喫茶店ローズ20話「今度はどこで喧嘩になるかな」
食堂の騒ぎからしばらく後。
僕はオズワルドの執務室に立たされていた。
壁一面の書棚。重たい机。窓から差し込む午後の光。
軍の施設らしい、無駄のない部屋だ。
そして、その机の向こう側に立つ男。
オズワルド。
彼は腕を組んだまま、しばらく黙って僕を見ていた。
「……」
僕も黙っている。
沈黙が長い。
こういうとき、だいたい怒っている。
「……」
さらに数秒。
それから、オズワルドが口を開いた。
「貴様」
「うん?」
「着任初日に食堂で三人を半殺しにしたそうだな」
僕は少し考える。
「半殺しではないよ」
「違うのか」
「二人は軽傷」
オズワルドのこめかみに血管が浮く。
「問題はそこではない」
僕は素直に頷いた。
「そうだね」
「貴様は警護隊の人間だ」
「たぶん」
「隊員を叩きのめす仕事ではない」
「向こうから来たんだけど」
オズワルドは机を軽く叩いた。
乾いた音が部屋に響く。
「貴様は火種だ」
僕は首を傾ける。
「火?」
「来た初日に隊内の空気を壊した」
「そんなに?」
「そんなにだ」
僕は少し考える。
それから肩をすくめた。
「でも、みんな静かになったよ」
オズワルドは深く息を吐いた。
完全に怒っている顔だ。
しかし声は低く、冷静だった。
「……貴様は理解していない」
「何を?」
「この隊は“問題児の集まり”だ」
僕は少し笑う。
「知ってる」
夏芽。
美琳。
ジンドウ。
ロウ。
すずら。
全員、能力はあるが評価が低い。
理由は同じだ。
報告しない。命令に従わない。自分のやり方を曲げない。
オズワルドは言う。
「だからこそ、余計な火種は不要だ」
僕は頷く。
「なるほど」
「理解したか」
「うん」
僕は静かに言った。
「つまり、もっと静かに殴れってことだね」
数秒。
完全な沈黙。
オズワルドの眉がゆっくり下がる。
「違う」
「違うの?」
「殴るな」
僕は困った顔をした。
「難しい注文だ」
オズワルドは机の上の書類を一枚取り上げた。
「……貴様には仕事を与える」
「仕事?」
「警護任務だ」
僕は目を細める。
「僕、ウェイターなんだけど」
「今は警護隊だ」
「いつ決まったの」
「私が決めた」
強い口調だった。
僕は少し考え、それから頷く。
「ワンマンだね」
オズワルドは書類を机に置く。
「対象は市街地巡回」
「巡回?」
「最近、不審な動きがある」
僕は椅子に腰を下ろした。
「へぇ」
「前線ではない」
「それは残念」
「貴様には監視をさせる」
「老人に?」
「貴様は老人ではない」
またそれだ。
僕は笑った。
「で、誰と?」
オズワルドは答える。
「例の班だ」
僕は少し考える。
「夏芽たち?」
「そうだ」
僕は頷いた。
「あの子たち、真面目だから疲れるよ」
オズワルドは冷たく言う。
「貴様が一番疲れる」
僕は肩をすくめた。
「否定できない」
オズワルドは最後に言った。
「今すぐ向かえ」
「もう?」
「もうだ」
僕は立ち上がる。
警護服を整える。
扉へ向かう。
ドアノブに手をかけたとき、後ろから声が飛んだ。
「エドワード」
僕は振り返る。
オズワルドが言う。
「次に隊内で騒ぎを起こしたら」
僕は笑った。
「起こしたら?」
オズワルドの声は低かった。
「本気で叩きのめす」
数秒。
僕は少し考える。
それから穏やかに答えた。
「出来て当然だね」
オズワルドの目が細くなる。
僕はドアを開けた。
廊下の空気が流れ込む。
「さて」
小さく呟く。
「今度はどこで喧嘩になるかな」
警護隊本部の廊下。
オズワルドの執務室の扉が開き、僕は外に出た。
さっきまでの重たい空気が、背中の向こうに残っている。
「……怒られた」
小さく呟く。
まあ当然だろう。
着任初日に食堂を半壊させたのだから。
廊下の壁にもたれ、腕を組んでいる男がいた。
ジンドウだ。
坊主頭に、太い腕。
いつものように仏頂面でこちらを見ている。
僕は軽く手を振った。
「やあ」
ジンドウは鼻で笑う。
「……やっぱ怒られたか」
「うん」
「当たり前だ」
僕は肩を回した。
「でも仕事もらったよ」
「巡回だろ」
「知ってるの?」
「オズワルドのやり方ぐらい分かる」
ジンドウは壁から背を離し、ゆっくり近づいてくる。
廊下には他にも隊員がいたが、皆さりげなく距離を取っていた。
さっきの食堂の件が、もう広まっているのだろう。
ジンドウは僕の目を見て言った。
「……あんた」
「うん?」
「気に入らねぇんだよ」
僕は少し考える。
「よく言われる」
ジンドウは続ける。
「年寄りのくせに、強いからって好き勝手やって」
「そう?」
「隊の空気も考えねぇ」
僕は軽く笑った。
「空気読むの苦手なんだよね」
ジンドウは鼻で笑う。
「分かってる」
数秒、沈黙。
それからジンドウが低い声で言った。
「クズが神になろうと思い上がるからだ」
廊下の空気が少し冷える。
僕はその言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。
「……神?」
ジンドウは腕を組む。
「強い奴は大体そうだ」
「どっち?」
「自分が特別だと思い始める」
僕は少し考える。
それから静かに言った。
「それは違うね」
ジンドウの眉が動く。
僕は壁にもたれた。
「僕は自分がクズなの知ってるよ」
廊下を歩く隊員たちが足を止める。
ジンドウは黙って聞いている。
僕は続けた。
「神なんて思ったことない」
「じゃあ何だ」
僕は少し笑った。
「生き残っただけ」
短い言葉だった。
ジンドウはしばらく黙る。
それから小さく息を吐いた。
「……気に入らねぇ」
「だろうね」
「だが」
ジンドウは少しだけ口元を歪めた。
「強いのは認める」
僕は肩をすくめる。
「ありがとう」
そのとき、廊下の奥から声が聞こえた。
「ジンドウさーん!」
夏芽だ。
走ってくる。
後ろには美琳とすずら。
ロウも静かに歩いている。
美琳が近づいて言った。
「巡回行くってよ」
ジンドウが顎で僕を指す。
「原因はこいつ」
美琳はため息をつく。
「ほんと迷惑」
夏芽は少し頭を下げた。
「よろしくお願いします」
すずらは微笑む。
「怪我しないでくださいね〜」
ロウは僕をじっと見ている。
僕はその五人を見渡した。
それから小さく笑う。
「いいね」
美琳が眉をひそめる。
「何が」
僕は答える。
「この班」
そして歩き出した。
「退屈しなさそうだ」




