喫茶店ローズ18話「……うぇっ…」
オズワルドに連行されてから、しばらく経った。
警護隊の建物の一室。重たい机、硬い椅子、壁に並ぶ作戦図。いかにも軍務の空気だ。
僕は椅子に深く腰掛けて、退屈そうに天井を見ていた。燕尾服ではなく警護服というのが、どうにも落ち着かない。
「……本当にやるの?」
呟くが、誰も答えない。
正面に立つオズワルドは腕を組んだまま動かない。黒革手袋の指が机を軽く叩く。
「これから貴様を隊に組み込む」
「七十の老人を?」
「貴様は老人ではない」
同じ返答だ。僕は軽く肩をすくめた。
オズワルドは視線を後ろに向ける。
「入れ」
扉が開いた。
最初に入ってきたのは、小柄な女性だった。
ボブショート。ところどころに混じる白髪。琥珀色の瞳。細身で、警護服を軽くアレンジした戦闘装備。
腰には刀。
静かな気配だが、立ち方が明らかに戦闘者だ。
オズワルドが言う。
「私の部下から紹介しよう」
僕は彼女を見て、軽く目を細めた。
「夏芽ぐらい知ってるよ」
その瞬間。
夏芽の顔が固まった。
「……うぇっ…」
小さく声が漏れる。
完全に想定外の反応だったらしい。
僕は椅子の背にもたれながら言う。
「鷹司から何度も聞いてるからね」
夏芽の目がさらに見開かれる。
「祖父が……?」
「うん。孫がいるって。刀振るうと性格変わるとか、白鬼神とか」
夏芽は耳まで赤くなった。
「……あれ全部言ってるんですか……」
「結構楽しそうに」
「複雑です」
僕は笑った。
オズワルドは無視して続ける。
「次」
今度は別の女性が入ってくる。
黒髪のチャイナ風お団子ツイン。毛先にネオンブルーのメッシュ。片目に薄型バイザー。太腿ホルスターにはサイバー銃。
姿勢は堂々としている。
入るなり僕を見て言った。
「へぇ。この人が例の?」
オズワルドが紹介する。
「美琳。戦術支援」
美琳は腕を組んだ。
「へぇ〜。蒼刃ってやつ?」
僕は軽く手を振る。
「昔の名前だよ」
「ほんとに七十?」
「ほんとに」
「嘘くさ」
僕は笑う。
「君、上司に嫌われてるでしょ」
美琳は一瞬止まる。
「……なんで分かるのよ」
「顔」
「顔って何よ」
「噛みつきそうな顔」
美琳は舌打ちした。
オズワルドが無視して次を呼ぶ。
「入れ」
ゆっくりと入ってきたのは、柔らかい雰囲気の女性だった。
ミント系の長い髪。淡い黄緑の瞳。医療マークの腕章。太腿には救急ポーチ。
彼女は軽く頭を下げる。
「すずらです。救護担当です〜」
声がやさしい。
僕は少し驚く。
「警護隊っぽくないね」
すずらは微笑む。
「よく言われます〜」
オズワルドが続ける。
「次」
床が少し重く鳴る。
入ってきたのは大柄な男だった。
坊主頭。太い眉。日焼けした肌。肩と胸に装甲を追加した警護服。背中には大型火力ユニット。
明らかに戦場の男だ。
「ジンドウ」
オズワルドが言う。
ジンドウは僕を見て、顎を少し上げた。
「……あんたが蒼刃か」
「そう呼ばれてたね」
「見た目は普通のジジイだな」
「君は普通のゴリラだね」
美琳が吹き出す。
ジンドウは少し笑った。
最後に、扉の横に大きな影が現れる。
ゆっくりと歩いてくる。
背が高い。190近い。体は分厚い。
紫寄りのオレンジの髪。顔の半分以上が包帯。全身に火傷の痕。
無言で立つ。
オズワルドが言う。
「ロウ」
ロウは何も言わない。
ただ僕を見る。
視線だけが鋭い。
僕は少し観察して言った。
「面白いね」
ロウは何も答えない。
ジンドウが代わりに言う。
「こいつは喋らねぇ」
「そう」
僕は立ち上がる。
警護服の裾を軽く整える。
目の前には六人。
前衛の刀、電子戦の銃、救護、火力支援、即興戦闘。
そして、合理主義の上官。
僕はため息をつく。
「……喫茶店の方が平和だったな」
美琳が言う。
「辞めれば?」
僕は笑った。
「そうしたいんだけど」
オズワルドが言う。
「出来て当然だ」
僕は肩をすくめた。
「はいはい」
それから、夏芽を見る。
彼女はまだ微妙に固まっていた。
僕は軽く笑う。
「鷹司、君のこと結構自慢してたよ」
夏芽の顔がまた赤くなる。
「……やめてください……」
僕は小さく呟いた。
「面白い隊だね」
そして心の中で思う。
この街。
どうやら退屈はしなさそうだ。
部屋の空気は、どこか張り詰めていた。
紹介が終わったあとも、誰も席を外そうとはしない。警護隊の連中はそれぞれ壁際や机の周りに立ち、静かに様子を見ている。
僕はその中心で、退屈そうに肩を回した。
警護服というものはどうにも窮屈だ。燕尾服ならもう少し優雅に振る舞えるのに、今はどうにも落ち着かない。
「……喉乾いたな」
机の端に置かれていた水差しを見つけ、僕はそちらへ歩いた。
透明なグラスを取り、ゆっくり水を注ぐ。水面が揺れて、薄い光を反射した。
そのときだった。
背後から、低い声が聞こえる。
「……随分余裕だな」
振り返らなくても分かる。ジンドウだ。
僕はグラスを持ったまま、肩越しに軽く言う。
「余裕がないと死ぬからね」
ジンドウの額に、太い血管が浮いた。
「さっきから好き勝手言いやがって」
「君のこと?」
「俺のことだ」
僕は少し考えるふりをした。
「ゴリラって言ったのが気に入らなかった?」
美琳が小さく吹き出す。
ジンドウの拳が机に落ちた。
鈍い音。
「てめぇ……」
「怒ると皺増えるよ」
静かな部屋の空気が、さらに重くなる。
オズワルドは何も言わない。腕を組んだまま、ただ見ている。
夏芽も、すずらも、動かない。
僕はそれに気づきながら、グラスを口元へ運んだ。
水を飲もうとした――その瞬間。
乾いた破裂音。
パンッ。
次の瞬間、グラスが弾けた。
水が空中に散る。
僕は反射的に頭を引いた。
「危なっ」
水滴が顔にかかる。
床には砕けたガラスの破片。
そして、壁に小さな弾痕。
ジンドウの手には、いつの間にか銃が握られていた。銃口から、わずかに煙が立っている。
部屋が静まり返る。
すずらが小さく息をのんだ。
美琳は呆れた顔。
夏芽は眉をひそめている。
僕は手に残ったグラスの柄を見て、ゆっくりそれを机に置いた。
それから、ジンドウを見る。
「……君」
穏やかな声で言う。
「水に恨みでもあるの?」
ジンドウの眉がぴくりと動く。
「外したと思うか」
「いや」
僕は足元の破片を見下ろす。
水滴が床を濡らしている。
「わざとだね」
ジンドウはニヤリと笑った。
「次は外さねぇ」
僕は少し黙った。
それから、軽くため息をつく。
「困ったな」
「何がだ」
「喉乾いてるんだよ」
美琳が笑いをこらえている。
僕は机に置かれた水差しを見て、それからジンドウを見る。
「君、もう一回撃つ?」
「撃つぞ」
「じゃあ」
僕は別のグラスを取った。
「今度は当てないでくれる?」
ジンドウのこめかみに血管が浮く。
その瞬間。
「やめろ」
低い声が落ちた。
オズワルドだった。
部屋の空気が一瞬で止まる。
ジンドウは舌打ちして銃を下げた。
僕は肩をすくめる。
「助かった」
そして水を注ぎ、ようやく一口飲んだ。
冷たい水が喉を通る。
「……うん」
僕は小さく言った。
「生き返る」
その様子を見ながら、ジンドウはまだ睨んでいる。
僕はその視線を受け止め、静かに笑った。
「いいね」
小さく呟く。
「この職場、退屈しなさそうだ」




