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喫茶店ローズ  作者: 環状線在住送り犬
喫茶店ローズ第2章〜ヴァレンティア王国編〜
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〜喫茶店ローズ第2章 喫茶店ローズ〜ヴァレンティア王国編25話「重くない?」

地下水道はどこまでも続いていた。


天井は低く、古い石積みには苔が張りつき、足元を流れる水が絶え間なく音を立てている。外の光は一切届かず、頼りになるのは壁に等間隔で設置された古びたランタンだけだった。


エドワードはアレクシアを背負ったまま、迷いのない足取りで進み続ける。


「重くない?」


遠慮がちに尋ねるアレクシアに、エドワードは鼻で笑った。


「君一人背負えなくなったら、僕も引退だよ。」

「でも……」

「気にしなくていい」


短い一言だったが、それ以上言わせない強さがあった。

後ろを歩くアルフレッドは、そんな二人を見て口元を緩める。


「昔もさ、エド兄ってこんな感じだったよね」

「昔?」


アレクシアが首を傾げる。


「そうそう。昔は怪我人を見ると、文句言いながら背負ってた」

「文句じゃない。事実を言っていただけだ」

「『面倒だ』『歩け』『根性が足りない』って言いながらね」


アルフレッドはくすくすと笑う。


「でも結局、最後まで絶対に降ろさない」


エドワードは小さくため息をついた。


「……余計なことを話すな」

「照れてる」

「違う」

「照れてる」

「黙れ」


アレクシアは思わず吹き出した。


「ふふっ……」


地下水道に、久しぶりに柔らかな笑い声が響く。

その瞬間だった。

エドワードの足がぴたりと止まる。

笑みは一瞬で消え去り、その蒼い瞳が鋭く細められた。


「……静かに」


アルフレッドも同時に表情を変える。

赤い瞳が暗闇の奥を見据えた。


「来るね」


空気が変わる。


水音に混じって、複数の足音が近づいてくる。

石畳を踏む、規則正しい音。

一人や二人ではない。

十人以上。

アレクシアも気配を察し、小さく息をのむ。


「追っ手……?」


エドワードはゆっくりと彼女を降ろし、壁際へ座らせた。


「ここから動かない」

「でも──」

「大丈夫」


その一言だけを残し、エドワードは白手袋を整える。

アルフレッドも肩を回しながら笑った。


「地下で暴れるのは久しぶりだなぁ」


暗闇の向こうから、鎧を身につけた男たちが姿を現す。

その先頭に立つ男が剣を抜き、低く告げた。


「侵入者を発見。生死は問わん。捕らえろ」


次の瞬間。

エドワードは静かに一歩踏み出した。

その蒼い瞳には、喫茶店で穏やかに客を迎える老紳士の面影はない。

そこに立っていたのは、かつて裏社会で「蒼刃」と恐れられた男だった。


地下水道に、重苦しい沈黙が落ちた。

兵士たちは剣を構え、一歩、また一歩と間合いを詰める。


その数は十数名。

狭い通路を埋め尽くすには十分すぎる人数だった。

先頭の兵士が声を張る。


「抵抗するな! 武器を捨てろ!」


エドワードは小さく肩をすくめた。


「嫌だね」


その返事と同時に、兵士が駆け出した。


「捕らえろ!」


鋭い剣先が一直線にエドワードへ向かう。

しかし、その一撃が届くことはなかった。


キィン――!


金属音が地下水道に響く。

いつの間にかエドワードの手には、一振りの刀が握られていた。

無駄のない一閃。

兵士の剣は弾かれ、その衝撃で体勢が大きく崩れる。


「なっ……!」


驚愕する兵士の脇を、蒼い影がすり抜けた。


「遅い」


静かな声。

柄で兵士の鳩尾を打ち抜く。


「ぐっ……!」


兵士は苦しそうにうずくまり、その場へ崩れ落ちた。

間髪入れず、左右から二人の兵士が斬りかかる。

エドワードは一歩も退かない。

身体をわずかに捻るだけで刃をかわし、そのまま刀の峰で二人の手首を打ち据える。

剣が石畳へ転がった。


「武器を失くしたなら、もう終わりだ」


一方、その隣ではアルフレッドが陽気な笑みを浮かべていた。


「はいはい、そんなに急がなくても順番に相手するよ」


銃声が地下に轟く。

乾いた音が何度も反響した。

弾丸は兵士を傷つけることなく、足元や壁際を正確に撃ち抜く。

石片が飛び散り、兵士たちは思わず足を止めた。


「うわっ!」

「壁が!」


混乱した隙を見逃さず、アルフレッドは兵士の背後へ回り込み、肩を軽く叩く。


「はい、おしまい」


次の瞬間、兵士は足を払われ、次々と地面へ転がっていく。

アレクシアは壁際から、その光景を見つめていた。

二人とも、無駄な殺気はない。

だが、その動きには一切の迷いが存在しなかった。

まるで長年積み重ねた経験そのものが形になっているようだった。


数十秒後。


地下水道には静寂が戻る。

兵士たちは全員武器を失い、気絶するか、その場で身動きが取れなくなっていた。

エドワードは刀を静かに納める。


「……終わり」


アルフレッドは辺りを見回しながら首をかしげた。


「いや、まだだね」


その言葉に、エドワードの視線が奥へ向く。

暗闇のさらに先。

ゆっくりと、規則正しい足音が響いてきた。


カツ……。


カツ……。


カツ……。


兵士とは違う。

一歩ごとに伝わる、張り詰めた気配。

やがて暗闇の中から、一人の女性が姿を現した。

長い銀髪を青いリボンでまとめ、凛とした佇まいで長剣を携えている。

レティシア・ヴァルフォールだった。

彼女は倒れた兵士たちを一瞥すると、小さくため息をつく。


「……まったく。少し目を離しただけで、この有様」


そして静かにエドワードへ視線を向けた。

レティシアは倒れた兵士たちを一瞥すると、小さく息をついた。


「……相変わらず、あなたは加減が上手ね」


エドワードは肩をすくめ、口元にわずかな笑みを浮かべる。


「僕も成長したってわけだよ」


その言葉に、レティシアは呆れたように眉をひそめた。


「バカね」


だが、その声音には責める色はなかった。

胸の内には言いたいことなど山ほどある。

それでも今は、それを口にする時ではない。


彼女は静かに踵を返し、三人に背を向けた。


「ほら、もう行きなさい」


低く、それでいて優しい声が地下水道に響く。


「私は何も見なかったことにするから」


その一言に、アレクシアは目を見開いた。

レティシアは騎士団長だ。

本来なら侵入者である自分たちを捕らえなければならない立場。それでも彼女は、自らの責務よりもエドワードたちを逃がすことを選んだ。

アレクシアは思わず笑みを浮かべる。


「レティシア……ありがとう!」


レティシアは振り返らない。

ただ片手を軽く上げるだけだった。


「礼なら無事に帰ってからにしなさい」


エドワードはその背中を静かに見つめる。


「……借りができたね」


レティシアは小さく笑う。


「借りなんて思わなくていいわ」


少しだけ間を置いて、ぽつりと続けた。


「また四十五年も姿をくらますようなことだけは、しないで」


エドワードは一瞬だけ目を伏せると、穏やかに答えた。


「善処するよ」

「“善処する”じゃ信用できないのよ、あなたは」


その言葉にアルフレッドが吹き出す。


「ははっ、エド兄、完全に見透かされてる」

「余計なお世話だ」


短く返したエドワードは、アレクシアへ視線を向けた。


「行こう」

「ええ!」


三人は再び駆け出した。

地下水道に足音が遠ざかっていく。

その音が完全に消えるまで、レティシアはじっと前を向いたままだった。

やがて静寂が戻る。

彼女はゆっくりと目を閉じ、小さく息を吐く。


「……本当に、昔から勝手なんだから」


そう呟くと、背後から慌ただしい足音が近づいてくる。


「団長! こちらで戦闘音が──」


駆けつけた兵士たちは、倒れた仲間たちを見て驚愕した。


「侵入者は!」


レティシアは静かに兵士たちへ向き直る。

その表情は先ほどまでとは打って変わり、冷徹な騎士団長の顔へ戻っていた。


「逃げられたわ」

「申し訳ありません!」

「地下水道の東側を捜索しなさい。急ぎなさい」

「はっ!」


兵士たちは敬礼すると、一斉に駆け出していく。

その姿を見送りながら、レティシアは誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。


「……西へ逃げたのだから、東を探しても見つからないわよ」

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