〜喫茶店ローズ第2章 喫茶店ローズ〜ヴァレンティア王国編10話「全員、料理には手を付けるな」
レストランの窓からは、夜のヴァレンティア王国が静かに見えていた。
街路を照らす街灯の光が石畳を淡く照らし、遠くでは噴水の水音がかすかに聞こえてくる。旅人たちの話し声も穏やかで、王国の夜はどこまでも平和だった。
店員が次々と料理を運んでくる。
焼き立てのパンに、香草を添えた魚料理。
色鮮やかな野菜のサラダ。
そして、湯気の立つコンソメスープ。
長旅の疲れを忘れさせるような香りが、テーブルを包み込んだ。
「やっとご飯ですね」
アンナは嬉しそうに微笑みながら、手を合わせる。
「いただきま──」
その声が途中で止まった。
向かいに座るエドワードが、料理に一切手を付けていなかったからだ。
ナイフもフォークも持たず、ただ静かに店内を眺めている。
その横ではアルフレッドも同じだった。
楽しげにメニューを眺めていたはずが、いつの間にか笑みだけを浮かべたまま、何かを探るように視線を巡らせている。
二人の様子に気づいたアレクシアが、小さく眉をひそめた。
「どうしたの?」
返事はすぐには返ってこなかった。
エドワードは数秒間、何も言わずに耳を澄ませる。
厨房から聞こえる包丁の音。
グラスが触れ合う音。
食器を運ぶ足音。
どれも普段と変わらない。
だが――。
何かが違う。
空気が張りつめている。
その違和感だけが、彼の感覚に静かに引っ掛かっていた。
やがて、エドワードはぽつりと呟く。
「……っぽくない?」
その言葉に、アルフレッドは口元だけで笑った。
「っぽいねぇ」
その短いやり取りだけで十分だった。
アレクシアの表情から笑みが消える。
長年一緒に暮らしてきた。
二人がこういう反応を見せるときは、必ず何かが起きる。
「何があったの?」
エドワードは料理から目を離さないまま、静かな声で告げた。
「全員、料理には手を付けるな」
空気が変わる。
颯太も背筋を伸ばき、オスカーは無意識に周囲を見回した。
ガブリエルも静かに目を細める。
その瞬間だった。
轟音が店内を揺らした。
ガシャァァンッ!!
大きな窓ガラスが一斉に砕け散る。
無数の破片が月明かりを反射しながら宙を舞い、床へ降り注いだ。
ほぼ同時に、黒い外套をまとった男たちが窓から飛び込んでくる。
その動きに一切の迷いはない。
全員の手には鋭い短剣が握られていた。
「いたぞ!」
「逃がすな!」
「始末しろ!」
男たちは一直線に一行へ向かって駆け出す。
先頭の男がアレクシアへ短剣を振り下ろした、その刹那――。
一枚のテーブルが視界いっぱいに迫った。
「邪魔だよ」
エドワードだった。
彼は厚い木製のテーブルを片手で持ち上げ、そのまま豪快に振り抜く。
凄まじい衝撃音とともに、先頭の男たちはまとめて吹き飛ばされ、壁へ叩きつけられた。
「ぐあっ!」
「なんだ、この爺さん……!」
驚愕の声が上がる。
その隙を逃さず、アルフレッドが静かに立ち上がった。
椅子を軽く蹴り上げ、その陰から拳銃を抜く。
乾いた銃声が二度だけ響いた。
パンッ。
パンッ。
放たれた弾丸は男たちの短剣だけを正確に撃ち抜き、武器を床へ弾き飛ばす。
金属音が甲高く響いた。
「武器が!」
「撃たれた!」
しかし、敵は止まらない。
正面入口が勢いよく開き、さらに黒服の男たちが流れ込んでくる。
人数は増える一方だった。
エドワードは静かに敵の数を数える。
二十人。
いや、それ以上。
この場で全員を相手にすることは難しくない。
だが、それでは時間を使いすぎる。
追手がさらに増えれば、逃げ道を失う。
何より、ここで足止めされること自体が相手の狙いかもしれない。
一瞬でそこまで判断したエドワードは、小さく息を吐いた。
「戦うな」
その一言に、一行はすぐ反応する。
アレクシアが勢いよく立ち上がった。
「全員外へ!」
「はい!」
「分かりました!」
アレクシア達は迷わず外へ走り出す。
アンナもすぐに続いた。
「颯太さん、こっちです!」
「ああ!」
エリオット、セドリック、ガブリエルも遅れることなく走り出す。
黒服たちも一斉に追い掛けた。
「追え!」
「逃がすな!」
その名を聞いたアレクシアは奥歯を噛み締める。
やはり、セリオの逃亡の手助けは知られていた。
どうやら、彼らは、自分たちを見逃すつもりなど最初からなかったのだ。
厨房へ飛び込んだ一行は、熱気の残る調理場を駆け抜ける。
鍋を避け、作業台を飛び越え、一直線に裏口へ向かう。
オスカーが勢いよく扉を押し開けた。
夜風が一気に吹き込み、石畳の路地が目の前に広がる。
「行くわよ!」
アレクシアの声を合図に、一行は夜の街へ飛び出した。
その背後では、黒服たちの足音が絶え間なく響いていた。
静寂に包まれていたヴァレンティア王国の夜は、再び彼らを飲み込むように動き始めていた。




