白鬼神と無言の用心棒、VTuber事務所を立ち上げる
「……それで、これからどうするんだ?」
茶屋の一室。
ひとまず一連の騒動が落ち着き、それぞれが今後について話し合っていた頃、霧島が夏芽に尋ねた。
夏芽は少し考え込んだあと、隣に座っているロウへ視線を向けた。
「実は……ロウさんと一緒に、やりたいことができまして」
「ほう?」
霧島が眉を動かす。
夏芽は静かに口を開いた。
「VTuberの事務所を立ち上げようと思っています」
「…………」
一瞬、誰も反応しなかった。
「……え?」
最初に声を漏らしたのは美琳だった。
夏芽は真面目な顔で続ける。
「私とロウさんで運営して、所属するVTuberの方々を支えていこうと思っています。配信の企画や活動方針を考えたり、必要な環境を整えたり……そういう仕事を」
ロウも無言のまま頷いた。
どうやら冗談ではないらしい。
「…………」
再び、沈黙が落ちた。
あの「白鬼神」と呼ばれた女剣士が。
そして、どんな状況でもほとんど口を開かない、あの無口なロウが。
まさかのVTuber事務所を立ち上げるという。
あまりにも予想外の進路だった。
「……待って」
美琳が額を押さえた。
「待って待って待って。なっちゃん、今なんて言った?」
「VTuberの事務所を立ち上げます」
「いや、聞こえてる! 聞こえてるから! そうじゃなくて、なんで!?」
「……やりたいと思ったからです」
「理由がシンプルすぎるでしょ!?」
ジンドウは腕を組み、ロウを見つめていた。
「……お前、配信する側じゃなくて運営する側なのか?」
ロウは静かに頷く。
「いや、まあ、お前が配信してる姿も想像できねえけどよ……」
ロウは無言だった。
「……否定しろよ」
もちろん、否定はなかった。
すずらは困惑しながらも、どこか楽しそうに二人を見ていた。
「でも、素敵だと思いますよ。新しいことを始めるのって、勇気がいりますから」
「ありがとうございます、すずらさん」
夏芽は小さく頭を下げた。
一方、源蔵は腕を組んだまま、うんうんと頷いている。
「なるほどのう……。剣を振るうばかりが人生ではない、ということじゃな」
「そうですね」
「しかし、資金はどうするんじゃ?」
「…………」
夏芽の表情が、わずかに固まった。
ロウも動きを止める。
二人は顔を見合わせた。
そして夏芽は、至極真面目な顔で答えた。
「……そのために、白鷺組で用心棒をすることになりました」
「…………」
今度こそ。
部屋の空気が、完全に止まった。
誰も喋らない、誰も動かない。
茶屋の外から聞こえていた鳥の声さえ、妙に遠く感じられた。
VTuber事務所を立ち上げるための軍資金を貯める。
そのために、裏社会の組織でヤクザの用心棒をする。
あまりにも情報量が多すぎた。
「……は?」
美琳が、絞り出すように声を漏らした。
颯太は口を開けたまま固まっている。
ジンドウはこめかみを押さえ、すずらは心配そうに夏芽とロウを交互に見つめていた。
ガブリエルですら、珍しく言葉を失っていた。
「……夏芽さん」
やがて、ガブリエルが慎重に口を開いた。
「念のため確認させてください。VTuberの事務所を立ち上げるために、ヤクザの用心棒をする……ということでしょうか?」
「はい」
「……そうですか」
ガブリエルは目を閉じ、静かに祈るように俯いた。
「いや、待て待て待て!」
美琳が勢いよく立ち上がった。
「なんでそうなるの!? 普通、クラウドファンディングとか、企業に出資をお願いするとか、そういう方法があるでしょ!?」
「資金を集める方法はいろいろ検討しました。ただ、私たちの場合、まずは確実に資金を確保したくて」
「だからって白鷺組!?」
「はい」
「その『はい』が怖いんだってば!!」
夏芽は少し申し訳なさそうに視線を落とした。
「……危険な仕事ばかりではありません。護衛が中心ですし、私たちの経験も活かせますから」
ロウも、静かに頷いた。
「ロウまで頷かないでよ!」
美琳の悲鳴が茶屋に響いた。
そこで、ずっと黙っていた霧島が口を開いた。
「……白鷺組か」
その声に、場の空気がわずかに引き締まる。
裏社会の人間として、霧島は白鷺組のことを知らないわけではない。
彼は夏芽を見つめた。
「仕事の内容は把握しているんだろうな?」
「はい。契約内容は確認しています」
「危険があれば断れるのか?」
「その条件も含めて、話をつけています」
霧島はしばらく黙っていた。
娘が自分の道を選んだことに、口を挟むつもりはない。
だが、ようやく再会できた娘が、また自分を顧みず危険な場所へ飛び込むのではないか。
その懸念だけは、どうしても拭えなかった。
「……夏芽」
「はい、お父さん」
「無茶はするな」
夏芽は一瞬だけ目を見開いた。
それから、柔らかく微笑んだ。
「……はい。気をつけます」
「それと、ロウ」
呼ばれたロウが霧島を見る。
「娘が無茶をしそうになったら止めろ」
ロウは数秒、霧島を見つめた。
そして、力強く頷いた。
「……頼んだぞ」
その言葉に、ロウはもう一度頷いた。
だが、美琳はまだ納得していなかった。
「……いや、ちょっと待って。なんか話がまとまりそうになってるけど、まとまってないからね!?」
アレクシアは頬杖をつき、興味深そうに二人を眺めていた。
「ふふっ。いいんじゃないかしら」
「アレクシア!?」
「自分たちで事業を始める。資金を稼ぐために仕事をする。筋は通っているわよ」
「その仕事がヤクザの用心棒なんですけど!?」
「護衛の仕事なら、夏芽たちの能力を活かせるでしょう?」
「そういう問題じゃないの!」
アルフレッドは肩を揺らして笑っていた。
「いやぁ、面白いねぇ。白鬼神と無口な大男が、VTuber事務所の経営者か。所属タレントが問題を起こしたら、夏芽が刀を持って説教するのかな?」
「しません」
夏芽は即答した。
エドワードが横から口を挟む。
「ロウが無言で背後に立つんじゃないかい?」
ロウは否定しなかった。
「……やめてください。想像しただけで怖いです」
颯太が本音を漏らした。
源蔵は大きなため息をつく。
「まったく……。世の中、何が起こるか分からんのう」
「本当ですね……」
夏芽は苦笑した。
隣のロウは、いつもどおり無表情だった。
ただ、その手元には、いつの間にか新しい事業の計画書が置かれていた。
表紙には、まだ仮のものらしい事務所名と、いくつもの企画案が書き込まれている。
その中には、配信者の募集要項から活動方針、設備投資の見積もりまで、驚くほど細かな内容が並んでいた。
どうやら二人は、本気らしい。
本気でVTuber事務所を立ち上げるつもりなのだ。
そして、その第一歩が――
白鷺組の用心棒。
「……なっちゃん」
美琳が、力なく呟いた。
「私、これから先が不安なんだけど……」
夏芽は少し考え、それから真面目に答えた。
「大丈夫です。きっと、うまくいきます」
「その自信、どこから来るのよ……」
茶屋には、再び沈黙が落ちた。
誰もが思っていた。
この二人が立ち上げるVTuber事務所は、果たして無事に運営できるのだろうか。
そして何より、いったい、どんなVTuberが所属することになるのだろうか。
それはまだ、誰にも分からなかった。




