喫茶店ローズ番外編「糖尿病」
喫茶店ローズの午後は、いつも静かだった。
店の奥の窓際。
古い木のテーブルに、淡い緑色のカップが置かれている。
その中には抹茶ラテ。
湯気がゆっくりと立ち上り、ほのかな甘い香りが店内に広がっていた。
鷹司は背筋を伸ばして座っている。
黒の着流しの上にロングコートを羽織り、銀と黒が混じる髪を後ろでゆるく束ねている。その姿勢は年齢を感じさせないほど真っ直ぐだった。
琥珀色の瞳は静かにカップを見ている。
まるで茶の湯でも嗜むかのように、ゆっくりとカップを持ち上げる。
一口。
ほんの少しだけ飲む。
そしてまた静かにカップを置く。
その一連の動きに無駄はない。
まるで型のある所作のようだった。
その向かい側では、エドワードが椅子にだらしなく座っている。
片肘をテーブルにつき、頬杖をつきながら鷹司を眺めていた。
数秒、沈黙。
エドワードが口を開く。
「……なあ」
鷹司は視線を上げない。
「なんだ」
エドワードはカップを指さした。
「お前さ」
少し間を置く。
「毎日それ飲んでるよな」
鷹司は静かに答える。
「そうだな」
エドワードは眉をひそめる。
「飽きないの?」
「飽きる理由がない」
「甘いじゃん」
「甘いな」
「毎日だぞ?」
鷹司はまた一口飲む。
それからカップを置く。
「だからどうした」
エドワードは少し体を乗り出した。
「鷹司さ」
真顔で言う。
「お前糖尿病にならないの?」
店内が一瞬静かになる。
カウンターでコーヒーを淹れていたマスターが、ほんのわずかに手を止めた。
鷹司はエドワードを見た。
数秒。
沈黙。
それから低い声で言う。
「……私の身体を案じているのか」
エドワードは肩をすくめる。
「まあね」
「珍しいこともあるものだ」
「別に優しさじゃないよ」
「では何だ」
エドワードは腕を組む。
「お前が先に倒れたらつまんないだろ」
鷹司の琥珀色の瞳がわずかに細くなる。
「なるほど」
静かな声。
「つまり、私を長く生かしておきたいと」
エドワードは笑う。
「そ」
鷹司はカップを見た。
そしてゆっくり言う。
「安心しろ」
一拍。
「私は簡単には壊れん」
エドワードはすぐ返す。
「みんなそう言うんだよ」
「誰が」
「年寄り」
鷹司は少しだけ目を細めた。
「……お前も同じ年齢だ」
エドワードはあっさり言う。
「俺は特別」
鷹司は小さく息を吐いた。
それは笑いに近かった。
「相変わらずだな」
エドワードは言う。
「お前も」
鷹司はまた抹茶ラテを飲む。
静かに、丁寧に。
その姿を見ながらエドワードが呟いた。
「しかしさ」
「なんだ」
「本当に毎日それだよな」
「そうだ」
「コーヒーとか飲まないの?」
鷹司は即答する。
「苦い」
エドワードは思わず吹き出した。
「70歳の理由それ?」
鷹司は平然としている。
「甘味は思考を整える」
エドワードは首を傾げる。
「科学的根拠ある?」
「ない」
「ないのかよ」
鷹司は静かに微笑む。
「だが、美味い」
エドワードは椅子にもたれた。
「それが理由か」
鷹司は言う。
「それ以上の理由が必要か」
少し間が空く。
エドワードはカップを見た。
それからぽつりと言う。
「一口ちょうだい」
鷹司はカップを持ち上げる。
そして一瞬止まる。
「……断る」
エドワードは目を丸くする。
「ケチ」
鷹司は平然と言う。
「これは私のものだ」
エドワードは笑う。
「相変わらず独占欲強いな」
鷹司は静かに答える。
「美味いものは守る」
エドワードは肩をすくめる。
「じゃあ俺も頼むか」
鷹司が言う。
「真似か」
「研究」
「何の」
エドワードは笑う。
「お前が糖尿病になる速度」
数秒の沈黙。
鷹司はカップを置く。
そして低く言う。
「エドワード」
「ん?」
「お前」
ほんのわずかに口元が動く。
「今日、やけに饒舌だな」
エドワードは笑った。
「暇なんだよ」
喫茶店ローズの午後は、相変わらず静かだった。




