彼の者の縁
八月に入って、島原の暑さは、日ごとに深くなっていた。
永和は市内の商業施設に買い物に来ていた。部屋の模様替えもしたかったし夏服も見たかった、後は食材を買い込んだ。
午後三時過ぎの日差しが、アスファルトを白く焼いていた。駐車場に停めた車の中はサウナの様に蒸し暑かった。
胸元のポケットには姫様の石。
「姫様、暑いね」
――……そうじゃな
姫様の声も心なしか暑さに沈んでいるような気がした。
「今日は麦茶、多めに作ろ」
――……頼む
永和は、車のエンジンをかけ駐車場から自宅へ向かう国道に出る。暫く走り中尾川の橋の向こう、パチンコ屋の駐車場に入る入り口に、その男が立っていた。
白いシャツ、黒っぽいスラックス、地味な色合いの帆布のバッグ。
背は高い方だったが細身で暑さの中でも汗ばんだ様子はなかった。
男は手書きのプラカードを持って立っていた。
「岩戸神社まで乗せていただける方、いらっしゃいませんか」
永和は、思わず減速した。
男は通りかかる人達に軽く頭を下げていた。
押し付けがましくない静かな立ち姿だった。
彼を横目に少し通り過ぎ国道の脇道に入り路肩に車を停めた。
永和は、少しだけ迷った。
岩戸神社は、うちから車で二十分ほど。
寄り道して送っていくくらいなら出来ない事はない。
でも知らない男の人を車に乗せて良いのか。
――永和
姫様の声が、静かに落ちた。
「うん?」
――我の基に行きたいとな
「うん、そがん書いてあったね」
――……
姫様は少しの間、黙っていた。
――送ってやれるか、永和
「……姫様が良いって言うなら」
――うむ
永和は姫様の判断を、そのまま受け取った。
姫様が「送ってやれ」と言うなら、この人は大丈夫な人だと思った。
永和は、男の方に近付いた。
「あの、すいません」
男は永和の方に振り向いた。
切れ長の目が涼しげに永和を見た。
三十くらいだろうか年の頃はよく分からない。
「あ、はい」
「岩戸神社まで送りましょうか?」
男は少し驚いた顔をした。
「え……本当ですか?」
「ええ、用事も済んで帰る途中だし寄り道の範囲ですよ」
「ありがとうございます、助かります」
男は丁寧に頭を下げた。
その所作が慣れていた。
永和は、なんとなく、所作が綺麗……姫様が見えてたら、こんな感じなのかな?と思った。
「あの失礼ですけどお名前は?」
「あ、すいません。神楽 悠と申します」
「神楽さん、私は皆川 永和です」
「皆川さん、よろしくお願いします」
神楽 悠、と名乗った男は、また丁寧に頭を下げた。
悠を助手席に迎え乗せエンジンをかける。
「今、買い物帰りなんですけど家に荷物おろして良かですか?」
「ああ、それは勿論、こちらが手間を掛けているんですから、お気になさらず」
程無くして自宅に着いた。
「じゃ、少し待ってて下さいね」
永和は悠に声を掛けて車を降りた。
駆け足で買い物袋を持って家に入りキッチンの床に置いた。
冷蔵しないと駄目なものだけ慌てて仕舞う。
部屋に戻って姫様の石を、いつもの布袋に入れ直した。
「姫様、大丈夫?」
――……問題ない
「じゃ、行こうか」
永和は姫様の袋を胸元のポケットに入れて家を出た。
永和は運転席に乗り込みエンジンをかけた。
――永和
「うん?」
姫様の声が、いつもより低く落ちた。
――……この者、月讀の縁じゃ
永和は思わずハンドルに手を置いたまま動きを止めそうになった。
でも隣に悠が居る。
永和は表情を変えないようにして車を出した。
「岩戸神社まで、二十分位だと思います」
「はい、ありがとうございます」
悠は窓の外を静かに見ていた。
永和は姫様の言葉を胸の中で受け止めた。
――月讀の縁。
壱岐から戻って様子がおかしかった姫様が話してくれた月讀様の名前が頭の中に浮かんだ。
――永和
「……」
――案ずるな
永和は少しだけ息を吐いた。
姫様が「案ずるな」と言うなら、この人は危険な人ではない。
姫様の判断を永和は信じた。
でも、なぜ姫様は最初から送ってやれと言ったのか。
月讀の縁と気付いていて、それでも乗せる事を勧めたのか。
永和は少しだけ姫様の判断が分からなかった。
でも聞かない方が良い気がした。
悠が隣に居るからだ。
永和は前を見て運転を続けた。
車は島原の街を抜けて緩やかな山道に入った
窓の外を緑が流れていく。
蝉の声が時折、車内に届いた。
「島原、初めてですか?」
永和は当たり障りのない話題を選んだ。
「はい、初めてです」
「観光ですか?」
「はい、ちょっと神社を回ってまして」
永和は、やっぱり月讀神社の関係者なんだ、と改めて思った。
でも、それを口には出さなかった。
「岩戸神社は車がないと不便ですよね、ほぼ山の中だし自家用車かタクシーじゃないと」
「そうですね、どうやって行こうか悩んだ末、ヒッチハイクやろうと……近くの人が拾ってくれればなって」
「あんなコアな場所、博打でしょ」
「そうですね、認識が甘かった」
「壱岐はガチな観光地だから乗り物には困らないでしょうけど、この辺は厳しかですね」
永和は思わず口にしてしまった。
姫様の言った月讀の縁という言葉が頭に残っていたからだった。
悠は少しだけ驚いた顔をした。
「……分かりますか?」
「え、あ、なんとなく」
しまった!と思ったが後の祭り……
悠は少し笑った。
――永和
姫様の声が内側で少しだけ呆れたような響きを持っていた。
――そなた、口が滑るのが早いのう
永和は心の中で「ごめん」と姫様に返した。
車は山道を登って岩戸神社の入り口に着いた。
参道の入り口に小さな鳥居が立っていた。
その奥に細い石段が続いている。
「ここです」
「ありがとうございます、本当に助かりました」
悠は車を降りて深く頭を下げた。
「あの、お礼を」
悠がバッグからお財布を取り出そうとした。
「あ、いいですよ、軽めのドライブと思えば」
「でも」
「ほんとに、いいです」
永和は笑って手を振った。
悠は少し困った顔をして、それから丁寧に頭を下げた。
「では、お言葉に甘えます」
「はい」
「本当に、ありがとうございました」
悠は鳥居の方に向き直った。
永和は車のエンジンをかけたまま少しだけ悠の後ろ姿を見ていた。
悠は鳥居の前で深く一礼した。
本当に綺麗で丁寧な一礼だった。
永和は少しだけ、この人が姫様の場所を大事にしてくれる人だ、と思った。
――永和
「うん?」
――そなたも、参るか
「え、私も?」
――たまには、じゃ
永和は少しだけ考えて車のエンジンを切った。
「じゃ、私も」
永和は姫様の袋を胸元にしっかり入れ直して車を降りた。
夏の日差しが鳥居の向こうの参道に、まっすぐに落ちていた。
2026.8.9
島原は車移動出来ないと不便で
岩戸神社は雲仙市瑞穂町……山です。
パワースポットなので参拝客も
多いのですが島原のFESTAの前で
ヒッチハイクしても乗せてくれる人は
居ないと思いますw




