喫茶店ローズ番外編「ホワイトデー」
閉店後の喫茶店ローズ。
店内は静まり返り、外の街灯の光が窓から細く差し込んでいた。
厨房ではオスカーが明日の仕込みを終え、丁寧に包丁を拭いている。
「本日は……ホワイトデー、でしたよね」
オスカーが小さく言った。
カウンターではエドワードが椅子に深く腰掛け、退屈そうに指先でテーブルを軽く叩いている。
アルフレッドはその隣でマカロンをつまんでいた。
「そうらしいね」
エドワードは興味のない声で答える。
アルフレッドが肩をすくめた。
「世間は男が女にお返しする日だってさ」
「くだらない」
エドワードは即答する。
「ロマンチックな儀式に意味はない」
アルフレッドが笑う。
「エド兄らしいな」
そのとき、厨房の奥の扉が開いた。
エリオットが紅茶のポットを持って出てくる。
銀髪が柔らかく揺れ、いつもの穏やかな笑顔。
「何やら楽しそうなお話をされていますね」
「ホワイトデーの話」
アルフレッドが言う。
エリオットは軽く目を細めた。
「なるほど。季節の行事ですね」
その後ろからセドリックも現れた。
肩まで伸びた髪を整えながら、静かな声で言う。
「甘い香りがしますね」
オスカーが慌てて説明する。
「あ、あの……お菓子です」
そのとき入口のベルが鳴った。
カラン。
全員がそちらを見る。
扉を開けて入ってきたのは悟真だった。
相変わらずの和装。
そして無表情。
「戻った」
それだけ言う。
アルフレッドが聞く。
「どこ行ってたの」
「山」
短い答え。
悟真の手には紙袋があった。
エドワードが少し目を細める。
「また変なもの拾ってきたの?」
悟真は袋をカウンターに置いた。
「土産」
アルフレッドが袋を覗く。
「……」
少し沈黙。
「どうした」
悟真が聞く。
アルフレッドは中から箱を取り出した。
小さな白い箱。
赤いリボンが結ばれている。
完全にホワイトデーの菓子箱だった。
アルフレッドが吹き出す。
「悟真」
「なんだ」
「これ山で拾ったの?」
「落ちてた」
エドワードが鼻で笑う。
「ゴミ拾いか」
悟真は気にしていない。
「食える」
オスカーが恐る恐る言う。
「それ……お菓子ですよね」
アルフレッドが箱を開ける。
中には綺麗に並んだホワイトチョコ。
エリオットが柔らかく笑った。
「見たところ高級なお菓子ですね」
セドリックも頷く。
「丁寧に作られていますね」
アルフレッドは一つ食べた。
「うん、美味い」
悟真は満足そうに頷いた。
「なら良かった」
そのとき、店の奥から大きな足音が近づいてきた。
ガブリエルだった。
二メートルの巨体がゆっくりと店内に入ってくる。
「甘い香りがしますね」
アルフレッドが箱を見せる。
「ホワイトデーのお菓子」
ガブリエルは穏やかに頷いた。
「なるほど。季節の行事ですね」
悟真がチョコを一つ取り、エドワードの前に置く。
「やる」
エドワードは一瞥。
「いらない」
アルフレッドが笑う。
「拒否された」
悟真は気にせずアルフレッドに渡す。
「ならお前」
「ありがと」
アルフレッドはすぐ食べた。
次にオスカーへ差し出す。
「オスカー」
オスカーは慌てる。
「え、あの……僕でいいんですか」
「余ってる」
「ありがとうございます……」
少し嬉しそうに受け取る。
悟真はさらにガブリエルにも差し出した。
「食え」
ガブリエルは丁寧に受け取る。
「ありがとうございます」
セドリックも微笑む。
「私も一ついただいてもよろしいでしょうか」
悟真は無言で箱を差し出した。
エリオットも一つ取る。
「優しい甘さですね」
アルフレッドが笑う。
「悟真が拾ったとは思えない上品さ」
悟真は窓の外を見ながら答える。
「落ちてた」
エドワードは椅子に深くもたれたまま言う。
「平和な店だ」
アルフレッドが頷く。
「だな」
オスカーはチョコを大事そうに持っている。
エリオットは紅茶を注ぎ、セドリックは静かに店内を見回す。
ガブリエルはゆっくりチョコを味わっていた。
悟真はすでに興味を失って外を眺めている。
喫茶店ローズのホワイトデーは、
誰も特別なことをしないまま、静かに過ぎていった。




