鷹司啓翁という男
茶屋の一室には、戦いを終えた者たちの穏やかな声が響いていた。
九条玄斎との死闘から、まだそれほど時間は経っていない。傷の手当てを受ける者もいれば、今後のことについて話し合う者もいる。
そんな中、エドワードはというと――。
「……んー、極楽極楽」
源蔵の膝枕に頭を預け、すっかりだらけきっていた。
源蔵は苦笑しながら、そんなエドワードを見下ろす。
「お前さん、いつまでわしの膝を占領するつもりじゃ?」
「さてねぇ。君の膝が快適なうちは、しばらくここにいようかな」
「まったく……。遠慮というものを知らん男じゃのう」
「遠慮して疲れるくらいなら、最初からしない主義なんだよ」
「胸を張って言うことか!」
源蔵の呆れた声に、エドワードは楽しそうに笑った。
その様子を少し離れた場所から眺めていた鷹司は、静かに茶を口に運んでいた。
やがて、湯呑みを置く。
「エドワード」
「んー?」
エドワードは寝転がったまま、顔だけを鷹司の方へ向けた。
「少し話がある」
「嫌だねぇ。今、人生で最も有意義な時間を過ごしているところなんだ」
「そうか。なら、そのまま聞け」
「……君、僕の話を聞いていたかい?」
「聞いている」
鷹司は気にする様子もなく、エドワードのそばまで歩いてきた。
黒の着流しにロングコート。銀と黒の混じった髪を後ろで緩く束ねた姿は、座っているだけでも隙がない。
その佇まいを見て、源蔵が懐かしそうに目を細めた。
「啓翁。お前さんも相変わらずじゃな」
「お前もな、源蔵」
「ほっほっほ。まあ、否定はせんよ」
二人のやり取りを聞いたエドワードが、ぴくりと眉を動かした。
「……ん?」
彼はゆっくりと鷹司を見上げた。
「今、何と呼んだ?」
源蔵は不思議そうに首を傾げる。
「何じゃ。啓翁じゃよ」
「……啓翁?」
エドワードは、その名前を口の中で転がすように繰り返した。
「そういえば、九条玄斎と戦っていた時にも、そんな名前を聞いた気がするねぇ」
鷹司は静かに頷いた。
「ああ。あの時、玄斎が私の名を呼んでいたからな」
九条玄斎との戦い。
互いに一歩も譲らぬ剣戟の中で、確かにその名は聞こえていた。
だが、あの時は目の前の敵に集中していたこともあり、エドワードは特に気に留めていなかった。
鷹司という姓で呼び合うことが当たり前になっていたため、下の名前を意識する機会もなかったのだ。
鷹司はエドワードを見下ろし、改めて告げた。
「鷹司啓翁。それが私の名だ」
妙に厳かな声音だった。
まるで長年伏せていた秘密を明かすかのような、落ち着き払った名乗りだった。
数秒の沈黙。
エドワードは、じっと鷹司の顔を見つめた。
そして。
「……変な名前」
あまりにも容赦のない一言だった。
「おい!」
源蔵が思わず声を上げる。
鷹司は眉ひとつ動かさなかった。
「そうか」
「うん。何というか、響きが妙だねぇ。啓翁って。ずいぶんと古風じゃないか」
「私たちの年齢を考えれば、古風で当然だろう」
「いや、そういう話じゃなくてね」
エドワードは片手をひらひらと振った。
「君、普段から妙に格好をつけているだろう?その名前まで合わせてくると、少し面白いんだよ」
「……お前にだけは言われたくないな」
鷹司の声は静かだった。
しかし、長年の付き合いがある者なら分かる。
ほんのわずかに、呆れている。
源蔵はとうとう堪えきれず、声を上げて笑った。
「はっはっ!まったく、お前さんらは顔を合わせればそれじゃな!」
エドワードは源蔵の膝に頭を預けたまま、悪びれもせず笑う。
「何を言っているんだい。僕は素直な感想を述べただけさ」
「その素直さを、もう少し別の方向に使えんのか!」
「無理だねぇ」
「即答するな!」
鷹司は小さく息を吐き、近くの座布団に腰を下ろした。
「まあ、今さら名前を教えたところで、お前の態度が変わるとも思っていなかったが」
「おや。よく分かっているじゃないか」
「長い付き合いだからな」
その言葉に、エドワードは一瞬だけ口元を緩めた。
互いの実力を知り、互いの欠点も知っている。
気取った言葉を交わすこともあれば、遠慮のない悪口を言い合うこともある。
それでも、二人の間にあるものは単なる敵対心ではなかった。
鷹司は、ふとエドワードを見た。
「それで、エドワード」
「何だい?」
「これからは名前で呼んでも構わんぞ」
エドワードは少し考えた。
それから、にやりと笑う。
「そうだねぇ。では、啓翁」
「何だ」
「……やっぱり変な名前だね」
「お前はもう黙って寝ていろ」
「はいはい」
エドワードは満足そうに目を閉じた。
源蔵は呆れたように頭を振り、鷹司は静かに茶を口に運ぶ。
茶屋には再び、穏やかな時間が流れ始めた。
ただし、鷹司啓翁という名前を聞いたエドワードが、今後もそれをからかい続けるであろうことだけは――誰の目にも明らかだった。




