喫茶店ローズ〜間羅の国編〜
ある国で、とある町に、二人の男女が並んで歩いていた。
黒いスーツの上にロングコートを羽織った沈博と、紫を基調としたチャイナ服姿の紫鈴。裏社会では名の知れた二人であり、ヤクザの霧島組の人間でもある。
紫鈴は周囲を眺めながら、眼鏡の位置を直した。
「相変わらず、この町は古臭いネ。こんなに技術進んでるのに、町並みだけ昔のままアル」
「それがその国だろ」
沈博は淡々と答えた。
「そういうものカ」
「そういうものだ」
二人が角を曲がった、その時だった。
沈博の足が止まった。
「……ん?」
少し先、古びた建物の壁際に、一人の老人が立っていた。
年齢は七十代後半ほどだろうか。
白髪は短く整えられ、質素な和装を身につけている。身体は細い。しかし、ただ細いだけではない。余分なものをすべて削ぎ落としたような、異様な身体つきをしていた。
そして何より、目だった。
鋭い灰色の瞳。
だが、その瞳には光がない。
老人は壁に向かって、誰に聞かせるでもなく、ぶつぶつと呟いていた。
「……違う……違う……」
「……何だ、あれ」
紫鈴も老人を見る。
「気味悪いネ」
その老人は、二人には気づいているはずだった。
それでも振り向かない。
ただ、何かを確かめるように、壁へ向かって言葉を繰り返している。
「……使える……」
沈博の表情がわずかに険しくなった。
「……?」
次の瞬間。
老人が、ほんの少しだけ顔を上げた。
その灰色の瞳が、沈博たちのいる方向へ向く。
「使えそうだ……」
低い声だった。
「……あの男は……」
沈博の目が細くなる。
紫鈴の前へ、一歩出た。
「紫鈴。行くぞ」
「珍しいネ。アンタがそんなに早く帰ろうと言うなんテ」
「いいから」
「……分かったアル」
二人はそれ以上、その老人には近づかなかった。
沈博は一度だけ振り返る。
老人はまだそこに立っていた。
微動だにせず、沈博たちを見ている。
その視線には、敵意すらなかった。
だからこそ、沈博は警戒した。
敵意がなければ、殺気もない。
ただ、人間を何かの道具として見ているような目だった。
沈博は紫鈴を連れて、その場を離れる。
「……あの爺さん、何者ネ?」
紫鈴が尋ねる。
「知らない」
「沈博でも知らないアルか」
「ああ」
沈博は歩きながら、後ろを見なかった。
「ただ……関わらない方がいい」
紫鈴は少し黙ったあと、静かに頷いた。
その頃、二人が去った場所では、老人が一人、壁際に立っていた。
そして、また小さく呟く。
「……使える」
その声には、喜びも怒りもなかった。
ただ、何かを見定めるような静けさだけがあった。




