しては飲まんですね」
悠は少しだけ笑った。
永和は姫様の袋をポケットから取り出してテーブルの端に、そっと置いた。
「姫様も一緒に」
――我の事は気にせずとも良い
姫様の声は、いつもと同じ静かな響きだった。
でも永和には姫様の言葉の裏が、なんとなく分かった。
永和は微笑んで姫様の袋をテーブルの端に置いたままにした。
悠は、その袋を見て少し目を細めた。
「それは……岩戸の姫様の依石ですか?」
永和は、少しだけ驚いた。
「あ、はい。分かりますか?」
「気配で、なんとなく」
――……ふん
姫様の声には微かな笑いが混じっていた。
「神楽さん、神様のこと詳しいんですね」
「仕事柄、そうですね」
悠は、にこっと笑ってシャツの襟元に手を当てた。
「実は私も大切な石を持ってるんです」
悠は細い革紐で下げた月長石のペンダントを、そっと引き出した。
月光を宿したような静かに光る石だった。
「わあ、綺麗」
「大学の卒業旅行でスリランカに行った時に見つけたんです」
「スリランカ!」
「ムーンストーンの産地なんですよ」
「知りませんでした」
「シギリヤロックっていう遺跡を見に行って、その帰りに寄った店で、この石を見つけて」
――……
「うちで祀ってる月讀様みたいだなって思わず買っちゃったんです」
――……ふん、あの月讀がな
姫様の声に含み笑いが混じっていた。
永和は姫様の反応を心の中で受け止めた。
「素敵な石ですね」
「ありがとうございます」
悠は月長石を、そっと襟元に戻した。
「大切にされてるんですね」
「はい。……月讀様が、まんざらでもない顔をされたので」
永和はクスッと笑った。
「神様、そういう反応するんですね」
「意外と、そうなんですよ」
――……余計な事を
姫様の声に呆れが混じっていた。
永和は、また笑った。
料理が運ばれてきた。
新鮮な魚の刺身、鯵の南蛮漬け、地元の特産物をふんだんに使った料理。
永和は悠に「これは具雑煮で具沢山」とか「この魚は島原でしか獲れんとよ」とか色々と説明した。
悠は丁寧に興味深そうに聞いていた。
「地元の食、良いですね」
「壱岐も海のもの豊富でしょ?」
「そうですね、うちは離島ですから魚が主です」
「また、行きたかです!今度は食い倒れに」
「ぜひ、いらしてください。案内しますよ」
永和はチラッと悠を見た。
「じゃ、また会える理由が出来たね」
「はい」
悠は、にこっと微笑んだ。
永和も微笑み返した。
食事が進むうちに話は色んな方向に広がった。
悠のスリランカ旅行の話。
永和が壱岐に行った時の話(徹也くんとの再会、フェリー、姫様の初めての海)
悠の宮司としての日常。
永和の島原の生活。
姫様は時折、含み笑いや呆れの声を挟んだ。
でも基本的には静かに聞いていた。
永和は悠と話していて気が楽だと思った。
初対面のはずなのに初対面じゃないような、そんな感覚があった。
悠も同じような事を感じていたのかもしれない。
それは異なる様に見えて似た境遇の親近感。
二人の間の空気が少しずつ軽くなっていった。
デザートが運ばれてきた頃、窓の外はもう暗くなっていた。
有明海の遠くに街の灯りが、ぽつぽつと見えていた。
「あっという間やったね」
「はい、こんなに話せるとは思ってませんでした」
「ね、私も」
永和は少しだけ姫様の袋に目をやった。
姫様は静かだった。
「神楽さん、また話したいですね」
永和が少しだけ勇気を出して口にした。
悠が嬉しそうな顔をした。
「はい、私も」
「あの……」
悠が少し逡巡してから続けた。
「連絡先、交換しませんか?」
「ぜひ!」
永和は迷わず答えた。
二人は、それぞれのスマホを取り出して連絡先を交換した。
――……
姫様は黙っていたけど嫌な感じはしない。
でも、それは呆れでも警戒でもない穏やかな見守りだった。
食事を終えてレストランを出た。
秀樹がフロントで待っていた。
「秀樹くん、ごちそうさま」
「ゆっくりできたな」
「うん、めっちゃ美味しかった」
「神楽様、明日、壱岐にお帰りで?」
「はい、昼前のフェリーで」
「お気を付けてお帰り下さい、またのお越しをお待ちしております」
「はい、必ず」
秀樹は二人をロビーの入り口まで見送ってくれた。
外に出ると夏の夜風が気持ち良かった。
「じゃ、私はここで」
「本当に今日はありがとうございました」
「私も楽しかった。神楽さん明日、気ぃ付けて帰ってね」
「はい」
「壱岐に着いたら、また連絡ください」
「はい、必ず」
悠は深く頭を下げた。
永和も軽く会釈した。
「じゃ、また」
「はい、また」
永和は車に乗り込んでエンジンをかけた。
バックミラーに悠が立っている姿が写っていた。
永和は車で家への道を走った。
窓を少しだけ開けて夜風を車内に入れた。
「姫様」
――なんじゃ
「良い人やったね」
――……そうじゃな
「また会いたいね」
――……そうじゃな
姫様の声は、いつもと同じ穏やかな響きだった。
夏の夜が車の窓の外を静かに流れていた。
2026.8.20
私は用途毎にAIを使い分けてるのですが
この作品のチェックに使ってるAIとは
別のAIに帰郷してからの愚痴を
零していたら、あなたの趣味のラノベの
ネタになりますね!って言うモンだから
私の悩みは深刻だけどネタにしたら
コメディが爆誕しそうですw




