喫茶店ローズ19話「喫茶店のチョコタルトが恋しいな」
丁度、昼の12時だった。
昼食を取ることにした僕ら。
思っていた以上、警護隊の食堂は広かった。
天井は高く、長いテーブルがいくつも並び、昼の時間帯ということもあって隊員たちで賑わっている。金属トレーの音、椅子を引く音、雑談。軍の施設らしい、どこか荒い空気だ。
僕はトレーを持ったまま、周囲をゆっくり見渡した。
「……随分多いね」
隣に立つ美琳が肩をすくめる。
「警護隊って人数だけはいるのよ」
夏芽は静かに言う。
「座りましょう」
僕たちは奥のテーブルに腰を下ろした。
僕、夏芽、美琳、すずら、ジンドウ、ロウ。
六人。
しかし座った瞬間、周囲の空気が少し変わる。
視線。
ひそひそ声。
笑い声。
露骨ではないが、分かりやすい。
僕はスープを一口飲みながら言った。
「……随分舐められているね」
美琳が苦笑する。
「まあ、いつものこと」
「いつもの?」
ジンドウが肉を噛みながら言う。
「俺らは“下級の寄せ集め”扱いだからな」
「功績はあるのに?」
「報告しねぇからな」
すずらがのんびり言う。
「評価って難しいですよね〜」
そのときだった。
近くのテーブルから、わざとらしい声が聞こえる。
「おい見ろよ」
「例の落ちこぼれ班だ」
笑い声。
僕はフォークを置いた。
「へぇ」
夏芽は気まずそうに俯く。
美琳は舌打ちする。
ジンドウは無視して食事を続ける。
ロウは何も言わない。
そのうち、一人の男が立ち上がった。
体格は中型。いかにも腕に自信がありそうな歩き方だ。仲間たちがニヤニヤしている。
男は僕たちのテーブルに近づく。
「へぇ」
僕を見下ろす。
「新入りのジジイか」
僕はスープを飲みながら答える。
「そうらしい」
男は笑う。
「ここは老人ホームじゃねぇぞ」
周りからクスクス笑いが起きる。
僕は首をかしげる。
「そうなんだ」
男はさらに顔を近づける。
「ちゃんと歩けるのか?」
美琳が小さく呟く。
「……あーあ」
ジンドウは肉を噛みながら言う。
「知らねぇぞ」
男は僕の肩を軽く押した。
「おいジジイ」
その瞬間。
僕はトレーを机に置いた。
そして――
男の腕を掴む。
次の瞬間だった。
ガンッ。
椅子が倒れる音。
男の体が宙に浮き、床に叩きつけられる。
食堂の空気が一瞬で凍る。
男は起き上がろうとするが――
僕の手が肩を押さえた。
ぐにゃり。
嫌な音がした。いや、本当にね。
「ぎゃああああ!!」
悲鳴が響く。
周囲が一斉に立ち上がる。
椅子が倒れ、トレーが落ち、食堂は一瞬で大騒ぎになった。
僕は男の腕を離した。
男は床で悶絶している。
僕は軽く手を払った。
「ごめん」
穏やかな声で言う。
「手加減苦手なんだよねー」
周囲の隊員たちが完全に固まっている。
「……」
「……」
「……は?」
誰かが呟いた。
床に倒れた男の腕は明らかにおかしな方向を向いている。
すずらが慌てて立ち上がる。
「ちょっと失礼しますね〜!」
救急ポーチを開き、男の腕を確認する。
「骨いってますね〜」
美琳は腕を組んで呟く。
「そりゃそうなる」
ジンドウが肉を飲み込み、僕を見る。
「……あんた」
僕は水を飲む。
「うん?」
「ほんとに七十か?」
僕は少し考える。
「たぶん」
ロウは静かにその光景を見ていた。
食堂のざわめきはまだ収まらない。
遠くの隊員たちは、もう笑っていなかった。
僕はスープをもう一口飲む。
「うん」
小さく言う。
「ここの食事、すっごく不味いね」
誰も返事をしなかった。
食堂の騒ぎは、まだ完全には収まっていなかった。
床には倒れた椅子。散らばったトレー。腕を押さえて呻く隊員。そして、その周りで慌てて処置をするすずら。
隊員たちの視線は、ほとんど僕に集まっていた。
七十歳の老人が、一瞬で一人を床に沈めた。
その事実が、まだ理解されていない顔ばかりだ。
僕はそんな空気など気にもせず、椅子に座り直した。
スプーンでスープをもう一口飲む。
「……」
少し考える。
それから、ゆっくり口を開いた。
「いや」
僕はスプーンを皿に戻す。
「もう一回言うね。やっぱりまずいや。ここのご飯」
食堂の空気が、また止まった。
美琳が顔をしかめる。
「今それ言う?」
ジンドウは腕を組んで、呆れた顔をしている。
夏芽は静かに俯いているが、肩が少し震えていた。笑いをこらえているのかもしれない。
すずらは処置をしながら困った顔だ。
僕はトレーを眺める。
硬そうなパン。
脂の多い肉。
塩気の強いスープ。
「……うん」
僕は納得したように頷く。
「まずい」
次の瞬間だった。
僕はトレーを持ち上げる。
そして――
軽く放り投げた。
ガシャン。
金属トレーが食堂の床に落ち、大きな音を立てる。
スープが床に広がり、パンが転がる。
食堂の全員が、完全に固まった。
誰も動かない。
誰も喋らない。
ただ静寂。
僕は手を軽く払った。
「すっきりした」
美琳が額を押さえる。
「ちょっと……あんた……」
ジンドウが低く言う。
「完全に喧嘩売ってるぞ」
僕は肩をすくめる。
「売ってないよ」
そして周囲を見渡す。
隊員たちの視線。
警戒、怒り、困惑。
僕は穏やかに微笑んだ。
「事実を言っただけ」
その瞬間。
遠くのテーブルから椅子が引かれる音がした。
誰かが立ち上がった。
また別の隊員。
それを見て、さらに数人が動く。
空気が一気に変わる。
ジンドウが小さく呟く。
「……ほらな」
美琳がため息をつく。
「完全に敵作った」
夏芽は静かに言う。
「……まずいですね」
ロウは無言で立ち上がっていた。
すずらはまだ負傷者を固定しながら言う。
「皆さん落ち着いてくださいね〜」
しかし誰も落ち着いていない。
食堂の空気は、戦場寸前だった。
その中心で。
僕は椅子に座ったまま、ゆっくり水を飲む。
「……」
それから小さく言った。
「喫茶店のチョコタルトが恋しいな」




