石の温度
翌朝、永和は普段より少し早く目が覚めた。
夏の朝の光が障子越しに部屋を薄く染めていた。
まだ寝ていて良い時間なのに、なぜか目が冴えていた。
机の上の器に姫様の石。
「姫様、おはよう」
――……うむ
姫様の声は、いつもと同じだった。
いつもと同じ、けれど、それだけだった。
永和は布団の上で、しばらく天井を見ていた。
朝食を済ませて洗い物を片付けて部屋に戻った。
姫様の石は、いつもの場所に。
永和は机の前に座って少しだけ姫様の石を見た。
「姫様」
――なんじゃ
「今日は何もない日やけどね、なんかしたい事ある?」
少しの沈黙。
――……特にはない
「そう」
「本、読もうか?」
――……そなたが読みたければ
永和は少し手を止めた。
姫様は、いつも本を楽しみにしていた。
永和が声に出して読むと姫様は「――続きを頼む」「――その者は、なぜそう言うた」と色々と口を挟んできた。
姫様と本を読む時間は永和にとっても静かな楽しみだった。
でも今日の姫様は「そなたが読みたければ」と言った。
これは姫様が読みたいわけじゃないという意味だった。
永和は本を手に取るのをやめた。
昼下がり永和は縁側に座って姫様の石を掌に乗せていた。
庭では蝉が鳴き始めていた。
夏の音が少しずつ濃くなっていく。
「姫様」
――なんじゃ
「壱岐から帰ってきてから、なんか静かかとん……」
永和は思い切って口にした。
姫様は、すぐには答えなかった。
――……そうか
「うん、なんか」
――……気のせいじゃ
「気のせい?」
――うむ
永和は掌の中の石を、そっと握った。
姫様が「気のせい」と言う時、それは気のせいじゃないことを永和は知り始めていた。
姫様は嘘をつかない。
でも、言わないことは選べる。
「……分かった」
永和は、それ以上は聞かなかった。
蝉の声が少しずつ大きくなっていた。
夕方、永和は水を汲みに台所へ立った。
姫様の器の水を替える為の朝と夕、二回のいつもの作業。
冷たい水を器に注いで部屋に戻る。
姫様の石を器の中にそっと入れる。
「姫様、水」
――……感謝する
永和は少しだけ姫様の石を見た。
「姫様」
――なんじゃ
「無理せんでね」
――……
姫様は少しの間、答えなかった。
――……うむ
永和は、それだけ聞いて部屋の隅に座り込んだ。
夜、永和は電気を消して布団に入った。
机の上の器の中、姫様の石が月明かりを微かに受けていた。
永和は、しばらく目を開けて姫様の石を眺めていた。
姫様は何も言わなかった。
永和も何も言わなかった。
やがて永和は目を閉じた。
寝息が少しずつ深くなっていく。
部屋が静かになった。
器の中の石が微かに揺れた。
風も無いのに水面が一度だけ、そっと波立った。
――
声にならない声が部屋の中に静かに落ちた。
――……そなたには、話さねばならぬ、な
誰にも聞こえない声だった。
永和の寝息だけが部屋の中に続いていた。
水面は、また静かに戻った。
月明かりが石の表面を、そっと撫でていた。
2026.8.3
毎日、暑いですね……
あり得ない暑さと地震と台風
日本、試されてますか?




