〜喫茶店ローズ第2章 喫茶店ローズ〜ヴァレンティア王国編5話〜 「…見惚れていた」
セリオはしばらく声を立てて笑っていた。
張り詰めていた緊張の糸が切れたように、肩を震わせながら笑う。その姿に、アレクシアは腕を組み、呆れたような視線を向けた。
「そんなにおかしい?」
「いや……ごめん。でも、こんな状況なのに、どうしてか笑えてしまって」
そう言って息を整えながら、セリオは周囲へ目を向ける。
道路の向こうから、一台の黒い車が猛スピードで近づいてきた。
砂煙を巻き上げながら急停止し、ほぼ同時に助手席のドアが勢いよく開く。
「アレクシア様!」
飛び出してきたのはオスカーだった。
長身を揺らしながら一目散に駆け寄ると、彼は何も言わずアレクシアの肩を掴み、頭から足先まで怪我の有無を確かめ始める。
「頭は……腕は……血は……どこか痛むところはありませんか!」
「落ち着きなさい、オスカー」
「落ち着けません!」
悲鳴にも似た声だった。
「壁に激突したんですよ!? 骨は!? 内臓は!? 脳震盪は!?」
「全部大丈夫。」
「本当に……?」
「本当よ」
その一言を聞いた途端、オスカーは膝から崩れ落ちた。
「よかった……本当に……」
胸を押さえ、大きく息を吐く姿は、今にも泣き出しそうだった。
その様子を見つめていたセリオは、自然と笑みを浮かべる。
「大切にされているんだね」
アレクシアは少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。
「少し過保護なだけよ」
「少しじゃありません!」
オスカーが顔を上げる。
「アレクシア様はご自分を危険にさらしすぎです!」
「結果的に助かったでしょう?」
「結果論です!」
その必死な様子に、周囲から小さな笑いが漏れる。
その時、後方から軽やかな足音が響いた。
「アレクシア様!」
アンナだった。
勢いよく駆け寄ると、そのままアレクシアへ抱きつく。
「もう、本当に心配したんですから!」
「ごめんなさいね」
「ごめんなさいね。じゃありません!」
涙目で頬を膨らませるアンナを見て、アレクシアは苦笑しながらその頭を優しく撫でた。
「次は気をつけるわ」
「約束ですよ?」
「ええ」
その光景を見ていたセリオは、静かに息をつく。
目の前には、自分を心から案じる仲間たちがいた。
誰も命令で動いているわけではない。
地位に従っているわけでもない。
ただ、大切だから駆けつけた。
その当たり前の光景が、なぜか眩しく見えた。
「……羨ましいな」
思わず漏れた独り言だった。
アレクシアが振り返る。
「何が?」
セリオは少しだけ笑う。
「みんな、君を本当に大事に思ってる」
「そうね」
「僕の周りには人がいる。でも、それとは少し違う気がする」
アレクシアはしばらく黙って彼を見つめていた。
その青い瞳には疲れが滲んでいる。
追われ、逃げ続け、それでも今のことを考え続ける男の目だった。
「あなたにもいるでしょう」
「え?」
「あなたを心配している人」
セリオはゆっくり目を伏せた。
「……いる」
「なら、一人じゃない」
その言葉は静かだった。
けれど、不思議なくらい胸に沁みた。
セリオは優しく微笑む。
「ありがとう」
アレクシアは何も言わず、小さく肩をすくめるだけだった。
その横顔を見つめながら、セリオは思う。
――綺麗だ。
決して外見だけではない。
迷わず人を助ける強さ。
誰かを守るためなら、自分の危険すら顧みない覚悟。
そして、その行動を特別なことだと思っていない自然さ。
そんな人に、セリオは初めて出会った。
一方のアレクシアも、知らず知らずのうちに彼を見つめていた。
事故の瞬間、自分を突き飛ばすのではなく、抱き寄せて守ったこと。
あの一瞬に迷いはなかった。
一人の人間として、誰かを守ろうとした。
その優しさが、胸の奥に静かに残っている。
不意に視線が重なる。
互いに何も言わない。
風だけが二人の間を吹き抜けていった。
やがて、セリオが少し照れくさそうに口を開く。
「……見惚れてた」
アレクシアは一瞬だけ目を見開いた。
「……は?」
「君に」
周囲の空気が止まる。
アンナは目を丸くし、オスカーは固まったまま瞬きを忘れていた。
颯太は思わず咳払いをして視線を逸らす。
それでもセリオは真っ直ぐだった。
照れた様子はあるものの、その瞳には一切の迷いがない。
アレクシアは平静を装いながら答える。
「初対面でそういうことを言う人なの?」
「違うよ」
セリオは穏やかに首を横へ振った。
「こんなことを言ったのは、君が初めてだ」
その言葉に、アレクシアの心臓が小さく跳ねた。
冷静でいるつもりだった。
だが、頬が熱くなるのを止められない。
「……変な人」
ようやく絞り出した言葉に、セリオは柔らかく笑う。
「よく言われる」
アレクシアはため息をつきながら視線を逸らした。
その耳が、わずかに赤く染まっていることに気づいた者は、セリオただ一人だった。




