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喫茶店ローズ  作者: 環状線在住送り犬
喫茶店ローズ第2章〜ヴァレンティア王国編〜
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「だから……ここでお別れ」

ルクレツィアを拘束した兵士たちは、そのまま彼女を連れていこうとしていた。

しかし、ルクレツィアは最後まで抵抗をやめなかった。


「離しなさい! こんなこと、全部あの女のせいよ!」


彼女はアレクシアを睨みつける。


「あなたが現れなければ……! あなたさえいなければ、私はセリオ様と――!」


アレクシアは何も言わず、静かに見返した。

セリオはそんなルクレツィアを一度見たあと、兵士たちへ向き直る。


「悪いけど、後は頼んだよ」


兵士たちは一斉に姿勢を正した。


「はっ!」

「待ちなさい!アレクシア!あなた、覚えておきなさいよ!」


ルクレツィアは連れていかれながらも、なおアレクシアへ恨み言を投げ続けていた。

やがて足音が遠ざかり、扉が閉まる。

静寂が戻った。

残されたのは、セリオとアレクシアの二人だけだった。

アレクシアは大きく息を吐いた。


「はぁ……。まさかの秘宝が薔薇の種なんてね」


セリオは棚に並ぶ種を眺めながら、少しだけ笑う。


「がっかりした?」

「全く」


アレクシアも笑った。


「けど、予想外って感じ」

「僕も最初に知ったときは驚いたよ」

「でしょうね」


二人は顔を見合わせ、思わず笑った。

長い逃走と騒動の中で、ようやく心から笑える瞬間だった。

しばらくして、アレクシアがセリオを見る。


「セリオ」

「ん?」

「あなたには、まだ別の仕事があるんじゃない?」


セリオは少し考えた。


「……そうだね」

「国民に伝える仕事。もうルクレツィアの支配はないって。きっと、みんな不安になってるでしょうから」


セリオの表情が引き締まる。


「そうだね。大事な仕事だ」


王子として、自分にできること。

逃げ続けるのではなく、今度は自分から国民の前に立つ。

セリオは静かに頷いた。


「行ってくるよ」

「ええ」


アレクシアは微笑んだ。


「ちゃんと、王子様らしくね」

「……それ、僕に言う?」

「言うわよ」

「分かった。頑張ってみる」


二人はまた笑った。

そしてセリオは、扉の向こうへ歩き出した。

長かった騒動は、ようやく終わろうとしていた。


ヴァレンティア王国の中央広場には、国民たちが集まっていた。

長く続いた混乱が終わったことを知らせるため、セリオは王宮の前に立っていた。

ざわめいていた広場が、セリオの姿を認めた瞬間、静かになる。


「みんな、聞いてほしい」


セリオの声が広場に響いた。


「もう、この国をルクレツィアの思い通りにはさせない。これからは、僕自身が王子として、この国と国民を守る」


その言葉に、最初は静かだった人々から、少しずつ声が上がっていく。


「セリオ様!」

「王子様が戻ってきたぞ!」

「よかった……本当によかった!」


やがて広場は歓声に包まれた。


セリオは一人ひとりの顔を見渡しながら、何度も頷いた。

その姿を、少し離れた場所からアレクシアたちは見ていた。

エドワードも、アルフレッドも、アンナたちも、誰も口を挟まない。

アレクシアだけが、じっとセリオを見つめていた。

王子として国民の前に立ち、堂々と言葉を届けるセリオ。

先ほどまで自分たちと一緒に逃げていた青年とは、少し違って見えた。


「……」


アレクシアは静かに視線を逸らした。

胸の奥に、これ以上認めたくない感情が膨らんでいく。

これ以上、ここにいたら。

本当に、好きになってしまう。

そう思った。


「……みんな」


アレクシアは振り返った。


「先に車に乗って」

「アレクシア?」


アルフレッドが首を傾げる。


「帰るわよ」


そう言って、アレクシアは一人で歩き出した。

セリオの演説を最後まで見届けたかった。

けれど、それ以上に、自分の気持ちが大きくなることが怖かった。


そのときだった。

壇上にいたセリオが、ふとこちらへ目を向けた。

人々の間から、去っていくアレクシアの姿が見える。


「……アレクシア?」


セリオは言葉を区切った。


「みんな、今日は本当にありがとう。これから、この国をもっと良くしていく。約束する」


そして、深く頭を下げた。

国民から再び大きな歓声が上がる。

セリオはその声を背に、壇上から降りた。

そして、アレクシアたちのもとへ駆け出した。


「アレクシア! 待ってくれ!」

「……!」


呼ばれたアレクシアが振り返る。

セリオは息を切らしながら駆け寄り、そのままアレクシアの腕を掴んだ。


「どうして急に帰ろうとするんだ?」

「……別に。私たちの仕事は終わったからよ」


アレクシアは目を合わせない。

するとセリオは、少しだけ笑った。


「君達のおかげで国が救われたんだ!」


そして、そのままアレクシアを抱きしめた。


「ありがとう」


アレクシアの目が大きく見開かれる。


「……!」


一瞬、何も考えられなくなった。

本当は、自分も抱きしめ返したい。

その腕に自分の手を回して、このまま離れたくない。

けれど――。

アレクシアは、動かなかった。

ただ、セリオの腕の中で静かに立っていた。

やがて、ゆっくりと口を開く。


「……悪いけど、私には私なりの仕事があるの」


セリオが少しだけ腕を緩める。


「仕事?」

「喫茶店の店長っていう仕事がね」


アレクシアはようやくセリオを見る。


「私には、帰る場所があるの」


セリオは黙って彼女を見つめた。

そして、何かを決意したように口を開く。


「ならば、僕も――」

「だめ」


即答だった。


セリオが目を丸くする。


「……まだ何も言ってないよ?」

「分かるわよ」


アレクシアは小さく笑った。


「あなたは王子様でしょう」


そう言って、セリオから一歩離れる。


「あなたには、あなたの仕事があるの」


セリオは何も言えなかった。


アレクシアはその顔を見るのが辛くなり、視線を逸らした。


「だから……ここでお別れ」


その言葉とは裏腹に、アレクシアの胸の中には、まだセリオへの想いが残っていた。

アレクシアは車へ向かいかけた足を止めた。


そして振り返り、まだ自分を見つめているセリオに向かって、少しだけ口元を緩める。


「ルミナリア王国にね、喫茶店ローズって喫茶店があるの」


セリオが静かに顔を上げた。


「来てくれたら、サービスぐらいはしてあげるわ」


その言葉に、セリオは一瞬だけ目を見開いた。


「……うん」


短い返事だった。

けれど、その声はどこか嬉しそうだった。

アレクシアは何も言わず、自分の髪を束ねていた黒いリボンへ手を伸ばした。するりとリボンを解くと、長い髪が肩へと落ちる。

セリオはその様子を、黙って見ていた。


「アレクシア?」


アレクシアは答えず、セリオの手を取った。

そして、その手首に黒いリボンを巻いていく。

一度。もう一度。

ほどけないように、丁寧に結んだ。


「……これ」


セリオが自分の手首を見る。

黒いリボンが、そこに残されていた。


「サービスの前払いよ」


アレクシアはそう言って笑った。


「次に来た時、返しに来なさい」


セリオは黒いリボンに触れた。

そして、ゆっくりと顔を上げる。


「……分かった」


その表情には、先ほどまでの寂しさとは違うものがあった。


「絶対に行くよ」

「ええ。待ってるわ」


アレクシアはそう答えると、今度こそ車の方へ向かって歩き出した。


セリオは追いかけなかった。


ただ、その場に立ったまま、黒いリボンが巻かれた自分の手首を見つめていた。

そして、遠ざかっていくアレクシアの背中を、最後まで見送った。

彼女は一度も振り返らなかった。

けれど、セリオは知っていた。

もうこれで終わりではない。

次は自分が、彼女のいる場所を訪ねればいい。


ルミナリア王国。喫茶店ローズ。

そこには、自分を待つかもしれない一人の女性がいる。

セリオは手首の黒いリボンをそっと握りしめた。

車がヴァレンティア王国の城下町を抜け、国境へ向かう道を走っていた。


運転席のアルフレッドは、前方を見たまま、ふと思い出したように口を開いた。


「エド兄、アレクシア。二人ともヴァレンティア王国に残っててもよかったんだよ?」


アレクシアが窓の外を見たまま、少しだけ眉を動かす。

後部座席の空気が、一瞬静かになった。

エドワードは即答した。


「バカ言うな」


その声には迷いがなかった。


「僕らの帰る場所は、ローズだろ」


アルフレッドがちらりと横を見る。


「でもさ。エド兄はレティシアと再会したし。アレクシアは――」

「それ以上言ったら、車から放り出すわよ」


アレクシアが鋭く言った。


「はいはい。怖い怖い」


アルフレッドは楽しそうに笑う。

エドワードは窓の外を眺めたまま続けた。


「それに、僕がいなくなったらローズの安全管理はどうするんだよ」

「アンナが困っちゃうしね〜」

「それもある」

「オスカーさんも、きっと心配になります」


アンナがそう言うと、少し離れた席にいたオスカーが小さく頷いた。


「……はい。アレクシア様がいなくなるのは、困ります」


アレクシアは一瞬だけオスカーを見る。


「オスカー」

「……はい」

「厨房、ちゃんと守ってる?」

「も、もちろんです……!」


その返事に、アレクシアは小さく笑った。

アルフレッドがハンドルを切る。


「ほらね。結局、みんな帰る場所があるんだよ」


エドワードは少しだけ口元を緩めた。


「そういうこと」

「僕らは王子様や騎士団長じゃないからね〜」

「お前は何をしていたってうるさいだろ」

「ひどいなぁ」


車内に小さな笑いが起こる。

アレクシアは再び窓の外へ視線を戻した。

ヴァレンティア王国は、少しずつ遠ざかっていく。


そして、あの城も、セリオの姿も。

けれど、アレクシアはもう振り返らなかった。


「……ローズに帰ったら忙しいわよ」

「店、休んでる間の仕事が溜まってるだろうしね」

「そういうこと。さっさと帰りなさい」

「はいはい、店長」


アルフレッドはアクセルを踏み込んだ。

車は進む。

喫茶店「ローズ」という、彼らの帰る場所へ向かって。

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