表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/48

喫茶店ローズ16話「エドワードはどこだ!!」

颯太がこの世界に来て、数日が経った。


最初の一日は混乱だけだった。

通貨が通じない。言葉は通じるのに、価値が通じない。

住み込みが決まり、仕事が始まり、気づけば一日が終わっていた。


二日目は、息をする余裕が少しだけできた。

厨房の位置、食器の配置、常連の座る席。

誰が朝に弱く、誰が妙に早起きで、誰が黙って見ているのか。


三日目になると、体が先に動くようになった。

朝五時に起こされても、驚かなくなる。

野菜を洗う手つきが安定する。

ゴルド硬貨の重みも、もう違和感がない。


そして今日。


店の床を拭きながら、颯太はふと考える。


「慣れてきてるな……」


良い意味かどうかは分からない。


朝はエドワードの蹴りで始まる。

オスカーは相変わらずびくびくしているが、指示は的確だ。

悟真はいつの間にか現れ、いつの間にか消える。

ガブリエルは静かに全体を整える。

アンナは掃除を仕切り、エリオットとセドリックは無言で完璧に動く。


そして昼になれば、常連が来る。


ゴードンは相変わらず大声で、アレクシアに求婚し、ルシアンに切り捨てられる。

鷹司は静かに座り、抹茶ラテを飲み、呼吸と姿勢を語る。


変わらない。


世界は異質なのに、日常は安定している。


それが逆に、不思議だった。


颯太はゴルド硬貨を数えながら思う。


最初は、ここにいる理由を探していた。

帰る方法を考えていた。


今は違う。


まず、ここでやるべきことがある。


皿を割らないこと。

注文を間違えないこと。

常連の名前を覚えること。

立ち方を安定させること。


小さいことばかりだ。


だが、小さいことができないと、大きいことは考えられない。


店の窓から外を見る。


街は相変わらず動いている。

荷馬車が通り、商人が声を張り、ゴルドが回る。


ルミナリア王国。


その名前も、今は頭に定着している。


颯太は気づく。


怖さは完全には消えていない。

夜道を歩くときは、まだ背中がざわつく。

アーサーの言葉も、消えたわけではない。


だが。


「ここにいる」ことに、抵抗が減った。


昨日より、足の裏に重みがある。

鷹司の言葉を思い出す。


地面を感じろ。


試しに、意識して立ってみる。

両足を床に置き、肩を落とす。


呼吸が少し深くなる。


その瞬間、エドワードの声が飛ぶ。


「崩れるな」


「崩れてません」


「今、浅くなった」


見られている。


常に。


だがそれは、排除の視線ではない。


観察だ。


修正だ。


試されているのかもしれない。


それでも、ここ数日で分かったことがある。


この店は、簡単には捨てない。


無能でも、未熟でも、すぐに放り出したりはしない。


代わりに、黙って矯正する。


颯太は布巾を絞りながら、小さく呟く。


「とりあえず、一ヶ月」


帰る方法が見つかるかもしれない。

見つからないかもしれない。


だが今は、目の前の一日をこなす。


その積み重ねが、自分の立場を作る。


異世界に来た少年ではなく、

喫茶店ローズの店員として。


カウンターの奥で、アレクシアが帳簿から顔を上げる。


「颯太」

「はい」

「今日の動き、悪くないわ」


短い評価。

それだけで、少しだけ胸が軽くなる。


数日。


短いようで、確実に何かが変わった時間。


世界はまだ分からない。


だが、自分の呼吸は少しだけ整ってきている。

喫茶店ローズの昼は、だいたい静かだ。

皿の触れる音、コーヒーの香り、ゆっくり流れる時間。


颯太がこの世界に来てから数日。

まだ慣れないことは多いが、この店の空気には少しずつ慣れてきていた。


エリオットがカウンターでコーヒーを淹れ、セドリックが静かにカップを並べる。

アレクシアは伝票を整理しながら、時々店内を見回している。


その奥のソファでは――


エドワードが寝ていた。


完全に昼寝である。

しかもテーブルには、半分ほど食べたチョコタルト。


「平和だなぁ……」


颯太がぼそりと呟いた、その時だった。


――バンッ!!


喫茶店の扉が勢いよく開いた。


一瞬で、店内の空気が変わる。


入ってきたのは、ひとりの老人だった。


整えられた白髪混じりの短髪。

銀縁眼鏡の奥の目は鋭く、短く整えられた顎髭が知性と威圧感を同時に感じさせる。


黒革手袋をした手が、扉を押さえたまま動かない。


派手な人物ではない。

だが――


立っているだけで、場が締まる。


老人は店内を見渡し、低く怒鳴った。


「エドワードはどこだ!!」


声は決して大きすぎない。

だが、圧が強い。


店の空気がピンと張りつめる。


次の瞬間。


アレクシアが即座にキレた。


「うるさいわね!静かに入れないわけ!?」


怒鳴り返す声もまた、遠慮がない。


颯太は思わずエリオットに小声で聞いた。


「エリオットさん、あの方は……?」


エリオットはコーヒーポットを置き、静かに答えた。


「あの方は、この街を牛耳っているオズワルド様です」


颯太は目を丸くした。


「え?ゴードンさんじゃ……」


するとセドリックが、落ち着いた声で続ける。


「ゴードンさんだけではありませんよ」


さらに奥から、ガブリエルが補足した。


「オズワルドさんは、この街の警備を統括しておられます。上層管理部の責任者です」


颯太の頭が一瞬止まる。


(え……。めちゃくちゃ偉い人じゃない?)


その時だった。


ソファの奥から、だるそうな声が聞こえた。


「うるさいよ。そこの2人」


全員の視線がそちらへ向く。


エドワードが、まだ寝転んだまま片目だけ開けていた。


「僕の昼寝とチョコタルトを食べる邪魔するなー」


空気が凍る。


颯太は思わず心の中で叫んだ。


(この人……!街の警察のトップに向かってそれ言う!?)


アレクシアが即座に机を叩く。


「なによ!あんたが原因でしょ!」


エドワードは面倒そうに体を起こした。


髪を軽くかき上げ、欠伸をする。


そして、店の入口に立つ老人を見た。


一瞬だけ、目が細くなる。


「……ああ」


「オズワルドか」


その名前に、颯太はまた驚く。


呼び捨てである。


だが――


オズワルドは怒らなかった。


ゆっくりと店の中へ歩いてくる。


革靴の音が、床に静かに響く。


彼の視線はまっすぐエドワードに向いている。


冷たい。


だが、その奥には何か別のものが混ざっているようにも見える。


オズワルドはテーブルの前で止まった。


そして低く言った。


「……相変わらずだな」


エドワードはチョコタルトを一口食べながら答える。


「何が?」


「昼寝と甘味の優先順位だ」


「仕事より上か」


エドワードは肩をすくめる。


「当然だろ」


「人生の効率が悪い」


一瞬、店内が静まり返る。


オズワルドは続けた。


「警備隊は今朝、三件の騒動を処理した」


「そのうち一件は、お前の名前が関係している」


エドワードはコーヒーを飲みながら言った。


「へぇ」


興味なさそうである。


オズワルドの眉が、ほんのわずかだけ動いた。


だが声は変わらない。


「出来て当然だ」


それが口癖だった。


合理主義の男。


結果だけを見る男。


この街の警備を統括する上級幹部。


誰より冷酷に見えて、

誰より犠牲を嫌う男。


――オズワルド。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ