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喫茶店ローズ  作者: 環状線在住送り犬
喫茶店ローズ2章〜ヴァレンティア王国編(余章)
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「もう、終わったんだ」

ヴァレンティア王国の騒乱が終わった夜。

城の地下にある牢獄は、地上の祝祭とはまるで別世界だった。石造りの壁に囲まれた薄暗い通路には、人の気配もほとんどない。


その最奥。


ルクレツィアは鉄格子の向こうに閉じ込められていた。

かつては伯爵令嬢として美しく着飾り、誰よりも高い場所へ行こうとしていた女。今の彼女には、その面影がほとんど残っていなかった。

ルクレツィアは壁に背を向け、何かをぶつぶつと呟いている。


「……アーサー」


返事はない。


「アーサーなら……」


その名を口にした瞬間だけ、彼女の目に奇妙な光が宿った。


「アーサーなら、分かるはずよ……」


また、ぶつぶつと何かを呟く。


「私を……ここから……」


鉄格子の外から、足音が近づいてきた。

ゆっくりとした、落ち着いた足音。

ルクレツィアは顔を上げた。


「……セリオ?」


そこに立っていたのは、セリオだった。

彼は牢の前まで歩いてくると、黙ってルクレツィアを見つめた。


「セリオ……」


ルクレツィアは鉄格子へ近づく。


「私を出して。これは何かの間違いよ」


セリオは答えない。


「聞いてるの!? 私は伯爵令嬢よ! こんな場所に閉じ込められるような人間じゃ――」

「ルクレツィア」


その声に、彼女が止まった。

セリオの表情は静かだった。

怒りもない。

悲しみもない。

ただ、何かを完全に諦めたような目をしていた。


「もう、終わったんだ」

「……何がよ」

「全部だよ」


ルクレツィアの顔から表情が消える。


「君のことは、もう僕にはどうにもできない」

「何よ、それ」

「これ以上、君を庇う理由もない」

「セリオ……」

「国を傷つけて、人を利用して、アレクシアたちまで巻き込んだ」


セリオは一度、目を伏せた。


「僕はもう君を見捨てようと思うんだ」


その言葉は静かだった。


だからこそ、ルクレツィアには強く突き刺さった。


「……は?」

「もう、君のために何かをするつもりはない」

「待ってよ」


セリオが踵を返す。


「待ちなさいよ!」


ルクレツィアが鉄格子を掴んだ。


「セリオ!」


だが、セリオは振り返らなかった。


「アーサーがいる」


その言葉に、セリオの足が止まった。

牢の中から、ルクレツィアが低い声で笑う。


「そうよ……アーサーがいるわ」


セリオは振り返らない。


「あなたたちが何も知らないだけよ。あの人は……」


ルクレツィアの声が、暗い牢獄に響く。


「アーサーなら、きっと――」


その先を聞くことなく、セリオは歩き出した。

地下牢を出る扉が閉まる。

重い音が響いた。

再び、一人になったルクレツィアは、その場に立ち尽くしていた。

そして。

誰もいない壁へ向かって、また小さく呟き始める。


「……アーサー」


一方、その頃、遠く離れた場所。

白いローブを纏った一人の老人が、静かな部屋で座っていた。

白く長いウェーブの髪。

深い黒の瞳。

片目には、いつものモノクル。

穏やかで優しそうな老人の顔には、薄い笑みが浮かんでいる。


「……そう」


アーサーは、静かに呟いた。


「アレクシアは、ヴァレンティア王国にいたんだね」


その声は、どこまでも穏やかだった。


「ずいぶん、探したよ」


アーサーはゆっくりと立ち上がる。


「ようやく見つけられるかもしれない」


穏やかな笑みは、消えない。


「アレクシア」


その名前を、何度も確かめるように口にした。


「今度こそ、ちゃんと迎えに行かないとね」


白いローブが静かに揺れる。

こうして、ヴァレンティア王国の騒乱は終わった。

しかし同時に。

アレクシアたちが、かつて逃げ出した男の影が、再び彼女たちへ近づき始めていた。

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