「流石に走り疲れたわね」
城内の喧騒から離れた一室に、セリオとアレクシアは身を潜めていた。扉の向こうからは、時折、兵士たちの慌ただしい足音が聞こえてくる。二人はしばらく息を潜めていたが、やがてアレクシアが壁にもたれながら、小さく息を吐いた。
「流石に走り疲れたわね」
「そうだね。ここまで走るのは久しぶりだよ」
セリオも近くの壁に背を預け、呼吸を整える。
普段の上品な姿からは想像できないほど、その表情には疲労が滲んでいた。
それでも、アレクシアの顔を見ると、どこか安心したように目元を緩める。
「……でも、君が無事でよかった」
「何それ。あなたのほうが大変な状況だったでしょう」
「僕はいいんだ」
「よくないでしょう」
アレクシアは呆れたように言った。
「自分を犠牲にして私を守ろうとするなんて、馬鹿じゃないの?」
セリオは少し黙った。
そして、困ったように笑う。
「……そう言われても、仕方ないかな」
「仕方ないで済ませないで」
アレクシアの声には、いつもの棘とは違うものが混じっていた。
セリオはそれに気づいたのか、静かに彼女を見つめる。
「アレクシア」
「何よ」
「君が来てくれて、本当に嬉しかった」
その言葉に、アレクシアは一瞬だけ目を逸らした。
「……そう」
「うん」
「だったら、ちゃんと帰るわよ」
「もちろん」
短い会話だった。
けれど、その言葉には二人だけにしか分からない強い意志が込められていた。
セリオはふと、握ったままだったアレクシアの手を見る。
「……そういえば」
「何?」
「ずっと手を握ったままだったね」
アレクシアも自分の手を見る。
いつの間にか、二人の手はしっかりと繋がっていた。
「……今さら?」
「いや……」
セリオは少し照れたように笑った。
「このままでも、いいかなって」
アレクシアは何も答えなかった。
ただ、手を離すこともしなかった。
その時だった。
遠くから、再び兵士たちの声が聞こえてくる。
「いたぞ! この辺りを探せ!」
二人の表情が変わった。
アレクシアが小声で言う。
「……休憩は終わりね」
「みたいだね」
セリオは立ち上がった。
そしてアレクシアへ手を差し出す。
「行こう」
アレクシアはその手を取った。
「ええ。今度こそ、二人で逃げ切るわよ」
二人は静かに扉へ近づいた。
その先には、まだ多くの危険が待っている。
それでも今度は、セリオも一人ではなかった。
扉の向こうから聞こえていた足音が、次第に近づいてくる。セリオは扉の脇に立ち、廊下の様子を慎重に窺った。アレクシアもその後ろへ続く。
「……まだいるわね」
「うん。でも、ここに留まり続けるのも危ない」
セリオが振り返る。深い青の瞳が、まっすぐアレクシアを見つめた。
「アレクシア。僕のせいで、君までこんなことに巻き込んでしまった」
「またその話?」
「え?」
「さっきも言ったでしょう。自分を犠牲にして私を守ろうとするなって」
アレクシアは少しだけ眉を寄せた。
「私は、自分の意思でここにいるの。あなたに無理やり連れてこられたわけじゃないわ」
セリオは黙って彼女を見る。
「だから、勝手に私を置いていこうとしないで」
その言葉に、セリオの表情がわずかに和らいだ。
「……分かった」
「本当に?」
「うん。約束する」
アレクシアは小さく頷いた。
その直後、廊下から声が聞こえた。
「この部屋も確認しろ!」
二人の表情が変わる。
「来る!」
セリオがアレクシアの手を取った。
部屋の奥には、古い扉があった。セリオが駆け寄って開けると、その先には細い廊下が続いている。
「こっちだ!」
二人は音を立てないように走り出した。
背後で扉が開く音がする。
「いないぞ!」
「探せ!」
兵士たちの声が響く。
セリオとアレクシアは細い廊下を抜け、階段を下りていく。
やがて目の前に小さな窓が現れた。
セリオが外を確認する。
「……下に庭がある」
「飛び降りられる?」
「僕なら大丈夫。でも君は――」
「私も行く」
「……分かった」
セリオが先に窓から降り、その後アレクシアへ手を伸ばした。
「おいで」
「……お願い」
アレクシアが手を伸ばす。
セリオはしっかりとその手を掴み、彼女を庭へ降ろした。
二人が着地した直後、城の上階から兵士たちの声が響く。
「庭を探せ!」
「急ごう」
「ええ」
二人は庭の木々の間へ身を隠しながら進んでいく。
しかし、セリオはふと足を止めた。
「……アレクシア」
「何?」
「城を出たら、僕には君に話さなきゃいけないことがある」
アレクシアは彼を見る。
「今じゃ駄目なの?」
「うん。ここでは話せない」
セリオは少しだけ迷った後、静かに続けた。
「僕が今まで君に隠していたことも、全部話す」
アレクシアは彼の目を見つめた。
そして、微笑む。
「分かった。じゃあ、ちゃんと聞いてあげる」
「ありがとう」
二人は再び走り出した。
その先に、城の外へ通じる小さな門が見えていた。




