喫茶店ローズ第2章〜ヴァレンティア王国編〜 喫茶店ローズ第2章 喫茶店ローズ〜ヴァレンティア王国編21話「そうだったね」
北棟の廊下は、不気味なほど静まり返っていた。
壁に掛けられた燭台の炎だけが揺れ、石造りの廊下へ長い影を落としている。
レティシアから受け取った鍵で使用人通路を抜けたアレクシアたちは、誰にも気づかれることなく最奥へたどり着いていた。
エドワードが扉の前で足を止める。
「……ここだ。」
小さく呟くと、耳を澄ませる。
部屋の中から物音は聞こえない。
アルフレッドも周囲を警戒しながら頷いた。
「見張りはいない。今なら入れる」
エドワードはゆっくりと鍵を差し込んだ。
カチャリ――。
静かな音とともに錠が外れる。
扉をわずかに押し開けると、薄暗い部屋の中で、一人の青年が窓際に座っていた。
その人物は音に反応して振り返る。
深い青い瞳が大きく見開かれた。
「……君は」
「セリオ!」
アレクシアは迷うことなく部屋へ駆け込んだ。
「無事だったのね!」
セリオは一瞬信じられないものを見るような表情を浮かべた。
だが次の瞬間には立ち上がり、アレクシアのもとへ駆け寄る。
そして、そのまま彼女を強く抱きしめた。
「……よかった」
震えるような声だった。
「本当に、よかった……」
突然のことにアレクシアは目を丸くする。
「セ、セリオ……?」
セリオは腕に力を込めたまま、小さく息をついた。
「君が無事で、本当によかった」
その声には安堵と、抑えきれない感情が滲んでいた。
「あの時、君たちを巻き込まないために離れた。でも……ずっと後悔してた」
彼はゆっくりとアレクシアから少しだけ体を離し、その黒い瞳を真っ直ぐ見つめる。
「君が追っ手に捕まってしまったんじゃないか、傷ついたんじゃないかって……そればかり考えていた。」
アレクシアは照れくさそうに笑いながら首を横に振る。
「そんな心配しなくても大丈夫。私、一応こう見えて結構しぶといの」
その言葉に、セリオはようやく小さく笑みを浮かべた。
「そうだったね」
部屋の入口では、腕を組んだエドワードが静かに二人を見守っている。
その隣でアルフレッドは、にやにやと笑みを浮かべた。
「ほらね、エド兄」
「……。」
「完全に両想いじゃん」
エドワードは何も答えなかった。
ただ一度だけ、小さくため息をつく。
その表情は複雑だったが、先ほどまでの険しさはほんの少しだけ和らいでいた。
部屋には束の間の安堵が流れていた。
だが、その空気を一瞬で凍らせた人物が一人いた。
エドワードである。
腕を組んだまま、何も言わずにセリオを見つめている。
その蒼い瞳は微動だにせず、静かなのに底知れない圧を放っていた。
「…………」
「…………」
セリオは抱きしめていたアレクシアから、ゆっくりと手を離す。
笑顔が少しずつ引きつっていく。
(……怖い。)
言葉を発していない。
怒鳴ってもいない。
それなのに、部屋の温度が数度下がったような錯覚を覚えた。
アルフレッドが肩をすくめる。
「いやぁ、始まった」
「始まったって?」
アレクシアが首を傾げる。
「エド兄の『未来のお婿さん審査モード』」
「誰がそんなもの始めた」
エドワードは視線をセリオから外さないまま、淡々と返した。
「いや、どう見ても始まってるじゃん」
セリオは小さく咳払いをした。
「あ、あの……」
エドワードは一歩だけ前へ出る。
コツ――。
革靴の音が石床に響く。
「君」
「は、はい」
「今、僕の孫を抱きしめたね」
「…………。」
否定できない。
事実だった。
セリオは姿勢を正し、真剣な表情になる。
「はい」
「そう」
エドワードは無表情のまま頷いた。
沈黙。再び沈黙。
何も言わない。
何も言わないからこそ、圧が増していく。
セリオの額に一筋の汗が流れた。
アルフレッドは隣で吹き出しそうになっている。
「エド兄、それ以上黙ると可哀想だから」
「僕は何もしてない」
「それが一番怖いんだって」
アレクシアは呆れたようにため息をつく。
「エドワード、威圧するのやめて。」
「威圧してない」
「してる」
「してない」
即答だった。
セリオは思わず苦笑する。
「……アレクシア」
「なに?」
「普段から、こんな感じなの?」
アレクシアは少し考えてから、苦笑いを浮かべた。
「うん。かなり抑えてる方」
「これで……?」
セリオは思わずエドワードを見た。
エドワードは静かに口を開く。
「勘違いしないでほしい」
「はい」
「僕は君を嫌っているわけじゃない」
セリオは少しだけ表情を明るくする。
「ただ」
エドワードの蒼い瞳が鋭く光る。
「アレクシアを泣かせたら、その時は僕が相手になる」
部屋が一瞬、静まり返った。
セリオはその視線を真正面から受け止め、ゆっくりと頷く。
「約束します。僕は、絶対に彼女を泣かせたりしない」
その迷いのない返事を聞き、エドワードは数秒間セリオを見つめ続けた。
やがて小さく息をつき、踵を返す。
「……今は、その言葉を信じよう」
アルフレッドはにやりと笑い、セリオの肩を軽く叩いた。
「合格じゃないけど、不合格でもないってさ」
「エド兄にしては、かなり甘い評価だよ」




