「お待たせ」
レオナールの登場によって、先ほどまで騒がしかった部屋は、さらに賑やかになっていた。
ゴードンは国王相手にも遠慮なく話しかけ、ルシアンはそのたびに頭を抱えている。アンナはレオナールの話を興味深そうに聞き、エリオットとセドリックは穏やかにその様子を見守っていた。
アレクシアも、少し離れた場所でその光景を眺めていた。
「……本当に変な王様ね」
「父上のこと?」
「そうよ。息子のあなたが言うんだから、間違いないんでしょうけど」
「うん。昔からあんな感じだよ」
「苦労したのね」
「君に言われると、なんだか複雑だな」
二人が小さく笑う。
その時だった。
「……アレクシア」
セリオの声が、少しだけ変わった。
アレクシアが彼を見る。
「何?」
「少し、待ってて」
そう言って、セリオは部屋を出ていった。
「は?」
アレクシアは怪訝そうに眉を寄せる。
「何よ、急に」
エドワードが、その様子をじっと見ていた。
「……嫌な予感がする」
「えー? エド兄、また勘?」
アルフレッドが面白そうに笑う。
「お前は黙ってろ」
それから少しして。
部屋の扉が、再び開いた。
「お待たせ」
戻ってきたセリオの姿を見て、アレクシアは言葉を失った。
彼の手には、大きな花束があった。
鮮やかな――赤い薔薇。
アレクシアが、以前セリオに「好き」と答えた花だった。
「……ちょっと」
アレクシアの顔が、みるみる赤くなる。
「セリオ。何よ、それ」
セリオは少し緊張した様子だった。
普段なら穏やかな表情を崩さない彼が、今日はどこか落ち着かない。
「覚えてる?」
「……赤い薔薇が好きだって話?」
「うん」
アレクシアは花束を見つめた。
その瞬間、部屋の中にいた全員が、何かを察した。
アンナが口元を押さえる。
ゴードンの目が大きく開いた。
アルフレッドは、すでに笑いをこらえている。
そしてエドワードだけは、無言だった。
セリオはアレクシアの前まで歩み寄る。
赤い薔薇の花束を、彼女の前へ差し出した。
「アレクシア」
「……何よ」
「僕は、君に出会ってから、たくさんのことを知った」
アレクシアは動けなかった。
「自分の立場とか、王子として何をするべきかとか。そういうことばかり考えていた僕に、君は全然違う世界を見せてくれた」
「セリオ……」
「僕は君が好きだ」
部屋の空気が、完全に止まった。
アンナは、ついに声を上げないよう両手で口を塞ぐ。
ゴードンは完全に固まった。
エドワードの目が、ゆっくり細くなる。
セリオは、その視線に気づいていた。
それでも、アレクシアから目を逸らさなかった。
「君が自分の仕事を大切にしていることも知ってる。喫茶店『ローズ』でいることが、君にとってどれだけ大切なのかも」
そしてセリオは、静かに続けた。
「だから、僕のために全部を捨ててほしいなんて言わない」
アレクシアの目が揺れる。
「……」
「僕が君のいる場所へ行けばいい」
「は?」
「ヴァレンティア王国の王子としての仕事もある。でも、それだけが僕の人生じゃない」
セリオは一度だけ息を吐いた。
そして。
「アレクシア」
赤い薔薇を差し出したまま、彼は真っ直ぐ彼女を見つめる。
「僕と結婚してほしい」
アレクシアの思考が、完全に止まった。
「…………は?」
「僕と」
「聞こえてるわよ!」
「そう」
「そうじゃないわよ!」
アレクシアは赤面したまま、数歩後ろへ下がった。
「な、何で今なのよ!?」
「今、言いたかったから」
「理由になってないわ!」
「ずっと言いたかったんだ」
その一言に、アレクシアが黙る。
セリオは、少しだけ困ったように笑った。
「城を出る時、君を引き止めた」
「……うん」
「でも、あの時はありがとうって言うことしかできなかった」
「だから?」
「本当は、もっと言いたいことがあった」
アレクシアは、差し出された赤い薔薇を見る。
そしてセリオを見る。
「……あなた、本当にずるいわね」
「え?」
「私が赤い薔薇が好きだって言ったの、覚えてたのね」
「もちろん」
「忘れててくれた方が楽だったわよ……」
アレクシアは顔を隠すように俯いた。
その後ろで。
「…………」
エドワードが、ものすごい無言の圧を放っていた。
アルフレッドが隣から覗き込む。
「エド兄」
「なんだ」
「顔、怖いよ」
「普通だ」
「普通の人は、あんな顔しない」
「殺すぞ」
「ほら怖い」
アンナは涙ぐみながら両手を握りしめていた。
「セリオ様……! すごく素敵です……!」
「アンナ、まだ早い」
エリオットが静かに言う。
「そうですね。まずはアレクシアさんのお返事を待ちましょう」
セドリックも頷く。
一方、ゴードンはようやく我に返った。
「いやいやいや! 待て待て待て!」
全員が振り返る。
「アレクシアちゃんにプロポーズ!?」
「ええ」
「俺の目の前で!?」
「そうだけど」
「いや、俺もアレクシアちゃん好きなんだけど!?」
「ゴードン様」
ルシアンが静かに肩へ手を置いた。
「現実を見てください」
「嫌だ!」
「見てください」
「嫌だって!」
レオナールは、その騒ぎを見て腹を抱えて笑っていた。
「ふぉっふぉっふぉ!面白い!実に面白い!」
「父上は静かにしててください」
「嫌じゃ!」
そんな騒がしい周囲とは対照的に。
アレクシアは、まだ答えを出せずにいた。
赤い薔薇の花束。
そして、それを持ったまま、自分だけを見つめるセリオ。
アレクシアは小さく息を吐いた。
「……本当に、急なんだから」
そう呟きながら、赤い薔薇の花束を受け取る。
セリオの表情が変わった。
「それじゃあ――」
「まだ返事はしてない」
「……あ」
「勘違いしないで」
アレクシアは、真っ赤になった顔を逸らす。
「結婚なんて……そんな簡単に決められるわけないでしょ」
「うん」
アレクシアは花束を抱きしめる。
赤い薔薇の香りが、微かに広がった。
「……本当に、ずるい王子様ね」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「褒めてないわ」
そう言いながらも、アレクシアの口元には小さな笑みが浮かんでいた。
その瞬間。
エドワードが、ゆっくりセリオの前へ歩き出した。
「……セリオ」
「はい」
「少し、話がある」
「エド兄」
アルフレッドが肩を震わせる。
「何?」
「お前は黙ってろ」
セリオは一瞬だけ固まった。
アレクシアは思わず叫ぶ。
「エドワード!今、余計なことするんじゃないわよ!」
「余計なことではない」
「余計よ!」
「大事な話だ」
「何の話よ!」
「王子としての責任についてだ」
「絶対違うわ!」
騒がしい声が部屋に響く中、レオナールは満足そうに頷いていた。
「うむ。実に良い」
「何がですか、父上」
「セリオよ」
レオナールは息子を見る。
「おぬし、なかなか面白い人生を選んだのう」
セリオは少しだけ笑った。
「そうかもしれませんね」
そして、花束を抱えたアレクシアを見る。
まだ返事はない。
けれど、赤い薔薇を捨てることもなく、しっかりと抱きしめていた。
喫茶店「ローズ」の店内。
いつものテーブル席には、アレクシアたちが集まっていた。セリオが持ってきた赤い薔薇の花束だけが、その場の空気を普段とはまるで違うものにしている。
セリオはアレクシアの前に立ったまま、真剣な表情で返事を待っていた。
アレクシアは差し出された花束を受け取っている。
鮮やかな赤い薔薇。
以前、セリオに聞かれて答えた、自分の好きな花。
「……バカ」
「え?」
「こんなの、反則でしょ」
そう言いながらも、アレクシアの表情はいつものように強気だった。けれど、その声には少しだけ迷いが混じっていた。
アンナは両手を胸の前で握っている。
「アレクシア様……」
ゴードンは固唾を呑んでいた。
「アレクシアちゃん……ここで決めるのか……?」
「旦那様。静かに」
「はい」
ルシアンの一言で、ゴードンはすぐに黙った。
エドワードは腕を組み、険しい顔のままセリオを睨んでいる。
「……」
「エド兄、怖いよ」
「黙れ」
アルフレッドが面白そうに笑う。
そんな中、アレクシアはゆっくりと息を吐いた。
そして、セリオを真っ直ぐ見た。
「けど、今はダメ」
店内が静かになった。
セリオの表情がわずかに固まる。
「……理由を聞いてもいい?」
アレクシアは赤い薔薇の花束へ目を落とした。
「私には、まだやらなきゃいけないことがあるの」
その視線が、店の奥にいる颯太へ向く。
颯太も突然自分の名前が関わっていることに気づき、少し驚いたように顔を上げた。
「颯太を、元にいた世界に返すって義務があるの」
颯太は何も言わなかった。
自分がこの世界に来てから、アレクシアたちがずっとその方法を探していることを知っていたからだ。
アレクシアは続ける。
「私は喫茶店ローズの店長なの。みんなを守ることも、颯太を元の世界に帰すことも、私にとっては大事な仕事」
セリオは黙って聞いていた。
「だから……今、あなたと結婚するなんて決められない」
赤い薔薇を抱きしめる手に、少しだけ力が入る。
「中途半端な気持ちで、返事はしたくないのよ」
しばらく沈黙が続いた。
アンナは心配そうにセリオを見た。
「セリオ様……」
しかし、セリオは少しだけ目を伏せると、静かに笑った。
「うん。わかった」
あまりにも素直な返事に、アレクシアが目を瞬かせる。
「……え?」
「アレクシアがそう決めてるなら、僕は待つよ」
「簡単に言うわね」
「簡単じゃないよ」
セリオは苦笑した。
「本当は、今すぐにでも『待てない』って言いたい」
その言葉に、エドワードの眉がわずかに動く。
「でも、君が大切にしていることを、僕が邪魔するわけにはいかない」
セリオはアレクシアを真っ直ぐ見た。
「颯太君を元の世界に帰す。それが終わるまで、僕は待つ」
颯太は思わずセリオを見る。
「……セリオさん」
「君も、早く元の世界に帰りたいんだろ?」
颯太は少し黙り、それから小さく頷いた。
「……はい」
「なら、みんなで方法を探そう」
セリオの言葉に、アレクシアはしばらく何も言えなかった。
赤い薔薇の香りが、静かな店内に漂っている。
やがてアレクシアは、わずかに視線を逸らした。
「……ほんと、バカね」
「また言った」
「うるさい」
アルフレッドが笑う。
「いやぁ、セリオ。普通ならここで落ち込むところじゃない?」
「そうかもしれないね」
「それでも待つんだ?」
セリオは迷わなかった。
「うん」
その返事に、エドワードは大きく息を吐いた。
「……チッ」
「エド兄?」
「何でもない」
だが、その表情からは、先ほどまでの強い警戒心がほんの少しだけ薄れていた。
アレクシアはそんなエドワードを横目で見た後、再びセリオへ視線を戻す。
「セリオ」
「うん」
「この花束は?」
「もちろん、アレクシアにあげるよ」
「……返すなんて言ってない」
「うん。知ってる」
「何よ」
「嬉しかったんだなって思って」
「調子に乗らないで」
「はい」
店内に、小さな笑い声が広がった。
アレクシアは赤い薔薇の花束を抱えたまま、そっと目を伏せる。
今は、まだ答えられない。
颯太を元の世界へ帰すという、果たすべき義務が残っている。
けれど。
花束を受け取ったことまで否定するつもりは、アレクシアにはなかった。
そしてセリオもまた、それ以上を求めなかった。
ただ静かに、待つことを選んだ。




