喫茶店ローズ番外編「置いていかない」
部屋は暗かった。
任務明けの共同宿舎。
照明は落としてある。
窓の外から、遠くの街灯だけが薄く差していた。
あたしはまだ起きてる。
端末をいじる気にもならない。
体は疲れてるくせに、頭だけ妙に冴えてる夜ってある。
向かいのベッドでは、なっちゃんが先に寝ていた。
寝つきは早い。
あれだけ動いて、あれだけ血の匂いのする場所にいて、帰ってきて、シャワー浴びて、何も言わずに横になる。
そして数分で眠る。
器用なのか、壊れてるのか、たまに分からなくなる。
相変わらず寝顔は静かだ。
戦ってる時のあの張りつめた顔とも違う。
普段の、何かを我慢してる顔とも違う。
こういう時だけ、年相応に見える。
……いや、年相応ってなんだ。
二十八歳の女が毎回命張って帰ってくるの、そもそも普通じゃない。
あたしは天井を見る。
今日も危なかった。
なっちゃんはまた一番前にいた。
また一番危ない場所にいた。
また当然みたいな顔して戻ってきた。
腹立つ。
なんであの人、自分だけは壊れてもいいみたいに動くんだろう。
そう思っていた時だった。
小さな声。
最初、寝言だと分からなかった。
あまりにも弱くて、あまりにも子どもみたいな声だったから。
「……お父さん……」
あたしは顔を向ける。
なっちゃんは眠ったまま。
目は閉じてる。
眉が寄っていた。
苦しそうに。
「……おじいちゃんと……おばあちゃんと……」
息が詰まる。
声が震えてる。
そして、
「……私を置いていかないで……」
そこで、涙が落ちた。
ぽろぽろなんてもんじゃない。
堰を切ったみたいに、次々こぼれる。
眠ったまま。
起きないまま。
顔も歪めたまま。
声にならない泣き方で、ぼろぼろ泣いてる。
……何それ。
何それ、なっちゃん。
あんた、そんなの抱えたまま前に立ってんの。
あたしは立ち上がる。
いつものあたしなら、茶化してる。
「うわ、泣き虫じゃん」とか。
「寝ながら泣くとか器用すぎ」とか。
でも、口が開かない。
近づく。
ベッドの横に座る。
なっちゃんの肩は小さい。
刀振ってる人間の肩に見えない。
なのに、この子は誰より重いもの背負ってる。
知らなかった。
いや、違う。
見ようとしてなかっただけか。
強い人は強いままだと思ってた。
静かな人は平気なんだと思ってた。
そんなわけあるか。
あたしはそっとタオルを取る。
涙をぬぐう。
起こさないように。
乱暴にしたら、起きてしまいそうで。
なっちゃんはまだ泣いている。
子どもみたいに、置いていかれるのが怖いまま。
胸が痛い。
あたし、こういうの苦手だ。
泣いてる人とか、弱ってる人とか。
どうしていいか分からなくなる。
でも今、ここにいるのあたしだけだ。
だったらやるしかない。
あたしは小さく息を吐く。
「……置いてかれてないよ、なっちゃん」
聞こえなくていい。
夢の中まで届かなくていい。
ただ言いたかった。
「あたし達がいる」
自分で言って、少し恥ずかしくなる。
くさい。
柄じゃない。
でも撤回はしない。
なっちゃんの手が、シーツの上で少し動く。
迷子みたいな手。
あたしは少しだけ迷って、握る。
冷たい。
こんなに冷たい手で、あんな熱い場所に立ってるのか。
「……明日もムカつくくらい無茶したら、マジで撃つから」
いつもの言い方で、少しだけ戻す。
それでも声は小さい。
なっちゃんの泣き方が、少しずつ落ち着いていく。
呼吸がゆっくりになる。
眉のしわも薄れていく。
やっと静かになった。
あたしは手を離さないまま、背もたれに寄りかかる。
眠い。
でも今日はこのままでいい。
たぶん明日になったら、なっちゃんは何も覚えてない。
いつもの顔で、
「おはようございます、美琳ちゃん」って言う。
それでいい。
知らないままでいい。
その代わり、あたしが覚えてる。
強いだけじゃないこと。
あんたもちゃんと、泣くこと。
暗い部屋の中で、なっちゃんの寝息だけが聞こえる。
あたしは目を閉じる。
……守られてるだけだと思うなよ、なっちゃん。




