【第五部:マグヌス祭(学園祭)】前編
学院祭当日。メイン会場の特設ステージは、数千人の観客と来賓たちの熱気に包まれていた。
ステージ中央、アレン・ヴォルザードとリリアーヌ・ゴールドベルクは背中合わせに立っていた。アレンの古びた制服の上には、リリアーヌから投げ与えられた『極光のサッシュ』が鮮やかに翻り、リリアーヌの掲げる黄金の杖は、秋の陽光を反射して傲慢なまでに輝いている。
(……うるさいな。観客の期待も、貴様の心音も、全てが僕の神経を逆撫でする)
アレンが内心で毒づけば、背中越しにリリアーヌの「不敵な高揚感」が熱となって流れ込んできた。
そこへ、教壇に立った学園長マグヌスが、眼鏡の奥の瞳を悪戯っぽく光らせて口を開いた。
「開会に際し、祝砲を執り行うのは我が校きっての問題児……もとい、期待の二人だ。諸君、彼らの魔法がこの祭りの運命を占うだろう。……失敗は、許されんよ?」
学園長の言葉は、柔らかな脅迫となって二人の背筋を凍らせた。
失敗すれば除籍。その重圧が共感覚の回路を真っ赤に加熱し、二人の鼓動を一つの激しいリズムへと強制的に同期させる。
「(……合わせなさいよ、没落貴族。あんたの意地を見せるのは、ここしかありませんわ!)」
「(貴様こそ、その過剰な出力を制御しきってみせろ。一ミリでもズレれば、僕が貴様を叩き斬る!)」
言葉を交わす必要すらなかった。
アレンが杖を振るい、上空数千メートルの座標に、一寸の狂いもない『魔法陣の骨組み』を編み上げる。ヴォルザード家が数百年守り抜いた、緻密極まる伝統の術式。
そこへ、リリアーヌが黄金の杖から、銀行の金庫を爆発させたような圧倒的なマナを叩き込んだ。
「っ……、くうぅぅうッ!!」
回路を通じてリリアーヌの魔力の高騰がアレンの血管を灼き、アレンの冷徹な演算がリリアーヌの思考を剃刀のように研ぎ澄ませていく。
伝統の『静』と、成金の『動』。
相反する二つの力が、逃げ場を失った契約の鎖の中で限界まで圧縮され――。
「「――放てッ!!」」
二人の叫びと同時に、演習場を揺らすほどの重低音が響き渡った。
天を衝く光柱が夜空を……否、昼間の太陽すら霞ませるほどの白銀の閃光となって突き抜ける。
高度数千メートル。アレンの座標固定の上で、リリアーヌの熱量が爆発した。
空に描かれたのは、ヴォルザードの家紋とゴールドベルクの商標が、不気味なほど美しく、暴力的なまでに華やかに絡み合った巨大な「光の紋章」だった。
一瞬の静寂。
その後、地鳴りのような大喝采が学園を飲み込んだ。
「…………ふぅ。……見たか。これが僕の、……いや、ヴォルザードの魔法だ」
「おーっほっほ! 私の輝きが、あんたの地味な術式を救ってあげましたわ!」
二人は肩で息をしながら、壇上で互いを指差し、いつもの罵り合いを再開した。
除籍の危機は、この一撃で霧散した。だが、観客席の端で、保留されていたエリート――アルドリックが、不快そうに目を細めて立ち去るのを、アレンの鋭い感覚は見逃さなかった。
「……リリアーヌ。あんた、最後に出力を上げすぎて、私のドレスの裾が焦げましたわよ!」
「貴様こそ、術式を捻りすぎて僕の計算を狂わせたではないか! この弁償はどうする!」
大喝采の中、台無しな喧嘩を繰り広げる二人。
日常という名の戦いは終わらない。だが、二人が「二人で一人」であるという事実は、もはや学園中の誰もが知る、消えない刻印となっていた。
マグヌス祭の開幕を告げたあの祝砲は、文字通り学園全体を熱狂の渦に叩き込んだ。
だが、その余韻に浸る間もなく、アレンとリリアーヌに課せられたのは、押し寄せる一般客や来賓を捌く『案内係』という、およそ二人に似つかわしくない地味な実務だった。
「……そこの者、列を乱すな。伝統ある学院の敷地内では、歩法一つにも品位が求められる。……おい、立ち止まるな。マナの対流が滞るだろう」
アレンは校門近くで、まるで儀典官のような厳格さで参客を誘導していた。だが、彼の説明はあまりに丁寧かつ「魔法学的な正論」に満ちており、理解できない一般客たちが足を止め、かえって長蛇の列を作ってしまう。
「あんた、効率が悪すぎますわよ! どいてくださる? 私がパパッと解決して差し上げますわ!」
リリアーヌが、日傘を回しながら割り込んできた。彼女はベルに命じて、商会のロゴが入った『色鮮やかな誘導灯』と『特製の軽食引換券』をバラ撒かせた。
「皆様! こちらの輝いている方へ進んでくださいまし! 立ち止まらずに歩いた方には、ゴールドベルク特製の焼き菓子を差し上げますわよ!」
リリアーヌの「金の力」による強引な誘導で、列は一気に流れ出した。だが、アレンは顔を真っ赤にして杖を突き出す。
「貴様……! 学園の格式を何だと思っている! 菓子で釣って客を走らせるなど、ここは見世物小屋ではないぞ!」
「あら、あんたがネチネチと魔法の歴史なんて語っているから、入り口が詰まっているんじゃありませんの! 感謝なさいな!」
言い合いが始まると同時に、契約の鎖が激しく脈動した。
アレンの脳裏には、リリアーヌが何百人もの客を相手にする中で感じている「香水の匂い酔い」と「愛想笑いによる顔の強張り」がダイレクトに流れ込む。一方のリリアーヌには、アレンの「空腹による目眩」と、伝統を軽んじられることへの「胃を焼くような不快感」が逆流してきた。
「っ……、う、うるさい……。貴様の、その計算高いいやらしさが伝わってきて、虫酸が走る……!」
「私こそ、あんたのその……『一銅貨も稼げない無駄なプライド』が頭痛として響いてきて、反吐が出そうですわ!」
二人は互いに胃のあたりを押さえ、苦悶の表情で睨み合った。
共感覚のせいで、接客のストレスが二倍、三倍となって双方を苛む。
一般客たちは、美男美女が「うっ……」「くっ……」と苦しみながらお互いを罵り合っている光景を、何かの演劇か、あるいは祝砲の魔力酔いによる「祭りの名物」だと思い込み、物珍しそうに眺めながら通り過ぎていった。
「……ベル。この男を今すぐどこかの物置に放り込んで、入り口を黄金の壁で封鎖しなさい」
「……セバス。この成金女を静寂の結界に閉じ込めろ。これ以上、僕の意識に金貨の音を流させるな」
祭りはまだ始まったばかり。
二人の「不本意な共同公務」は、初日の午前中にして早くも決裂の危機を迎えていた。
学園祭の中盤、リリアーヌの所属するクラスが運営する露店『黄金の憩い亭』は、深刻な危機に瀕していた。
目玉商品として用意していた「王宮御用達の高級パイ」が、運搬中の魔導事故によって全損。祭りの書き入れ時に、出すべき商品が何もないという絶望的な状況である。
「……あー、もう! ベル、今すぐ王都の全ベーカリーを買い取って、ここに空輸させなさいな!」
「お嬢様、学園祭の規定により、外部からの完成品の持ち込みは禁止されております。あくまで生徒の手作りでなければ」
リリアーヌが地団駄を踏んでいると、隣の露店のゴミ拾いをしていたアレンが、鼻で笑いながら通りかかった。
「……無様だな。金で解決できない事態に直面すると、成金はこうも無力か。……セバス、例の『余り物』を出しなさい」
セバスが差し出したのは、アレンが「至高のジャンク」と称した、揚げパンの切れ端。すなわち、最も安価で下俗な、だが悪魔的な旨さを持つ庶民の味だ。
「……これを、ゴールドベルクの最新魔導オーブンで焼き直してみろ。貴様の言う『効率』とやらを見せてみろ」
「な……ッ! あんた、私にそんな、一〇〇銅貨のジャンクフードを売れと仰るの!? 誇り高い私に、泥を食わせるつもり!?」
リリアーヌは猛反発したが、契約の回路を通じて、アレンの「絶対にこの窮地を凌がせてやる」という、不本意ながらも強固な協力意志が流れ込んできた。
さらに、アレンの脳裏にある「揚げパンの耳が持つ、サクサクとした快楽の記憶」がリリアーヌの舌を刺激し、彼女の判断を狂わせる。
「……くっ、この、下品なまでの誘惑……! 分かりましたわ、やってやろうじゃありませんの!」
そこからは、まさに伝統と革新の異常な融合だった。
リリアーヌは揚げパンの耳に、最高級の『精霊の砂糖』と『火竜のバター』を惜しげもなく投入。それを最新の魔導熱線で、ミクロン単位のムラもなく一気にキャラメリゼしていく。
アレンは横から、「マナの熱伝導が甘い!」「ここだ、この瞬間に反転させろ!」と、精密な魔力感知で最適な「焼き加減」を指示し続けた。
「……完成しましたわ。名付けて『黄金の極光・クリスピーブレッド』! 一個、銀貨一枚ですわよ!」
「……高すぎる。だが、……味は、悪くない」
共感覚で伝わる「サクッ」という最高の食感。
安物のジャンクに、成金の贅沢が上書きされたその商品は、瞬く間に口コミで広がり、露店の前にはかつてない行列が出来上がった。
「あー、忙しいですわ! ヴォルザード様、そっちの袋詰めが遅くてよ!」
「言われずとも分かっている! 貴様こそ、砂糖をぶち撒きすぎだ、マナがベタつくだろう!」
喧嘩をしながら、かつてない効率で商品を捌き続ける二人。
二人のクラスメイトたちは、爆発的に売れていく売上金と、阿吽の呼吸(喧嘩腰)で作業する二人を交互に見て、ただ圧倒されるしかなかった。
「……あいつら、喧嘩してるのに、なんであんなに手が止まらないんだ……?」
「共感覚のせいだよ……。一人が動けば、もう一人が次に何をすべきか、身体が勝手に反応しちゃってるんだよ……」
不本意な商売繁盛。
二人の「最悪のコンビネーション」は、祭りの名物料理までも生み出してしまった。
マグヌス祭二日目。学院内には学生だけでなく、社交界の顔役である貴婦人たちも大勢訪れていた。
アレンは持ち場の見回りをしていたが、運悪く、華美な扇子を揺らす一団に呼び止められた。
「まあ、ヴォルザード家の……。アレン様ではありませんか?」
現れたのは、現役の侯爵夫人を中心とした上位貴族の女性たちだった。彼女たちは、アレンの背筋が伸びた美しい立ち居振る舞いと、隠しきれない制服の「古さ」に、嗜虐的な好奇心を抱いて目を輝かせた。
「お可哀想に。こんなに立派な騎士の体躯をしていながら、その制服……。我が家の庭師の古着の方が、まだマシかもしれませんわ」
「没落した悲劇の貴公子。素敵ですわね。ねえ、アレン様。学園祭が終わったら、我が家で『お話し相手』のアルバイトでもいかが?」
夫人たちはアレンを取り囲み、冷たく美しい指先で、彼の頬や肩をなぞるように品定めし始めた。アレンにとって、それは公衆の面前で服を剥ぎ取られるよりも過酷な辱めだった。
(……くっ、離せ……。僕は見世物ではない……!)
アレンが屈辱に耐え、石のように硬直したその瞬間。
共感覚の回路を通じて、学園の反対側にいたリリアーヌに「激しい動悸」と「氷のような羞恥心」がダイレクトに叩き込まれた。
「――っ!? 何ですの、この、内臓を素手で弄られるような不快感は!」
噴水前で優雅に休憩していたリリアーヌは、飲んでいたジュースを吹き出しそうになった。アレンが感じている、女性たちの香水の「むせ返るような匂い」と、自尊心を削られる「精神的な吐き気」が、彼女の神経を逆撫でする。
「……あの、意気地なしの、ボロ布……! 相手が上位貴族だからって、大人しく触られ放題なんですの!? 私まで、汚された気分ですわ!」
数分後。貴婦人たちがアレンの制服の襟元を嘲笑っていたその時、激しい魔力の突風と共に、黄金のドレスが割って入った。
「皆様! 私の下僕を、勝手に『観賞』しないでくださる?」
リリアーヌは扇子をバチンと閉じ、アレンと夫人たちの間に傲慢に立ちはだかった。
「この男は、ゴールドベルク商会が独占契約した、私の専属案内係ですの。汚れがついたら、皆様の領地の年貢を倍にしても足りない賠償金を請求しますわよ?」
「……ゴールドベルクの娘? 随分と不遜な物言いね」
夫人たちが眉を寄せたが、リリアーヌはアレンの腕を強引に掴むと、そのまま引きずるようにして連れ出した。
物陰まで来てようやく手を離したリリアーヌは、自分の手をハンカチで拭きながらアレンを睨みつけた。
「あんた、バカじゃありませんの!? あのままニヤニヤ触られて、没落貴族から『男娼』にでも転職するつもりかしら!」
「……誰が、ニヤニヤしていた……! 僕は、耐えていただけだ……」
アレンは顔を真っ赤にしながら、リリアーヌの「自分を守ろうとした激しい怒り」がまだ契約を通じて胸を焼いているのを感じていた。
助けられた。それも、最悪の女に、最悪のタイミングで。
「……とにかく、あんたのその情けない羞恥心が私の肌をチクチクさせて、美容に悪いですわ! 二度と変な女に捕まらないでくださる?」
「……言われずとも。……だが、……その、……不本意だが、助かった」
アレンが蚊の鳴くような声で礼を口にした瞬間、リリアーヌの顔まで火を噴いたように赤くなった。
二人の気まずい沈黙は、祭りの喧騒の中でも、かつてないほど濃密に響いていた。
学園祭三日目。アレンとリリアーヌのクラスが出展した『魔法迷宮』は、その「あまりの難攻不落ぶり」が逆に評判を呼び、挑戦者が絶えない人気アトラクションとなっていた。
だが、その受付をしていたアレンの表情が、突如として険しくなる。
「……来たか。想定外の『異物』だ」
迷宮の入り口に現れたのは、他校の交換留学生であり、若き天才騎士と名高いジークフリートだった。彼は「不落の迷宮と聞いてね」と不敵に笑い、聖剣の模造品を手に迷宮へ足を踏み入れた。
その瞬間、アレンとリリアーヌの脳内に、暴力的なまでの『突破』の感覚が流れ込んできた。
「っ……! 何ですのこの男、私の仕掛けた『爆破トラップ』を、力技の魔力障壁だけで押し通っていますわ!」
迷宮の管理室で、リリアーヌがモニター代わりの魔鏡を叩いた。ジークフリートは、アレンが構築した「重力歪曲の回廊」すら、天性の平衡感覚で無視して突き進んでいく。
「……伝統の術式を、力で踏みにじるとはな。ゴールドベルク嬢、出力を上げろ。あいつを『勇者』にさせてたまるか」
「言われなくても! 私の魔石、全部注ぎ込んで差し上げますわ!」
ここからが共感覚の契約の真骨頂だった。
アレンはリリアーヌの視覚を借り、迷宮の奥深くにいるジークフリートの「足跡」をマナの粒子単位で特定。リリアーヌはアレンの精密な思考回路を利用し、普段なら暴走して制御できないほどの魔力密度を、迷宮の構造に無理やり流し込んだ。
「(そこだ、左の壁を位相反転させろ!)」
「(分かっていますわ! ついでに天井から黄金の雷を落として差し上げますわよ!)」
二人の意識は、一つの迷宮を操る「神」のように同調していた。
ジークフリートが曲がり角を曲がるたびに、アレンが壁を書き換え、リリアーヌがそこへ即死級の(安全基準ギリギリの)魔法衝撃を置く。二人は喧嘩をしながらも、相手が次に何をしたいか、どの座標を固定したいかを呼吸のように察知し、迷宮の難易度をリアルタイムで「魔王城レベル」へと引き上げていった。
数分後。
かつてないほどボロボロになった「勇者」ジークフリートが、入り口(出口ではない)から這い出してきた。
「……はぁ、はぁ。……あんなもの、人の作れる迷宮じゃない。……悪魔の巣窟だ」
ジークフリートの敗走を、アレンとリリアーヌは管理室で肩で息をしながら見送った。
「……ふん。我が家の術式に、不遜な足音を立てた報いだ」
「おーっほっほ! ゴールドベルクの『おもてなし』を堪能したようですわね!」
勝利を確信し、ハイタッチをしようとして……二人はハッと正気に戻り、即座に手を引っ込めて別方向を向いた。
「……今のは、単なる防衛本能だ。貴様と協力した覚えはない」
「私こそ! あんたのネチネチした指示が頭に響いて、耳鳴りがしますわ!」
しかし、不本意ながらも「二人で一人の防衛者」として機能してしまった事実は、共感の鎖を通じて、消えない達成感として共有されていた。




