間羅の国編4話「ちゃんと笑うじゃん」
店内の様子は出発前とほとんど変わっていなかった。
客席に座っているのは、いつものようにゴードンとルシアンだけ。
そして、そのゴードンはというと――。
「いやぁ、アレクシアちゃん。今日も綺麗だねぇ! どうだい? 俺と一緒にどこか――」
「嫌よ」
「まだ最後まで言ってないんだけど!?」
「どうせろくでもない誘いでしょ」
アレクシアはカウンターの内側で淡々と作業を続けている。
「アレクシアちゃん、俺ほどの男がここまで熱烈に――」
「仕事の邪魔だし、私にはセリオがいるから」
「ぐはっ!」
ゴードンが胸を押さえて大げさにのけぞる。
その横ではルシアンが紅茶を飲みながら、完全に無関心な顔をしていた。
「旦那様。何度断られれば学習するのですか。アレクシア様にはセリオ様がいますから」
「ルシアン、お前は俺の味方じゃないのか!?」
「私は旦那様の秘書です。恋愛相談員ではありません」
「冷てぇ!」
そのやり取りを見ながら、エドワードは深いため息をついた。
「……相変わらずだな」
隣にいた夏芽も、店内を見回して小さく頷く。
「……いつものローズですね」
「そういうことだよ」
エドワードは、いつもの席へ向かおうとした。
しかし、その背後からアレクシアの声が飛んでくる。
「エドワード」
「……なんだい」
「買ってきたもの、ちゃんと厨房まで運んで」
「…………」
エドワードは無言で袋を持ち直した。
「僕はいつから雑用係になったんだ?」
「今さら何言ってるのよ」
ゴードンがそれを聞いて笑う。
「いやぁ、エドワードも大変だねぇ!」
「お前にだけは言われたくない」
「なんでだよ!」
ルシアンが静かに口を挟む。
「旦那様の場合、自業自得です」
「ルシアンまで!?」
店内に、夏芽の小さな笑い声が漏れた。
エドワードはそれを横目で見て、ほんの少しだけ口元を緩める。
だが、こうして「ローズ」に戻ってくれば、結局いつもの日常が待っている。
その日常の中に、今回助けた夏芽も加わっていた。
その光景を横目に、エドワードは小さくため息をついた。
そして、ふと店内を見回す。
「……ん?」
見慣れない客が二人いる。
窓際の席に座っているのは、和装姿の青年と、その向かいに座る老人だった。
青年は頭にタオルを巻いている。老人も同じように頭へタオルを巻き、穏やかな顔で店内を眺めていた。
エドワードは眉をわずかに上げる。
「……誰だ、あれは」
すると、隣にいた夏芽がその二人へ視線を向けた。
「……あ」
夏芽の表情が、ほんの少しだけ変わった。
「大和さん……」
青年がその声に気づく。
「……夏芽?」
大和は立ち上がると、驚いたように夏芽を見る。
「お前、なんでここにいるんだ?」
「それはこちらの台詞です。どうしてここに……」
「じいちゃんとその…。夏芽、例の件で…」
その隣で、源蔵が「ほっほっほ」と穏やかに笑った。
「夏芽か。久しぶりじゃのう」
「源蔵さんも……お元気そうで」
「おかげさんでな」
源蔵は笑顔のまま、夏芽の髪を見る。
そして、少しだけ目を細めた。
「……また増えたのう」
「……」
夏芽が黙る。
大和も夏芽の髪を見て、ため息をついた。
「ほんとだ。また増えてる」
「……仕方ないじゃないですか」
「仕方なくないだろ。ちゃんと休んでるか?」
「休んでます」
「絶対嘘だろ」
「嘘じゃありません」
二人のやり取りを見ていたエドワードは、煙草を咥えたまま小さく目を細めた。
どうやら、この青年と老人は夏芽とかなり親しいらしい。
エドワードが二人へ近づく。
「……お前ら、夏芽の知り合いか」
大和がエドワードを見る。
「えっと……はい。幼馴染です。俺は大和」
源蔵も座ったまま、ゆっくり頭を下げた。
「源蔵じゃ。大和の祖父をやっとる」
「そうか」
エドワードは短く返す。
すると大和が少し不思議そうに尋ねた。
「あんたは?」
「エドワード・ハーヴィー。この店の店員だ」
「……店員?」
大和はエドワードの燕尾服を見た。
「なんか、店員っていうより……」
「殺し屋みたい?」
エドワードが淡々と言う。
「……そこまでは言ってません」
「顔に出ていたぞ」
「すみません」
その様子を見ていた源蔵が、また「ほっほっほ」と笑った。
「面白い店じゃのう」
エドワードは源蔵を見る。
穏やかな老人。
ただ、それだけではない。
長年、人を見てきたエドワードには分かった。
この老人の立ち姿には、普通の老人にはないものがある。
「……」
源蔵もエドワードを見返す。
二人の視線が静かに交わる。
しかし、源蔵は何も言わない。
エドワードも、それ以上は聞かなかった。
その時、厨房の方からアレクシアの声が飛んでくる。
「エドワード。話してないで、注文の品を運んで」
「……人使いが荒いな、お前は」
「聞こえてるわよ」
「聞こえるように言った」
「なら早くして」
エドワードは面倒そうに注文の品を手に取った。
その横で夏芽が、ほんの少しだけ口元を緩める。
大和はそれを見て、安心したように笑った。
「……なんだ。ちゃんと笑うじゃん」
「……?」
「いや、最近ずっと難しい顔してたからさ」
夏芽は少し黙った。
そして、小さく答える。
「……そうですか」
エドワードはその会話を聞きながら、何も言わずに注文の品を運んでいった。
この時のエドワードはまだ知らなかった。
この二人との出会いが、やがて夏芽という人間の「今まで」を知るきっかけになることを。




