喫茶店ローズ第2章〜ヴァレンティア王国編〜 喫茶店ローズ第2章 喫茶店ローズ〜ヴァレンティア王国編22話「生きて帰す気はありませんけど」
パチ、パチ、パチ――。
静かな拍手が廊下に響いた。
全員が振り向く。
深紅のドレスをまとった一人の女性が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
金色の髪を優雅にまとめ、その口元には妖艶な笑みを浮かべていた。
「あらあら、可愛らしいお客様ね。」
穏やかな声とは裏腹に、その瞳は獲物を見つけた猛獣のように冷たい。
セリオの表情が険しくなる。
「……ルクレツィア」
ルクレツィア・デ・モンフォール伯爵。
王国でも有力な貴族であり、権力を振りかざしてセリオとの結婚を強要している女だった。
彼女は扇子で口元を隠しながら、アレクシアへ視線を向ける。
「あなたが、セリオ様を逃がしたお嬢さんね」
アレクシアは真っ直ぐに睨み返す。
「逃がしたんじゃないわ。助けただけ」
「ふふ……勇気があるのね」
ルクレツィアは笑みを崩さないまま、今度はエドワードとアルフレッドへ目を向けた。
「それにしても、面白い旅人を連れてきたものだわ」
エドワードは静かに一歩前へ出る。
「挨拶だけなら、もう済んだかな」
「ええ。でも、私の婚約者を勝手に連れ出そうとするのは困るわ」
セリオはきっぱりと言い返した。
「僕は君との婚約を認めた覚えはない」
ルクレツィアの笑みがわずかに深くなる。
「認めるかどうかは、あなた一人では決められないのよ」
その瞬間、廊下の奥から鎧の擦れる音が響き、多数の武装した部下たちが姿を現した。廊下はゆっくりと包囲され、アレクシアたちの退路が塞がれていく。
兵士たちが一斉に剣を抜く。
鋼の擦れる音が廊下に響き、冷たい殺気が一気に満ちた。
アレクシアは身構え、エドワードとアルフレッドも静かに一歩前へ出る。
その瞬間だった。
「やめろ!」
鋭い声が廊下に響き渡る。
セリオだった。
彼は迷うことなくアレクシアたちの前へ立ちはだかり、両腕を広げて兵士たちを制した。
「彼女達には手を出すな!」
その瞳には、王族としての気高さと揺るぎない覚悟が宿っていた。
「彼女達は僕を助けようとしただけだ! すべて僕の意思でここを出ようとした!」
兵士たちは困惑したように顔を見合わせる。
誰もすぐには動けない。
ルクレツィアだけが静かに微笑んでいた。
「セリオ様」
彼女は一歩ずつ近づいてくる。
「あなたは本当にお優しいのね」
「これは優しさじゃない」
セリオは一歩も退かなかった。
「罪のない人を巻き込むなと言っているだけだ」
「罪がない?」
ルクレツィアは首をかしげる。
「王族を勝手に連れ出そうとした者が?」
「違う!」
セリオは声を張り上げた。
「僕が頼んだんじゃない! 僕が勝手に逃げたんだ!」
「それでも同じことよ」
ルクレツィアの笑みは崩れない。
「あなたを連れ出そうとした事実に変わりはないもの」
「だから!」
セリオは拳を握り締める。
「彼女達に責任はない! 責任を問うなら僕だけにしてくれ!」
その必死な叫びに、アレクシアは息をのんだ。
自分たちを守るために、彼は再びすべてを背負おうとしている。
「セリオ……」
思わずその名を呼ぶと、彼は振り返らずに静かに言った。
「大丈夫」
その一言には、自分がどうなっても彼女たちだけは守りたいという強い意志が込められていた。
しかし、その背中を見つめていたエドワードの蒼い瞳が、静かに細められる。
「……その言い方は気に入らないね」
穏やかな声だった。
だが、その一言だけで廊下の空気はさらに張り詰めた。
ルクレツィアは扇子で口元を隠したまま、優雅に微笑んだ。
「……もっとも。」
その笑みが、ゆっくりと冷たく歪む。
「生きて帰す気はありませんけど」
その言葉と同時だった。
カチリ――。
どこかで小さな機械音が鳴る。
エドワードの瞳が鋭く細まった。
「アレクシア!」
叫ぶのとほぼ同時に、三人の足元の床へ一つの亀裂が走る。
轟音とともに床が崩れ落ちた。
「きゃあっ!」
アレクシアの悲鳴が響く。
「おっと!」
アルフレッドも体勢を崩し、そのまま奈落へ吸い込まれていく。
エドワードは咄嗟にアレクシアへ手を伸ばしたが、崩落の勢いには逆らえない。
三人の姿は暗闇の中へ消えていった。
轟音が止み、廊下には大きく口を開けた穴だけが残る。
「アレクシア!」
セリオの叫びが城内に響き渡る。
彼は反射的に穴へ駆け寄ろうとした。
「離せ!」
兵士たちが腕を掴むが、セリオは必死にもがく。
「放せ!アレクシア!」
穴の縁へ手を伸ばす。
しかし、その手は兵士によって押さえ込まれた。
「やめろ! お願いだから放してくれ!」
彼の悲痛な叫びが石壁に反響する。
「アレクシアーッ!!」
その声は、暗い穴の底へ吸い込まれるように消えていった。
ルクレツィアは穴を見下ろしながら、静かに目を細める。
「残念だったわね、セリオ様」
セリオは振り返り、怒りに震える瞳で彼女を睨みつけた。
「……君は」
握り締めた拳が震える。
「どうして、そこまでできるんだ……!」
ルクレツィアは表情を変えず、淡々と答えた。
「あなたを手に入れるためなら、邪魔な者には退場していただくだけ」
その冷たい一言に、セリオは言葉を失った。
彼の視線はなおも、三人が落ちていった暗闇へ向けられていた。




