「ただの女が王子様を迎えに来て悪い?」
廊下を進んでいたアレクシアたちは、前方から聞こえる話し声に足を止めた。
「……セリオ様も気の毒だな。ルクレツィア様と結婚なんて」
「性格最悪だしな」
「ほんと嫌な女」
兵士とメイドの噂話だった。三人はすぐに物陰へ身を隠す。
「ここだけの話だが」
兵士の声がさらに落ちる。
「セリオ殿下、好きな女を守るためにルクレツィアと結婚するらしい」
「えっ……!」
メイドが思わず声を上げ、すぐに口を塞がれる。
その瞬間、アレクシアの動きが止まった。
「……好きな、女……?」
小さく漏れた声に、アルフレッドが横目を向ける。口元にはわずかな笑み。エドワードは無言でその反応を見ていた。
やがて兵士たちは噂を続けながら去っていく。
足音が遠ざかり、廊下に静寂が戻った。
アレクシアは物陰から出る。
「……セリオ…私…やっぱり…」
驚きがそのまま言葉になった。
「可能性は高いね」
アルフレッドが肩をすくめる。
「……」
アレクシアは胸元を押さえ、言葉を失う。
守るために戻ったこと。追っ手を引き受けたこと。あの時の抱擁。
断片が一気につながる。
「……バカじゃないの」
小さく呟くと、頬がわずかに熱を帯びた。
「話は後だ」
エドワードの声が空気を切った。
「時間がない」
アレクシアは顔を上げる。
「うん」
迷いは消えていた。
「絶対に助ける」
三人は再び歩き出す。
足音が石床に吸い込まれ、廊下の空気が動き出す。
そのまま彼らは、城の奥へと進んでいった。
――同じ城のさらに深部。
窓のない一室。外の音は届かず、静寂だけが沈んでいる。
そこには、ただ冷えた空気と、重い沈黙だけが満ちていた。
誰もいないはずのその部屋で、時間だけがゆっくりと流れていく。
守りたいという想いは、まだ形にならないまま、城の奥へと沈んでいた。
アレクシアたちは、城の奥へ進んでいた。
廊下を曲がるたびに、警備の兵士が増えていく。先ほどまで聞こえていた城内のざわめきも次第に遠ざかり、代わりに、張り詰めた静けさが広がっていた。
アルフレッドが壁際を確認しながら、小さく呟く。
「この先、かなり警備が厳しいね」
「セリオがいる場所に近づいてるんだろうね」
エドワードは周囲を見渡した。
「問題は、どうやって抜けるかだ」
アレクシアは黙って前を見ていた。
先ほど聞いた噂が、頭から離れない。
――好きな女を守るために、ルクレツィアと結婚する。
もし、それが本当なら。
セリオは自分を守るために、そこまでしようとしている。
「……セリオ」
アレクシアは小さく名前を呼んだ。
その声に、エドワードが振り返る。
「どうした?」
「なんでもない」
アレクシアは首を横に振った。
だが、すぐにその足が止まった。
廊下の先。
大きな扉の前に、二人の兵士が立っている。
アルフレッドが目を細めた。
「……あそこだね」
エドワードも頷く。
「おそらく」
三人は物陰へ身を寄せる。
すると、扉の向こうから声が聞こえた。
「セリオ様。もう一度だけ考え直していただけませんか」
聞き覚えのない男の声だった。
続いて、セリオの声が返ってくる。
「何度言われても答えは変わらないよ」
アレクシアの目が見開かれた。
間違いない。
セリオだ。
「僕は、ルクレツィアとの結婚を望んでいない」
「ですが殿下。あなたが拒めば――」
「分かってる」
セリオの声が少しだけ低くなる。
「僕が拒み続ければ、彼女は僕の大切な人に手を出す。それくらい分かってるよ」
アレクシアは息を呑んだ。
エドワードとアルフレッドも、何も言わずに扉を見つめている。
セリオは続けた。
「だから僕は、最後まで彼女を守る」
「……殿下」
「僕自身がどうなっても構わない」
その言葉を聞いた瞬間、アレクシアは物陰から出ようとした。
しかし、エドワードが腕を掴んで止める。
「まだだ」
「でも――」
「今出れば、全部台無しになる」
アレクシアは唇を噛み、何とか踏みとどまった。
扉の向こうから、再び声がする。
「それでは、失礼します」
足音が近づいてくる。
三人はすぐに身を隠した。
扉が開く。
兵士が一人、廊下へ出てきた。
そのまま通り過ぎていく。
足音が遠ざかったのを確認すると、アルフレッドが小さく笑った。
「今だね」
エドワードが扉へ近づく。
アレクシアも続いた。
そして、扉がゆっくりと開かれる。
「セリオ」
アレクシアの声が響いた。
部屋の奥にいたセリオが、驚いたように振り返る。
深い青の瞳が大きく見開かれた。
「……アレクシア?」
その顔には、驚きと安堵が入り混じっていた。
「どうして……」
アレクシアは迷わず歩み寄る。
「迎えに来たのよ」
セリオは言葉を失った。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「……本当に、君は無茶をするね」
「あなたに言われたくないわ。それに…」
「それに?」
「ただの女が王子様を迎えに来て悪い?」
二人の視線が重なる。
その瞬間だけ、長い間続いていた緊張が消えた。
笑い合ってしまった。
だが――。
背後から、ゆっくりと扉が閉じる音がした。
三人は同時に振り返った。
そこに立っていたのは、ルクレツィアだった。




