喫茶店ローズ番外編「筋トレ」
朝の喫茶店ローズ。
まだ開店前だ。
店内は静かで、窓から淡い朝の光が差し込んでいる。厨房では包丁の軽い音が規則正しく響いていた。
トン、トン、トン。
オスカーだった。
長い水色の髪をローポニーにまとめ、コックコート姿でまな板に向かっている。
黄緑の目は食材だけを見ており、手元の動きは驚くほど滑らかだ。
包丁が野菜を正確に刻んでいく。
その包丁は――昔、彼が殺人強盗で使っていたものだ。
だが今は、ただ料理の道具として静かに使われている。
トン、トン、トン。
その音を聞きながら、店の外では別の音がしていた。
ドン。
ドン。
ドン。
重たい何かが床に落ちる音。
そして――
「……998」
低く落ち着いた声。
「……999」
次の瞬間。
「1000」
静かな満足の声。
厨房の窓の外、裏庭。
そこではガブリエルが腕立て伏せをしていた。
身長二メートル、体重百四十五キロの巨体が、床を押して上下している。
修道服風の服装のまま、汗一つかかずに運動を続けていた。
彼はゆっくり立ち上がる。
そして軽くストレッチをする。
骨が鳴るような音が、朝の空気に小さく響いた。
厨房の中。
オスカーは包丁を動かしながら、その音に気づいている。
しかし見ない。
できれば関わりたくない。
だが――
ガラッ。
裏口が開いた。
大きな影が厨房に入ってくる。
ガブリエルだった。
彼は爽やかな笑顔で言う。
「おはようございます!」
オスカーの肩がびくっと跳ねた。
包丁の動きが一瞬止まる。
「お、おはようございます……」
オスカーは恐る恐る振り向く。
ガブリエルはとても元気そうだった。
朝日を背にして立つその姿は、もはや小さな壁である。
ガブリエルは穏やかに言った。
「今日もいい朝ですね」
「は、はい……」
オスカーは少しオロオロしながら包丁を持ち直す。
ガブリエルはその様子を見て微笑んだ。
そして、思いついたように言う。
「オスカー君!」
オスカーの眉がぎゅっと内側に寄る。
「は、はい」
ガブリエルは明るく言った。
「一緒に筋トレどうです?」
厨房の空気が一瞬止まる。
オスカーは完全に固まった。
頭の中で、さっき外で聞こえた音が再生される。
ドン。
ドン。
ドン。
そして「1000」。
オスカーは包丁を握ったまま、ゆっくり首を振った。
「……いいです……」
声は小さく、弱かった。
ガブリエルは少し驚いた顔をする。
「そうですか?」
「は、はい……」
オスカーは視線をまな板に戻す。
トン、トン、トン。
再び包丁が動き始める。
ガブリエルは腕を組んで考えた。
「筋肉は健康に良いのですが」
「そ、そうですね……」
「体も丈夫になります」
「は、はい……」
「楽しいですよ」
オスカーは少し困った顔になる。
そして、正直に言った。
「こ、怖いので……」
ガブリエルは静かに瞬きをした。
「怖い?」
オスカーは小さく頷く。
「腕立て千回は……」
ガブリエルは少し考えた。
それから穏やかに言う。
「では半分にしましょう」
オスカーはすぐに答えた。
「無理です……」
厨房の静かな空気の中で、ガブリエルは少し残念そうに微笑んだ。
「そうですか」
そして言う。
「では私はもう少し鍛えてきます」
オスカーは反射的に言った。
「は、はい……!」
ガブリエルは裏口へ向かう。
ガラッ。
ドン。
ドン。
ドン。
再び外から重い音が響き始める。
オスカーは包丁を握ったまま、少し震えた。
「……」
そして小さく呟く。
「……すごい人です……」
包丁は相変わらず正確に動いていた。




