〜喫茶店ローズ第2章 喫茶店ローズ〜ヴァレンティア王国編24話「当然だ」
ルクレツィアは静かに歩み寄ると、抵抗する暇も与えず、後ろからそっとセリオの肩へ腕を回した。
「……っ」
セリオの身体が強張る。
まるで逃げ道を塞ぐように、ルクレツィアは背後から抱き寄せる。その表情には穏やかな笑みが浮かんでいたが、瞳には冷たい支配の色が宿っていた。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ」
耳元で囁く声は柔らかい。しかし、その言葉には有無を言わせぬ圧力が滲んでいる。
「あなたは王子。そして私は、この国を支えてきた者。あなたは私の隣にいればいいの」
セリオは彼女の腕を振りほどこうとする。
「離してくれ」
「嫌よ」
ルクレツィアは即座に答えた。
「あなたは優しすぎるの。だから余計な人たちを助けようとして、自分まで危険にさらしてしまう」
セリオは険しい表情のまま言い返す。
「彼女たちは余計な人なんかじゃない」
「そう?」
ルクレツィアは微笑みを崩さない。
「たった一日出会っただけの旅人でしょう?」
「……違う」
その一言には、はっきりとした意志が込められていた。
ルクレツィアの笑みがわずかに薄れる。
「特にあの赤紫の髪の女性……」
彼女は静かに目を細めた。
「あなたは、あの子を随分気に入っているみたいね」
セリオは黙ったまま前を見据える。
その沈黙が、何より雄弁な答えだった。
ルクレツィアはゆっくりと腕をほどき、一歩後ろへ下がる。
「……なるほど」
穏やかな声とは裏腹に、その瞳には嫉妬にも似た鋭い光が宿っていた。
「ならなおさら、あの旅人たちを自由にしておくわけにはいかないわね」
薄暗い地下水道を、三人は足音を殺しながら進んでいた。
石造りの通路には冷たい湿気が漂い、壁を伝う水が一定のリズムで滴り落ちる。その音だけが静寂を満たし、地上の喧騒が嘘のようだった。
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先頭を歩くエドワードは周囲を鋭く観察し、分岐や曲がり角を迷いなく選んでいく。その後ろをアルフレッド、最後尾をアレクシアが続いていた。
しばらく歩いたところで、アレクシアの足取りが急に鈍る。
「……っ」
小さく息を呑んだかと思うと、その場で片膝をついた。
「アレクシア?」
アルフレッドが振り返る。
アレクシアは返事をしようとしたものの、痛みに顔をしかめ、しゃがみ込んでしまった。
「ご、ごめん……」
壁に手をつきながら、右足首を押さえる。
「さっき落ちた時に……少しひねったみたい」
エドワードはすぐに彼女の前へしゃがみ込み、足首へ静かに視線を落とした。
「見せて」
アレクシアは黙って足を差し出す。
エドワードは軽く触れて状態を確かめると、表情を変えずに手を離した。
「骨は大丈夫そうだけど、無理に歩けば悪化する」
「でも、急がないとセリオが……」
言い終える前に、エドワードはため息をついた。
「だからといって、君が動けなくなったら意味がない」
アルフレッドも腕を組みながら苦笑する。
「昔からそうなんだよね。自分のことは後回し」
アレクシアは申し訳なさそうに俯いた。
「……ごめんなさい」
「謝ることじゃない」
エドワードは短く答えると、アレクシアへ背中を向けて腰を落とした。
「乗りな」
アレクシアは目を丸くする。
「え?」
「歩けないなら、運ぶ」
「い、いいわよ! 私、自分で――」
「却下」
即答だった。
「時間を無駄にする気はない」
アルフレッドは口元を押さえて笑う。
「エド兄、相変わらず孫には甘いねぇ」
「うるさい」
エドワードは振り返りもせず答える。
「いいから早く」
アレクシアは少し迷った末、小さく息をついて苦笑した。
「……ありがとう、おじいちゃん」
その一言に、エドワードはわずかに目元を緩める。
「当然だ」
アレクシアは静かに背中へ身を預けた。
エドワードは軽々と立ち上がると、何事もなかったかのように再び地下水道を歩き始める。
その後ろでアルフレッドは肩をすくめた。
「セリオが見たら、間違いなく嫉妬するだろうね」
「そんなことを言ってる暇があるなら、前を見ろ」
エドワードの冷静な一言に、アルフレッドは笑いながら足を速めた。
地下水道の奥には、王城へと続く暗い通路が静かに口を開けていた。




